第3話 出会い
ひゅうっと冷たい風が入ってくる。月と星がはっきり輝く空を見上げて、新鮮な空気を吸い込んだ。
締め付けられた体は自覚していた以上に苦しんでいたらしい。深呼吸すると軽く目眩がした。くらりとよろけ、細いヒールでは踏ん張りが利かず体が傾いていく。
遠退いていく意識の中で、倒れてドレスに傷がついたらどうしようかという考えが一瞬よぎるが、倒れた先は固い床ではなかった。
硬いけれども無機質な床ではなく温もりのある何かが体を包んでいる。
「大丈夫ですか?」
倒れた先は誰かの腕の中だった。声からして男性らしい。細いけれども程よく鍛えられた腕。
顔をあげてもしばらく視界がはっきりせず、ぼんやりと声の主を見あげる。左頬にかかった髪は細長い指に優しくとかれ、耳にかけられた。
(綺麗な目)
黒曜石のようだった。吸い込まれそうな黒。
その宝石の目元が優しく弧を描くのを見て、我に返った。
「すみません!」
慌てて起き上がろうとして、やんわり止められる。「ゆっくりで構いませんよ」と言いながら体を支えてくれた。
「中へ戻りますか? 寒くなければこちらで休まれますか?」
「こちらで結構です。ありがとうございます」
丁寧にお辞儀をすると、さらに丁寧に手をとってバルコニーに置かれていた長椅子へ誘導され、サクラが座っても男性は立ったままでいたので隣を薦めると遠慮がちに腰を下ろした。
すべての動きがスマートで、やはり高貴な方は違うなと感心していると、胸元にある紋章が目に入る。
王冠と花と盾が描かれており、どこだったかなと影武者教育で懸命に覚えた各国の紋章を記憶の底から引っ張り出した。
「サタール国の……」
確か南東にある国だったはず。
「よくご存じですね。我が国はとても小さい国なのに。さすがセイレティア様です」
優しく微笑まれる。
「私のことをご存知なのですか?」
「当然です。バルカタル帝国の皇女様を知らないわけがありません」
この国に招かれているのだ、皇帝の兄弟姉妹を知らないわけがない。失礼なことを言ってしまったと恥ずかしくなった。
クスッと笑い声が聞こえた。
「失礼。噂通りの方だったので」
噂とはなんだろう。
魔力がないとか病弱だと国内では言われているようだが、他国にもそれが伝わっているのだろうか。
小首を傾げると、
「大層お美しく可憐でいらっしゃると聞いておりました」
キザなことを言われ顔が赤くなる。
確かに主人であるツバキは綺麗だ。しかし影武者をしている身としてはおおっぴらに言えないことだ。
「そんなことは」
「気づいていましたか? 貴女に声をかけようとしてなかなか勇気が出ない男が何人もいたことを」
何人かと目があっても話しかけられなかったことを思い出す。
「それは、州長官ではないので敬遠していたのでしょう」
「いいえ。とても魅力的だからですよ」
また歯が浮くようなことを。本物のツバキだったらどんな反応をするかわからず、赤面してうつむくことしかできない。
このままいてはダメな気がする。
ちょうど、室内でささやかに流れていた音楽が華やかな曲調に切り替わった。ダンスの時間だ。しかしこの衣装で踊る自信はない。
「ごめんなさい。気分が優れないので部屋へ帰ります」
「お送りしましょう」
「大丈夫ですから」
顔が上げられない。
(私はセイレティア=ツバキ。サクラじゃない)
転ばないように、主人のように優雅に、でも急いで。
「待って」
手を捕まえられる。本当にもう行かなければ。先程とは違う息苦しさに襲われる。
「私はシルヴァン・カサル・シーフォンス。今日は会えてよかった」
何も言わず、振りほどくように手を離し、サクラはその場を後にした。
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