ペガサスナイトのお食のしみ
英 慈尊
鉱山都市のうな丼
その騎影が見えた時のみ、退屈な城壁警護の任に就く兵たちは歓喜の声を上げる。
騎影……と言っても、それは地を駆けてくるわけではない。
騎影が見えるのは、遥か上空だ。
たくましき白翼を備えし馬に乗った騎士が、天を翔けてくるのである。
――天馬騎士。
――国境なき騎士。
――天空の運び屋。
――
そのいずれもが彼女らの一面を表す言葉であり、それらを総合した存在こそが、天馬騎士という職業であった。
バサリ……と、翼をはためかせながら、天馬が城壁に備わった発着場へと降り立つ。
天馬を迎え入れ、また、送り出すためのこの設備は、大きな町ならば必ず備わっていた。
「天馬騎士クリス・ルーメル。
任務により滞在許可を願います」
きびきびとした動作で愛馬から降り立ったのは、驚くほど小柄な少女である。
背丈は兵たちの胸元辺りまでしかなく、体つきもそれに比例して人形を思わせる華奢さであった。
おそらく、エルフ族の血が混ざっているのだろう……短剣のごとく鋭い耳を持つ彼女に人間の常識を当てはめるべきかは疑問だが、ともかく年の頃は十代後半ほどに見える。
ハチミツを思わせる色合いの髪は首の辺りで二つ結びにされており、彼女が騎乗していた様は天馬の背でもう一対の小さな翼が羽ばたいてるかのようであった。
顔立ちもまた幼く、猫科の動物を思わせる愛くるしい造作と相まって幻想じみた可憐さだ。
青空そのものを生地にしたかのように見事な色合いの装束もまた、彼女の可愛らしさを際立たせている。
しかも、少なめの折り畳みで構成されたプリーツスカートに純白のロングブーツという装いであり、これは男であるならば、どのような者であっても視線を引き付けられずにはいられないだろう。
天馬騎士というのは美女美少女であると相場が決まっているものであるが、このクリス・ルーメルという少女はこれまで見た中でも抜群の美少女であった。
だから兵たちは、常ならぬ熱心さで滞在手続きを遂行したのである。
--
とうの昔に太陽は中天を過ぎ去り……。
時刻は、昼と夕方の境目と呼ぶべきところへ差し掛かっていた。
不夜城の名で知られる魔法都市ならまだしも、そこ以外では日の出入りと共に生きるのが人々の暮らしというものであり、ここ鉱脈都市ブームでもそれは同様である。
その日の仕事を終えた鉱夫たちが、酒と女を求めて大通りに群れを成す。
その種族も国籍もバラバラなのは、ここがミスリル・ラッシュと俗に呼ばれる真銀鉱脈発見により、一獲千金を目論む男たちが集って構成される街だからであった。
そんな中に混ざる、あまりにも場違いな少女がいる……。
天馬騎士、クリス・ルーメルであった。
女と言えば男を相手にする商売女か酒場の給仕というのが相場というこの街において、彼女の姿はあまりに異彩を放っている。
だが、そんな少女にちょっかいをかけようという命知らずの男は存在しない。
天馬騎士が腰から下げたレイピアは決して飾りではなく、たすきがけにしている竜皮の配達鞄に用いられる素材は、伝統としてその騎士自らが討伐して得るものであると知っているからだ。
そのようなわけで、各地から集結した荒くれ共から遠巻きに眺められるクリスであったが、その心中は決しておだやかなものではなかった。
その理由はと言えば、ただ一つ……。
(まったく……どうしてただ書簡を受け渡しするだけで、ああも拘束されなきゃいけないんだか!)
