クピドの矢が引き抜けない

朝霧

恋だの愛だの心底どうでもいいと思っていたあの頃に戻りたい

 私はどうやら世間一般的に言うところの恋に堕ちてしまったようだ。

 私がそれに気付いた直後に真っ先に行ったモーションは顔を赤らめるのではなく、頭を抱えてしゃがみ込むというようなものだった。

 他者との繋がりを面倒だと切り捨て、自分の楽しいことだけを追求する享楽主義者のこの私が、恋とか聞いて呆れる。

 ああ、なんて滑稽、実に馬鹿げている。それでも好きになってしまったのだから仕方ない。

 好きになってしまったのだからそれは仕方がないので、次に練るのは対策だ。

 要するに、嫌いになる努力をする必要がある。

 いや、嫌う必要はないのか、元の無関心に戻ればいい。

 できるだろうかと自らの魂に問いかける。

 根っからの享楽主義、楽しければオールOKな我が魂はお気楽に『いやこれ無理じゃね?』と。

 無理でもどうにかせねばならんと理性の塊であるお脳味噌で魂肉体その他に指令を送ってみるけど、どの機関も『まあ無理だろう』と否定する。

 じゃあどうしろとオーバーヒート気味の脳味噌が各自に問いかける。

 魂は『放置でよくね?』と、肉体は『好かれればよくない?』と。

 どっちもできるわけないだろうと一喝した直後に残った心が『そんなことよりさっさとゲームの周回しようぜ!』と直近の楽しみを優先して問題を先送りにしようとする。

 享楽主義もここまで染み付いていると色々問題があるだろうと脳で考える、今この瞬間に気付けた私の人生はひょっとしたら結構違ったものになるかもしれない。

 脳味噌だって本当は放置したい、どうでもいいと切り捨てて遊びたい、あと甘いもの食べたい。

 でもこれは放置すると後々響く気がする、所謂恋の病とやらのせいで辛くなって楽しいことが楽しく感じられなくかもしれない。

 それは大問題だった、どうせ一度きりの人生なのだから、他人を巻き込まない範囲で好き勝手生きて楽しく生きて死にたいのに。

 恋などという不要な感情のせいでそんな人生計画をおじゃんにするわけにはいかないのである、さあだからどうにかしろ。

 できればうまいこと恋する前の自分に戻りたいものだ、三日後くらい後に『そういやこの前こんなことあったなあ』と笑い飛ばせるようなお気楽な感じで。

 さあ、策を講じろ案を練れ。

「どうしろと????」

 策も案もさっぱりだった、そりゃあそうだ、だって私、恋愛初心者だもの。


 まず、前提条件として私はX(はちゅこいのひと)に嫌われている。

 そりゃあそうだ、誰がこんないい加減な享楽主義者を好き好むものか、蓼食う虫もいるとは言うが、さすがにこんなのを食うようなのは何もないだろう。

 嫌われてるような奴の事をなんで好きになったのかって?

 知らねーよ、顔が良くて真面目で努力してて意外と笑顔が幼くて可愛かったからだよ、ほんと世の中クソだな。

 あんなもので即オチした自分のSAN値、どれだけ低いわけ?

 ああ゛あぁ〜〜〜もう嫌だああ゛ああああああああ!!

 なんて濁点混じりに叫んでもどうにもならないので、策を講じる。

 私は早急にこの眼球から突き刺さったクピドの矢を引き抜かねばならんのだ。

 考えた結果、Xのあの笑顔のせいで即オチしたのなら、それ以外の記憶で上書きすれば良いのでは?

 Xは基本的に常に仏頂面だ、あのしかめ面を見続ければあの笑顔が私の脳味噌から自動的に上書き消去されるのでは?

 なんだか名案な気がしたので、翌日実施することにした。


 朝早くからXが教室で自習しているのは知っていたので、私も早めに登校して教室の自席に陣取る。

 さあ、いつでもきやがれ、さっさとその顔を上書き保存させておくれ。

 そう思いながら待ち続けて約六分五十三秒、ようやくXが登校してきた。

 私の席はXの一つ前である、なので後ろを向くだけでXのしかめ面を眺めることが可能だ。

 なのでXが席について自習を始めた気配を感知した直後に椅子をくるっと後ろに向けて、その顔を観察する。

 相変わらずの仏頂面だった、不細工め。

 昨日の笑顔が脳の自動保存機能によって上書きされる直前に、視線に気付いたのかXが顔を上げる。

 視線がばちんとあった。

 どうしよう、超気まずい。

 ぼっちだけど享楽主義で空気を全く読まないと酷評を受ける私でもわかる、これは非常に気まずい。

「………………なんの用だ?」

「顔がお綺麗だなあと思って、それだけ」

 問いかけに咄嗟に軽薄な口からそんな台詞が流暢に。

「はあ?」

 にらまれた。

 ………………うっ!?(心臓を抑えるモーションとともに)


