グラントホテルの花嫁

江戸川努芽

第1話「プロローグ」

 八年前。

 少年は一人、団地の前の公園で寂しそうにブランコに揺られていた。

 周りに友達と思われる者はおらず、少年は孤独だった。

 太陽が西に傾き、徐々に影が伸びる中、まだ少年は公園にいた。

 何を思ったのか、一人のセーラー服の少女が少年に声をかけた。


「どうした? もう夕方だぞ、家に帰らないのか?」


 少年の目線に合わせず、見下ろすようにして訊いた。


「家、嫌い」


 あまり子供の口から溢れることのない、淡白な言葉が漏れた。


「何故だ?」


「僕の家が、タワーマンションの下層だから。それで同じクラスの子が、下層とか底辺とかってバカにするんだ」


 少年は指を空へと向ける。その先には、高くそびえるタワーマンションがあった。


「なるほど。それが嫌で、家に帰りたくないのか」


「……うん」


 少年の悩みは非常に珍しいものだった。小学生のいじめにしては、罵倒なのかどうかも危ういレベルである。

 制服の少女は何も言わず、少年の隣のブランコに腰を下ろす。


「私もさ、嫌いなんだよタワーマンション。そこの団地に住んでるんだけど、君と同じでタワーマンションに住んでる同級生から、団地をバカにされてきたんだよね」


「そ、そうなんだ。お姉ちゃんはその……言われて悔しくないの?」


「ふふ、悔しくないよ。だって私には夢があるからさ、そんなのへっちゃらなんだ」


「お姉ちゃんの……夢?」


「ああ、あんな背が高いだけのタワーマンションなんかよりも壮大で豪華な夢さ」


「ど、どんなの?」


「ん? それはなぁ、ホテルだよ」


「ホテル? ホテルって、海行く時に泊まったりするところ?」


「だいたい合ってる。私はな、団地やタワーマンションなんかよりも凄いホテルを経営して、世界を目指してみようと思ってるんだ。ふふ、どうだ? でかいだろ」


 ブランコを激しく揺らしながら機嫌良く話す少女。しかし、少年は首を傾げていた。


「ごめん、僕ちょっとわかんない」


 少年にはまだホテルというものがあまり理解できていなかった。それも無理はない、旅行先で泊まる以外、全く関わることがない場所だ。


「そのうちわかるさ、いや、私がわからせてやる」


「え、どういうこと?」


「私が成人して、一流ホテルを経営するようになった暁には、貴様を私のホテルで働かせてやる。タワーマンションを嫌っている貴様は、十分にその資質を持っているからな」


「きさま? ししつ? 全然わかんないや。お姉ちゃんが、僕をホテルに連れて行くってこと?」


「そうだ。そしたら貴様に、ホテルのノウハウや素晴らしさを私が教えてやる。そして、貴様にホテルで夢を与えてやる。約束だ!」


「うん、わかった! 約束する!」


 少女が指切りの小指を立てる。それを見て少年も、嬉しそうに自身の小指を差し出し、指切りを交わした。

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