……この事である。
今回、クリスに託された任務は、某国からこの街の代表に向けて宛てられた書簡の配達であった。
天馬騎士にとっては代表的で、簡単な任務である。
クリスにとっても慣れ親しんだそれであったが、書簡を渡すにあたって、件の代表から長時間に渡って茶飲み話へ付き合わされるのには慣れていない。
(天馬騎士は誉れ高い仕事だけど、それも時には考え物ってことか……)
代表は脂ぎった年齢の男であったが、彼がやたらとクリスを引き留めたのは、彼女の見目が可憐である以外にも理由が見受けられた。
……ステータス目当てである。
聞けば、彼は住民投票によって選ばれたばかりの新任者であり、言葉を選ばずに評するならばミスリル・ラッシュに乗じて成功した成金であった。
当然ながら、その背景に従来の富裕層や貴族が持つような歴史は存在しない。
で、あるから、彼の屋敷は金にあかせてかき集めた美術品や骨董品の見本市といった有様であり、少しでも己に足りないものを埋め合わせようという強い意志が感じられたものである。
そこに、世界各地で尊敬を集める天馬騎士を接待したという事実が加われば、社交界での覚えもめでたくなろうという算段だったに違いない。
(挙句の果てに、宿泊まで勧めてくるんだから……たまったものじゃないったら!)
国境を持たぬ騎士として、依頼主や配達先に失礼はないよう振る舞うのが天馬騎士であるが、その本分はあくまで配達者であり、くだらぬ見栄張りにつき合う義理はなかった。
だから、代表の勧めを丁重に辞退し、ようやくにも解放されて今に至るのである。
(それにしても……)
大通りに立ち並ぶ、種々様々な酒場や飲食店を眺めながらクリスは思う。
(お腹が、減った……)
すぐに済むだろうとタカをくくり、昼食も取らず配達におもむいたのが良くなかった。
結果として、昼時どころか夕食時にまで時刻は差し掛かっており、クリスの胃袋は必要な栄養を求めしきりに鳴いていたのだ。
胃袋が鳴くと、その持ち主は泣きたくなるほどわびしく、物寂しい気持ちになる……。
これほど大勢の汗臭い男たちがたむろしている、鉱山都市の大通りだというのに……。
クリスはまるで、世界に自分一人が取り残されたような、どうしょうもなくわびしい気持ちに支配されていた。
(よし! 店を探そう!)
素早くそう決断し、鋭い目で周囲を見回す。
種族も国籍も多様な人々が集まるということは、それを相手取る飲食店もまた、色合い鮮やかになるということだ。
クリスを満足させるに足る店の一つや二つ、必ずあるに違いない。
(どこだ……)
人としての耳を持たず、代わりに獣のごときそれを頭部から生やし、獣の尾をも持つ獣人たちが集まる一角へ足を運ぶ。
どうやらこの辺りは央華帝国式の店が集まっているようで、ちらりと厨房に開いた窓を除けば、独特な形状の鍋を振るう姿やせいろで点心を作っている姿が認められた。
(央華人の料理は大抵の国で美味しいけど、でも……)
入るのをためらったのは、いずれの店も深いスリットの入った民族服に身を包む獣人娘が男たちと談笑していたからだ。
中には、明らかに給仕の一線を越えて抱きついたりしている者もあり、クリスが求める食の安寧とはかけ離れた店舗群であることがうかがえた。
(なら、あっちは……)
皮膚の一部が魚のごとき鱗で覆われた、スケイラーたちの集まる一角にも足を運んでみる。
見た目通り、他の種族を遥かにしのぐ水中適正能力を持つ彼らが鉱山都市にいるというのも妙な話だが、それだけミスリル・ラッシュが魅力的であるということだろう。
林水諸国連合を形成する彼らの食文化に特徴的なのは、魚醤や唐辛子をふんだんに用いた独特の味付けであり、たまには目先を変えてそうした料理を楽しむのも良い。
が、またもや……駄目だ。
こちらも先ほどと同様、同性であるのに赤面してしまうほど露出過多な装束に身を包んだスケイラー女たちが接客しており、男たちと同様に迫られたら妙な世界に目覚めてしまいそうである。
(ドワーフの集まってる場所は……お酒の気分じゃないや)
俗に小人族とも呼ばれるドワーフらが集う一角は無条件で避け、大通り中を歩き回った。
歩き回ったのだが……満足いく結果は得られぬ。
(どのお店も、酒! もしくは女! さもなくば両方のセット!)