 さて、この度の醜態、どう責任を取るつもりだと比較的理性的な脳味噌で心臓に問いかける。

 心臓は弁明を始める、だってあんな鋭い視線で睨まれたら全身に過剰に血を送るほかどうしようもないだろう、と。

 無駄な弁明を始めた心臓を右拳でぶん殴る、痛いだけだった。

 Xの笑顔はなんとなく薄らぼんやりとしてきたけど、今度はあの視線が脳に焼き付いて消えてくれない。

 思い出すたびに心臓が過剰に活動を活発化しやがるし、いっそもう動きを完全に止めてやろうか、死ぬわバカ。

 なんて頭の悪いセルフツッコミをしている暇などないくらい自体は深刻だ。

 作戦は失敗した、ある意味成功ではあったのかもしれないが、事態は見事に悪化した。

 クピドの矢は抜けるどころか逆にさらに深く刺さってしまった、どう処理すればいいんだろうかこれ。

 これ以上の悪化は食い止めたいものだ、さて何をすればいい?

 ここで無能な魂が『放置すりゃいいじゃん』と。

 うるさい黙れ無能と叱咤するけど魂はこう続ける『どうせ私は飽き性だし? なんもしないで放置しときゃあすぐ飽きるでしょ』と。

 ……確かに一理ある。

 どうせ自分は享楽主義者……楽しくもなんの面白味もない恋なぞすぐにどうでも良くなるに決まってる。

 そういうわけで、何もせずに放置することにしよう。


 翌朝、いつも通りの時間に起きて学校へ。

 まだ時間があったので後ろのことなど一切気にせず机に突っ伏して居眠りを。

 ボロ雑巾みたいな猫を拾って洗っている途中で、肩を誰かに揺さぶられる。

 おいやめろ、私が手を滑らせて猫ちゃんが溺れたらどうしてくれる。

「おい、起きろ」

 低く囁かれて手の中からちっちゃい猫ちゃんが消える。

「……!!?」

 ばっと身体を起こす、猫ちゃんはどこだと思わず周囲を見渡したけど普通に夢だったことに気付く。

 周囲を見渡して、至近距離で目があった。

「……おおう?」

「起こしてやったんだから礼くらいは言ったらどうだ?」

 Xの顔からゆっくりと顔を逸らして黒板の上にかかっている時計を見る、時計の針は予鈴はすでになっているような気がする時刻を指していた。

 もう一度Xの顔をまじまじと見る。

「アリガトゴザマス」

 いや、頼んでねーよ。


 何故、何故私はあの時眠ってしまったのかと自責した。

 なんだって目覚めの一番隙だらけの瞬間にXの顔を見る羽目になるんだと硬い煎餅をバリバリ音を立ててやけ食いしながら思わずちょっと涙が出てきた。

 享楽主義な魂が『こりゃおちおち昼寝もできんな』とケラケラ笑う。

 笑うごとじゃあねえんだよと魂をパンチングマシーンの代わりにしてやりたかったが、物質として存在していないそれを殴るのは不可能なので諦める。

 昨日よりもさらに悪化してしまったが、だからこそどうにかしなければならない。

 とりあえずもう朝早くに学校に行くのはもうやめよう、遅刻ギリギリに教室に着くようにすればひとまず朝は関わらずに済む。

 遅刻したくないから今まであの時間帯に行ってるのだけど、背に腹は変えられない。

 一応無遅刻無欠席を狙っているのだけど、もう諦めよう。

 昼休みも教室から出て行こう、ギリギリまで図書室にでも引きこもっていればいい、そうすれば事故は減らせるだろう。


 翌日、私はギリギリで遅刻しない時間に教室にたどり着いた。

 電車やらの時間の感覚が分からず危うく遅刻しかけたが、走ったらギリギリセーフだった。

 息も絶え絶えでふらふらと席につく、そうしたら後ろから一言。

「珍しいな。今日は欠席かと思ったぞ」

「……あ、はは」

 なんでそういうことわざわざ言ってくるの? と振り返って真顔で問いかけた後、顔面にパンチ喰らわせても私はきっと許されると思うのだけど、どうだろうか??

