Bパート 3

 そこから先、勇者が見せた動作は奇妙なれど流麗なものであり、何か恐るべき力が彼の内で充実し膨れ上がっていることを見る者全てに直感させた。


 ――これは何かの儀式か!?


 ――はたまた何らかの技や術法へつながる動きなのか!?


 人々が抱いた感想は、遠からず、されど的を外れたものである。

 端的にこの動きについて表すならば、それは決意だ。

 必ず勝つ……その強烈な決意が所作となって表れ、彼の内奥に秘められた大いなる力を発現させるきっかけとなるのである。

 力の発現とは、すなわち……。


「変ンンンンン――――――――――身ッ!」


 瞬間、広大な大祭壇の間を爆圧的な光が満たした。

 それは光という形を取った力の奔流であり、もしかしたならば、得体の知れない不思議な力の爆発をこの目が光として感知しているだけなのかもしれない……。

 そして光が消え去った時、勇者が立っていた場所に現れたモノ……それこそが。


「おれは改造人間――ブラックホッパー!」


 遥か地球から召喚された正義の改造人間、ブラックホッパーなのである。


「あらわれやがりましたねえ。ブラックホッパー!」


 魔人が、肉塊そのものと呼ぶべき胴体に直接ついた口で舌なめずりしてみせた。

 先に戦った魔人――ミネラゴレムが見せたような動揺の色はない。

 おそらく、何か思いもよらぬ方法で情報の共有がなされているのだ。


「あんたは、このドルドネスがた――」


 何かを言おうとしたドルドネスであったが、その言葉がブラックホッパーに届くことはなかった。

 何故ならば、それを消し去るほどのどよめきと恐慌の声が大祭壇の間に響き渡ったからである。


 それを放ったのは――この場に集った無辜むこの民だ。

 先まで勇者到来を喝采していた大人たちや、彼を応援していた聖歌隊の子供たちまでもが恐怖一色に染められた声を上げているのである。

 ……無理もあるまい。

 変身した勇者の姿はあまりに異形であり……異様であった。


 全身は昆虫を想起させる漆黒の甲殻に覆われ……。

 関節部では、剥き出しとなった筋繊維がミリミリと音を立てていた……。

 何よりもおぞましいのは――頭部だ。

 バッタのそれを、人間へデタラメに貼り付けたかのような……。

 バッタ人間とでも呼ぶべきその造作は、見ようによっては頭蓋骨そのものにも思え、現世うつしよへ姿を現した死神のようでもあるのだ。


「……くっ」


 表情の浮かばぬ顔で、ブラックホッパーはその声音とそこに含まれたものを一身に浴びる。


「…………………………」


 だが、かぶりを振ってそれを振り払うと、静かにドルドネスへ向き直った。


「へっへっへ……きらわれちまってるでやすねえ!」


 その様子がよほど面白いのだろう……ドルドネスが、おそらく腹に相当する部分を撫でさすりながらあざ笑う。


「どうやらな」


「――ッ!?」


 だが、驚愕の引きつりと共にその笑い声は収まった。

 静かに……静かに一歩踏み出した次の瞬間。

 ブラックホッパーは両者の間に存在した間合いを一瞬で詰め、ドルドネスへ肉薄していたのである。


「――むううん!」


「ぐべあっ!?」


 瞬きする間もない四連撃!

 ブラックホッパーの拳が、ドルドネスの正中線に沿って叩き込まれた!


「ぐほ……っ!? ごほ……っ!?」


 たまらずたたらを踏むドルドネスだが、歴戦の強者がこの隙を見逃すはずもない。


「ぬんっ!」


「げはっ!?」


「つあっ!」


「おぐっ!?」


「でぃいいいやっ!」


「ぎゃあっ!?」


 さらに連続で拳が叩き込まれ、締めに空中後ろ回し蹴りを見舞われたドルドネスはまたも大祭壇の間を転げ回ったのである。


「…………………………」


「こ、この……!」


 決して油断せず円を描くように間合いを詰めながら歩むブラックホッパーに、毒づきながらドルドネスが身を起こす。

 奇しくも、ブラックホッパーが無数の献花に彩られし大祭壇を背にする形となった。


「――これでもくらえっ!」


「――むっ!?」


 食らえと言われて食らうバカはいない。

 十分な距離を保っていたブラックホッパーは、ライフル弾にも劣らぬ速度でドルドネスの口から放たれたそれを俊敏にかわしてみせた。


「――ぬうっ!?」


 そして表情などうかがい知れるはずもないホッパーの異貌いぼうに、明らかな驚愕の色が浮かぶ。

 彼が回避したドルドネスの攻撃……その正体は、一見すればコールタールのようにも見えるドロドロの黒い粘液であった。

 そして回避の結果、粘液は背後に飾られていた色とりどりの献花へ降りかかることとなったのだが、おお……それがもたらしたことの何とおぞましき結果であろうか。


 そこに飾られていたのは、大小様々な……きちんと花畑で収穫されたものもあれば、野に咲くものを手ずから摘んだものもある人々の真心そのものである。

 それは散っていった者たちに対する弔いの心そのものであり、死した魂もこれによって安らぎが得られるはずであった。


 ――今、この瞬間までは。


 降りかかった粘液は、しゅわしゅわと泡立つような音を立てて瞬く間に花々の細胞へと浸透していく……。

 わずか一秒の間も置かずにそれは全体を侵食しきり、いかなる成分が含まれていたものか……美しく飾られていた献花はたちまちのうちに腐り果て、のみならず花弁から茎からどろりと溶け落ちてしまったのである。


 単純な格闘戦では先に葬ったミネラゴレムに大きく劣るドルドネスであるが、醜き肉塊そのものと言える体の内に恐るべきものを隠し持っていたのだ。


「……毒か!?」


「へっへっへ……あっしのどくはまかいずいいちと、ルスカさまからもたいこばんをもらっていやすう!」


 この時、ごくわずかに身構えたブラックホッパーの脳裏を駆け巡ったのは様々な想定であった。

 戦闘というものは、時に盤上の遊戯とも似通う。

 駒の代わりに互いの技や異能を並べ立て、そこから瞬間、瞬間の最善と最悪を模索し続けるのが戦闘者の本能なのである。

 そしてこの時、ブラックホッパーの脳裏に閃いた最悪の想定と言えばただ一つしかない。


 誤算だったのは、それが対手であるドルドネスへ正確に伝わってしまったということだ。

 これは無理からぬことである。

 命がけで戦う者同士の間では、ごくわずかな身じろぎや瞬き一つでさえも万の言葉を超える情報となってやり取りされるものだ。

 まして今回の場合、それこそが――おそらくルスカとかいう者が――この毒液魔人を刺客として送り込んだ目的なのである。


「――あんたにあたらないなら、あのおこさんたちにあてるとしましょうかねえ!」


 ドルドネスが、口を歪めた。

 そして、その体をブラックホッパーではなく――聖歌隊の子供たちへ向けたのだ。


「――くっ!?」


 ――だあんっ!


 ……と、発破をかけたように足元の床を踏み砕き、凄まじき跳躍力でブラックホッパーが射線上へ身を躍らせる。

 結果、彼は最悪の事態を回避することに成功した。

 ……己の身を盾とすることによって。


「ぐうっ――おおっ!?」


 喉元に毒液を受けたブラックホッパーが、その身を苦悶によじらせる。

 しゅわしゅわと泡立つような音と共に有毒成分は瞬く間に改造人間へ浸透していき、そして……。


 ――ブラックホッパーが、倒れた。

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