種族も国籍も問わず集まった男たち……彼らに共通しているのは、荒くれであるという点だ。
そんな彼らを相手取る飲食店は必然として酒や女に力を入れる結果となり、クリスのようにただ静かに食事を楽しみたい者にとっては居心地の悪い店しか見つからぬのである。
(どこか……どこかにないの!? 酒も女も置かず、静かに食事させてくれる店は!?)
騎士として表情こそ鉄面皮を維持しているが、内心は半狂乱となりながらさまよい歩く……。
クリスの鼻がそれを捉えられたのは、かような執念の賜物であっのだろう。
(炭の……匂い……)
まるで、催眠系の魔術にでもかかったかのごとく……。
ふらふらとそちらに向けて足を運ぶ。
(なんか……普通の家って感じだ)
そうしてたどり着いた先……大通りの端も端に見つけたのは、この街ではありふれた板張り平屋であった。
唯一の特徴らしい特徴といえば、入り口に東部諸島様式の珠のれんがかけられている点であろう。
(看板も……何もない……)
炭火が何かを焼く煙に釣られて来てしまったが、どうも料理を提供する店という感じはしない。
(どうもこれは、見誤ったかな……)
そう思った、矢先である。
「ばんわー」
鉱夫らしい男が一人やって来ると、そう言いながら平屋の中に入って行ったのだ。
「いらっしゃい」
そしてクリスの鋭く尖った耳が、確かに奥からそう告げられたのを拾い上げる。
(やっぱり……お店なんだ)
あらためて平屋を見回す。
やはり、看板の類は存在せず、ここが飲食店であることを告げるものは何一つない。
(でも、さっきから客引きする女の人ばかり見て来た私にはそれがすごく頼もしい……!)
こうなると、決断は早かった。
(違ったなら、平謝りに謝ればいいんだ)
かくしてクリスは、謎の平屋へ足を踏み入れるべくのれんを払ったのである。
--
「いらっしゃい」
愛想も何もなく……。
ただ事務的に礼儀を果たすための挨拶で迎えられ、中に入った。
入ったが、これは……。
(まるで別世界だ……)
テーブル席の類はなく、ただカウンターに椅子を並べただけの店内に充満するのは、猛烈な炭火焼きの煙である。
顔立ちと髪の色から珠すだれ同様東部諸島出身と思える店主が、カウンター越しに何かを炭火で焼いているのだ。
(これは……天馬騎士の制服じゃなきゃ、臭い着いちゃいそうだな)
クリスが着ている天馬騎士制服は、それそのものが最新付与魔術の固まりであり、煙の臭いなどつくことはない。
もしも他の服を着ていたのなら、回れ右していたかもしれなかった。
(好きなとこに……座ればいいのかな)
二、三人いる客は、店内に充満する煙などものともせずにひたすらドンブリ料理をかきこんでいる。
いかにも煤汚れた鉱夫姿の彼らにとって、この程度の臭いなど問題にならないのだろう。
「ご飯の量は?」
「え?」
着席するや否や、間髪入れずにそう聞かれ口ごもる。
「うちは、一種類しかないから。量だけ選んでもらってるんです」
店主が、口調こそ丁寧なもののやはり無愛想な声でそう告げた。
「じゃあ……普通の量で」
「はいよ」
あれよあれよという間に注文も終わってしまい……。
後はただ、何が出てくるか待つばかりとなる。
(不思議な店だ……)
店内を見回しながら、そんな感想を抱く。
客は皆、煙などものともせさずにドンブリ料理をかきこむばかり……。
そこに、会話などが差し挟まる余地はない。
(他に見たお店と全然違う……本当にただ、飯だけ食って出ていけって感じ)
他の店は、少しでも長居させてミスリル・ラッシュで得た金を絞ろうという意思が感じられた。
それが、この店にはない。
思えば、看板などを掲げていないのもそういった心理が反映されているのかもしれなかった。
「はい、どうぞ」
そうこうしていると、他の客と同じドンブリ料理が目の前に置かれる。
(うは、これは……ウナギか!?)