 まあ、今の私にそんな体力なんざないのだけど。


 昼休みになって昼食をかっこんで、教室を飛び出して図書室にゆっくり走り込んだ。

 さて、何を読もうか、なんか面白いラノベでも入ってたりしないだろうかと新刊コーナーに何気なく足を運んだ私が目撃したのは、カウンターに立つXの姿だった。

 そういやX、図書委員だった。

 咄嗟にその場から離れてカウンターから離れた図書室の奥深く、海外文学のコーナーへ。

 違うんだ知らなかったんだ図書委員なのは知ってたけど今日が当番だなんてしらなかったんだ。

 ストーカーなんかじゃないんだ、信じてくれ。


 何をしても裏目に出ている気がする、さてどうするべきかと考え込む。

『図書館もしばらく立ち寄れねーな』と魂は呑気に笑う、笑ってる場合か。

 本当にどうしようかと思った、魂は『いつも通りでいいじゃん』と笑い飛ばす。

 それでうまくいってりゃもうとっくに笑い話になってるんだよと魂に突っ込む。

『いっそもう当たって砕けちゃう? 百パー振られるからかえってスッキリするんじゃねーの?』と魂が言うけど、そんなのわかりきってるくせに無関心に戻れないのだから苦悩しているんだろう。

 百パーセント無理だとわかっていても諦めきれないものを振られた程度で吹っ切れるとか呑気なことをお考えで? 下手したらストーカー化する奴だぞ、そんなクソ面倒なことになってたまるかと脳内だけで叫ぶ。

 ああさっさと抜けてくれクピドの矢、いっそ貫通してどっか行ってくれよ。


 特になんの対策も思いつかずに、私はいつも通りよりも少しだけ遅い時間に教室に入った。

 Xはまだ来ていなかった、どうでもいいと切り捨て席に座る。

 この前居眠りして大失敗したので、今日はスマホのアプリゲームをやる。

 基本的に周回だけやるつもりだったのだけど、ふと欲求に逆らえずガチャ画面へ。

 単発で一回だけ回す、どうせ大したのは……お?

 まってまってまって、高レア確定演出きたんだが???

「あ……あ゛っ…………!!?」

 超レアキャラ来た――――!!!?

 え? マジで、嘘だろ単発1回目だぞ??

 しかもずっとお迎えしたかったお方!!

「ひ、ひひひ……」

 ここ最近不幸(恋)に振り回され続けたからな、その分の幸福が、今ここに――!!

 どうしよう超嬉しい、小躍りしちゃおうかしら?

「おい、大丈夫か?」

「ほぇ?」

 後ろから聞こえてきた声に反射的に振り返る、満面の不気味な笑顔を浮かべたまま。

 いつの間にか登校していたXが気味の悪いモノを見るような目でこちらを見ていた。

「ナンデモナイ」

 即座に笑顔を消して前を向き、思わず机に突っ伏した。

「なんでもないって」

「レアキャラヒケテウレシカッタダケダカラ、ホントソレダケ」

 振り向かずにそれだけ答えて、思わず目元を覆う。

 私が……私が何をしたと言うんだ、神よ。

 ああ、どうしてこうもうまくいかないのだろうか?

 せっかく待ち望んだレアキャラをお迎えできたのに、羞恥のせいでちっとも嬉しくない。

 これはやはり享楽主義者たる私の生き様に反している、早急に修正する必要が……

「ああ、そのキャラ……よく知らんがすごく強いんだったか?」

「……!! ……知ってんの?」

 顔を上げて、思わず跳ねかけた声を落ち着かせて問い返す。

「兄貴がやってて……最近そいつ狙いで爆死したらしくてうるさくてな」

「あらまあ……」

 そりゃあご愁傷様と思いながら何気なく振り返ると、Xはどうしようもなさそうな呆れ混じりの笑みを浮かべていた。

 ……はあ、もう勘弁してくれ。

 と、脳で思いつつ能天気な我が魂は『赤の他人相手にこうも振り回される自分が笑えて逆に楽しくなってきたわ』と呑気に笑った。

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クピドの矢が引き抜けない 朝霧 @asagiri

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