Bパート 1

 初めてここへ現れた時、勇者ショウはまだ異界の衣服を身にまとっており、この世界の事情など何一つ解してはいなかった。

 しかし、その瞳は世界も時代も関係ない不変の正義に燃えており、魔人の狼藉を目にしただちに戦う決意をしたものである。

 そして見せたのが変身――ブラックホッパーの姿であった。


 今、ブラックホッパーは広間の中央に立っており、指の一本たりとも動く気配はない。

 それもそのはずであろう……。

 恐るべき青銅魔人の呪いにより、彼の全身は甲殻の一片に至るまでもが青銅の塊と化しているのだから……。


 王城ラグネアの尖塔せんとうに存在する、儀式の間である。

 飾り気もなく、彩りと言えば燭台しょくだいが存在するのみであるが、ここを単なる石造りの広間だと思ってはいけない。

 王国魔法技術の粋を集めて造られたのがこの広間であり、壁を構成する石材の一つ一つに至るまでが聖別せいべつを施されているのだ。

 かつてティーナがこの場所で勇者召喚の儀式を行ったのも、光の魔法力を最大限に高められる造りをしているが故である。


 あの後……。

 大混乱に見舞われた人々を何とか鎮めると共に、ティーナはこの広間へブロンズ像と化した勇者を運ぶよう指示した。

 これはドラグローダーに変じていたレッカがこなし、彼女の背に乗って帰投したティーナはあらゆる事後対策を議会に一任すると、即座に勇者復活のため動き出したのである。


 その成果と言えるのが、青銅像と化したブラックホッパーを中心に描かれた複雑精緻せいち極まりない魔方陣だ。

 その密度たるや、尋常なものではない。

 床一面はもとより、そこから壁面の一部にまで伸びて立体的な模様を描いているのである。

 ティーナが不眠不休で、自ら魔力を込めつつ描き上げたのがこれだ。


 かつて勇者を召喚した時に用いられた魔方陣と比べても段違いの規模と密度であるが、これはそれだけ女魔人のかけた呪いが強大であることを意味していた。


「では……参ります」


 疲労の色が隠せぬ声音で、しかし、ティーナは決意と共にそう言い放つ。

 今、儀式の間に居るのは、ブロンズ像と化したホッパーを除けば彼女と腹心にして騎士団長たるヒルダ……そして、勇者と主従の誓いを交わしし聖竜レッカの三名のみである。


 丸一日かけてこの魔方陣を描き上げたティーナは立っているのがやっとといった消耗具合であったが、常ならばこれを止めるはずのヒルダもあえてそうはしない。

 これが当代の巫女としての務めであり、また、人間には人生に何度か命を賭して挑むべき事態があると承知しているからだ。

 常ならばどこか抜けた空気を漂わせるレッカも、今ばかりは緊迫した様子で縦に割れた瞳孔どうこうを物言わぬ主に向けていた。


「……はあああああ」


 始祖から受け継いだ聖杖せいじょうを構え、気合の声を漏らす。

 現在では石杖せきじょうと呼ぶしかない代物であるが、これを手にすると勇気が湧いてくるのだ。

 肉体の奥……心の臓よりも更に内奥ないおうに存在する、魂魄こんぱくそのものと呼ぶべき場所からありったけの魔力を絞り出す。


 それはティーナの全身から漏れ出す暖かな光の粒子として現出し、さらに儀式の間へ描かれた魔方陣とも反応し出した。

 床一面では収まらず壁面の一部にまではみ出した魔方陣が、複雑極まりないその文様を光り輝かせる!


「おお……!?」


「いけるか……!?」


 ティーナの集中を妨げぬため沈黙を保っていたヒルダとレッカの二人も、これには思わず声を漏らしてしまう。

 このような時に抱くべき感想ではないが、うら若き乙女が光に包まれ、広間中に敷かれた魔方陣に照らされる姿は何とも言えず幻想的であり……まるで、大神殿に飾られる初代巫女の宗教画をそのまま再現したかのような光景であった。


「…………………………っ!」


 目をつむり集中するティーナの魔力はますます高まっていき、もはや単なる発光現象に留まらず物理的な圧力すらも儀式の間に漂い始める。

 それが桃色の髪と巫女装束の裾を揺らめかせ始めた時、ついに巫女姫はこれを解き放った!


「――――――――――はあっ!」


 ティーナの全身から溢れる光の粒子が……。

 そして、魔方陣の輝きが儀式の間中央に座すブロンズ像の勇者へと収束していく……。


 世にほこあれば、これから身を守るための盾もまたあり。

 同じように、呪いがあればそれをはらう方法も必ずや存在するものだ。


 今、ティーナが行使しているのはまさしく始祖から受け継がれし呪い払いの儀式……。

 しかも、千年の時を経て研究し洗練されてきたそれは、当代巫女の力を増幅し高めているのだ!


 大神殿に務める全神官の魔力を結集しても届かぬであろう圧倒的な光の魔力が、呪われし勇者へ注がれ――儀式の間を閃光が満たした!


「――やったか!?」


 目を焼かんばかりの光を腕で防ぎながら、レッカが期待の声を上げる。

 ……だが、


「……バカな!?」


 呪い払いの儀式が完了し、光が収まると共にヒルダが驚愕の声を発した。

 広間の中央……そこに座していた勇者は、光が消え去った後も依然として身動き一つ取ることはなく……。

 その全身は、いまだ青銅と化したままだったのである。


「そんな……」


 石杖せきじょうを支えにしようとするも力が入りきらず、膝を床についたティーナが絶望の声を上げた。


「そん……」


 そして体力のみならず精神力すらも使い果たした巫女姫は、気を失いその場に倒れ伏したのである。


「姫様っ!?」


 ヒルダが、あわててこれへ駆け寄った。

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