この店に唯一存在するメニュー……。
それは、ウナギを開いて炭火焼きにしたものを乗せたドンブリ飯であった。
ウナギは東部諸島お馴染みの醤油を使ったのだろうタレがふんだんに絡まっており、それがご飯の上に広がっていて何とも言えぬほど蠱惑的である。
(いただきます……!)
木匙を手に取り、いざ挑む。
余分な前置きなどい必要ない……それがこの店における作法であろうし、そういった作法は今のクリスにとって望むところであった。
だが、猛然と挑みかかった木匙が……ぴたりと止まった。
別に何か、異物があったわけではない。
漂う香りがあまりにかぐわしくて、思わずそれを味わってしまったのだ。
(すごい……この匂いだけで一つの料理だ)
入店した時はあれだけ煙たく感じられたそれが、いざ料理に付与されると何とも言えず格調高い香りとして昇華されており、鼻孔を通じて収縮していた胃を広げさえするのである。
まるで前菜を味わうように……。
たっぷりとそれを吸い込んでから、今度こそ木匙をウナギに突き刺す。
否、突き刺すというのでは語弊があった。
(やわい……!)
これも炭火焼きの効能だろうか……。
おどろくほどふっくらと焼き上がったウナギは、木匙に触れた先からほろりと崩れていくのである。
これは焼き物料理というより、それこそ東部諸島の豆腐でも相手にしているような感覚だ。
木匙ですくったウナギの身を……口の中に放る!
(――――――――――っ!?)
次の瞬間……。
何を考えるでもなく、ひたすらに飯をかきこんでいた。
そうせざるを得なかった……。
この味を受け止めるには百の言葉をもってしても足らず、それが可能なのはこれが乗せられた白飯ただ一つのみだったのである。
(美味すぎる……!)
これまで味わってきた川魚の料理とは、次元が違う。
どこまでもやわらかで、それそのものは淡白な味なのであろうウナギの身は、甘じょっぱいタレを吸い込むことでスゴ味すら感じさせる力強さを得ており、食べた者を白飯をかきこむだけの奴隷へ陥れる暴君と化しているのである。
(でも、こんな奴隷労働なら大歓迎……!)
味覚が命じるままに奴隷へ身をやつし、圧倒的多幸感が伴う隷労へ打ち込む。
じっくり蒸らされてピカピカの白米は、ミスリル鉱脈が発見された鉱山のごとく瞬く間に掘り進められてしまった。
(――ごちそうさま!)
名残惜しく思いつつも、最後の一口をかきこむ。
肉体労働に挑む男たちを基準にした盛り付けは、並盛りであっても婦女子には少々荷が勝ちすぎる量であったが、クリスの胃はそれを受け入れてなお物足りなさすら覚えていた。
「お勘定を」
「ありがとうございます」
これも、ミスリル・ラッシュに便乗した労働者向けなのだろう……。
他の街に比べれば驚くほど高額な代金を支払い、店を出た。
--
(鉱山都市に来て、思わぬ金鉱脈を掘り当てちゃった)
来た時と比べて、驚くほどゆったりと余裕のある歩調で愛馬の世話をするべく帰路につく。
見渡せば、先ほどと変わらず商売女が鉱夫たちを店に誘う光景……。
けれど今度は、忌々しさを抱かずそれを見ることができた。
(この街は、誰も彼もが鉱脈を掘り当てようとやって来る……)
男たちがそういった店に入り浸るのは、そんな夢をかなえるための活力を得るためなのだろう。
(でもきっと、一番の勝ち組はそういう人たちから金を巻き上げる側の人間なんだろうな……)
そう考えると、目の前で繰り広げられる光景が何やらうすら寒く感じられてきて……。
クリスは少し歩調を早め、大通りを行くのだった。
その髪に少しだけ、煙の匂いをまといながら……。
ペガサスナイトのお食のしみ 英 慈尊 @normalfreeter01
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