Bパート 5

 魔人という名の脅威は消え去り……。

 大祭壇の間に、先までとはまた性質の違う静寂が立ち込めた。


 言葉を発する者は、誰もいない。

 ただ視線だけを勇者――ブラックホッパーへと向けていた。


「…………………………」


 このような反応には、慣れていないのだろう。

 どうしたものか考えあぐねている様子で、ブラックホッパーが立ち尽くす。


 何とも奇妙な沈黙を断ち切ったのは、一人の少女であった。

 白ローブに花冠という出で立ちから見て、たった今危ういところを救われた聖歌隊の一員に違いない。

 まだ十にも満たぬ年頃であろう少女は、意を決した顔でとてとてと彼の方に駆け寄って行ったのである。


「ブラックホッパー!」


「……ケガはないか?」


 異形の勇者は片膝を付き、目線を少女に合わせて優しく声をかけた。

 そう問いかけた当人はまだ首元からしゅうしゅうと煙が上がっているが、そのようなものなど一切意に介する様子はない。


「うん! 守ってくれたから!」


「そうか……」


 思わず、といった行動であろう。

 当たり前の大人が子供へそうするように腕を伸ばした彼は、しかし、その動きを止めて己の腕を見やった。

 何とも醜い……昆虫じみた己の腕を。

 だが、そんな彼の様子を見た少女は、自ら頭を押し付けてきたのだ。


「えへへ……」


 求められるままに、少女の頭を撫でてやる。

 異貌いぼうという名の仮面に隠されたホッパーの顔には、果たしてどのような表情が浮かんでいたものだろうか……。


「あのね……あのね!」


「うん、なんだ?」


 ひとしきり撫でられて満足した少女が、そういえば少し不自然に膨らんでいる懐を探った。


「そのお首、痛いよね?」


「こんなもの、すぐに治るさ」


 言葉通り、彼の首元から上がっていた煙は少女を撫でている内に消え去ってしまっている。

 毒が侵食した跡などどこにもなく、超人的な回復能力が発現した結果であるとうかがえた。


「ダメ! おケガをしたら大事にしないといけないの!」


「……そうだな、すまん」


 不器用に懐を探りながら叱る少女に、思わず謝ってしまう異形の勇者……。

 何とも奇妙で、微笑ましい光景がそこにあった。


「だから、これをあげるね!」


「これは……?」


 ようやく少女が取り出したのは、丁寧に折り畳まれた真紅のマフラーである。


「天国のお父さんにあげようと思って、お母さんと作ったの!

 でも、ホッパーが使ってくれたらお父さんもきっと喜ぶから!」


 そう言いながら少女がちらりと見やったのは、献花の一部が無惨に溶け消えた大祭壇であった。

 彼女の父親もまた、勇者の一人であったに違いない。


「……いいのか?」


「うん!」


 屈託くったくのない笑みと共に、少女が畳まれているマフラーを広げる。

 その意を汲み取ったホッパーは、低くこうべを垂れた。


 まるで騎士が叙勲を受ける儀式のような……。

 神聖な空気が大祭壇の間を満たす。


「はい! できたよ!」


 少女は不器用ながらもきちんとマフラーを巻くことに成功し、大輪の笑顔を浮かべてみせた。

 ホッパーが、立ち上がる。


 そのマフラーは、決して高い布地を使っているわけではないのだろう。

 だが、作りはしっかりとしており、少女とその母が込めた真心をうかがい知ることができた。


 その時、一陣の風が大祭壇の間に入り込んだ。

 それに真紅のマフラーがはためく様は、まるで真なる勇者の誕生を祝福しているかのようだったのである。


「ありがとう……本当はずっと痛かった。

 ――でも、もう大丈夫だ」


 少女がますます笑みを大きくした時、人垣を割って一人の少女が姿を現した。

 彼女の名を知らぬ者など、この国には一人として存在しない。

 ……巫女姫ティーナである。


「皆さん、彼の力を見ましたか!?

 そして、その勇気を知りましたか!?」


 騎士団長ヒルダを始めとする護衛の騎士たちに囲まれた少女が、細身の体からは信じられぬ力強い声音で話す。


「ならば、あらためて紹介しましょう!

 彼こそが、異界より召喚されし勇者。

 ――ブラックホッパーです!」


 万雷の拍手が、大祭壇の間に響き渡った。

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