第74話 兄弟がやってきた 後編
一週間ほど経ち、いよいよ新しい子を迎えに行く日がきた。
綺麗に洗ってしわを伸ばした服を着て、アリシアはウィンプル(頭巾)の上にヴェールを被り、ライリーにも帽子を被らせた。
二人は馬車に乗り込んで、街の中心部へと向かう。ライリーは、新しい子に食べさせてあげるのだといって、干しブドウの入った小さな籠を抱えていた。アリシアは、祭司が持たせてくれたメモ書きにもう一度目を通す。そこには新しい子の名前が書かれていた。
「なあ、俺にも見せてよ」
「良いよ。読めるかな?」
手を伸ばしたライリーに渡す。学校には通えない代わりに、祭司やアリシアから読み書きを教わっていたのだ。
「えっと、ア、シュ、レ、イ……チャ」
「アシュリー・チャンドラ君だよ。名前はちょっと難しいね」
「じゃあ、アシュリー君いますかって聞けば良いんだな」
「そういうこと」
それから二人は、ちょっとしたお出かけ気分に浸りながら揺れる馬車に身をゆだねていた。乗ったばかりの頃は、窓の外を見ながらあれは何、これは何、としきりに尋ねていたライリーだったが、段々口数が少なくなっていく。
「気持ち悪いかい?」
酔ったのかと思ったアリシアが聞くと、首を振った。だが固い表情のままずっとうつむいている。窓の向こうに広い庭と、大きな建物が映った。子ども達が走りまわっている。そろそろ孤児院が近づいているのだ。
「もう少しだから、我慢してね。もしかして、緊張してきた?」
馬車を降り、石畳の道を歩いて行く。入り口に白い聖人像が建てられていて、二人を出迎える。生け垣は整えられており、遠くには噴水を中心に色とりどりの花が植えられた庭園がある。
「なんか、どきどきしてきた」
ライリーは彼女の後ろにしがみついて、きょろきょろしている。具合が悪そうに見えたのは、緊張していたからなのだ。アリシアも周りにいる子ども達にじろじろ見られ、気が気ではなかった。
両開きのドアを叩く。ドアの上にはドーム状に窓が付けられ、色のついたガラスがはめ込まれていた。
「いらっしゃいませ。どちら様でしょうか」
髪を全て後ろで束ね、きりっとした眉が印象的な女性が出迎えた。彼女の後ろには小さな男の子がしがみついている。ドレスの上にきた前掛けのシミが、ここでの生活を物語っているようだった。
「エスタ・ブラッドリーから来ました。私、アリシアと申します。ここにいる子はライリー。アシュリー君を迎えに来ました」
アリシアも孤児院に来るのは初めてなので声が震え気味だ。彼女は辺りを見渡すと、首を傾げる。
「あら、荷物をまとめておくよう言ったのに。裏庭にでもいるのかしら。ちょっと待っていて下さいね」
アシュリーの名前を呼びながら、子どもと一緒に奥へと歩いて行く。しかし、女性の周りには、どんどん子どもが群がってきて、あれして欲しい、誰々が意地悪した、これを見て欲しい、誰それがこぼしちゃったと思い思いのことをぶつけていく。彼女は手際よく一つ一つ穏やかな雰囲気を保ったまま片付けていく。とてもアシュリーを探しにいくどころではなかった。
「なあ、裏庭見てきていい?」
痺れを切らしたライリーが、アシリアの服を引っ張り、裏庭に繋がっているであろう細い通路を指さす。生け垣と壁の間に石畳が敷いてあった。所々欠けていて危なっかしい。生け垣には白い花が顔を出している。
「駄目だよ勝手に入っていっちゃあ」
ライリーの手を引っ張り返して制す。だが、女性が戻ってくる気配はない。他の人に頼む余裕すらなさそうだ。それに、女性の働きぶりを見ていると、どことなく母親の見本を見せつけられている感じがしてきた。
「やっぱり……私たちも探しに行こうか」
ライリーは真っ先に通路へ駆けだしていく。アリシアは中に入って子どもと話しながら床の掃除をしている女性に近づく。
「あの、裏庭に行っても良いですか? 私たちで探しに行きますので」
「悪いわね。お願いしてもいいかしら?」
「はい」
アリシアもライリーを追いかけ通路に入る。伸び放題になっている生け垣を手で払いのけながら奥へと進む。甘い花の香りが漂う。段々何人かの話す声が聞こえてくる。
ところが、裏庭と思われる開けた所に出ると、様子をうかがっているライリーを除くと、少年が一人佇んでいるだけだった。大きな鞄を足下に置いて、裏庭に繋がる扉にもたれかかりながら、天を仰いでいる。
ライリーが駆け寄ってきて袖を引っ張る。この仕草をするときは屈んで欲しいとき。ライリーがアリシアの耳元で囁く。
「あいつ、なんか女の人と話してるみたい。どうする?」
耳を澄ませると、微かに高い声が聞こえてくる。目に見える人と、入ってくる声が釣り合っていなかった。建物の中にいる子ども達の声が漏れているのかと考えていたが、ライリーの話を聞き、自分には見えない何かがいるのだと思い直した。
もう一度少年に目を向ける。明るい髪を短くして、ボタンの少ないカソックのような服を身に纏っている。鼻筋は整っていて、くりっとした目元と小さな顔は可愛らしい。背がライリーよりも高く、明らかにライリーよりは年上に見える。
少年はアリシア達に気がつくと、爽やかな笑顔を貼りつけて近づく。恭しく頭をさげ、話かけてきた。
「こんにちは。どうかされましたか? 入り口は、あの道を通って右側ですが」
「こんにちは。君が、アシュリー・チャンドラさんかな?」
「ええ、あ、はいそうです」
アシュリーの顔が僅かに強ばる。ライリーは恥ずかしいのか、アリシアの後ろに隠れた。
「君を迎えに来たんだ。私はアリシア。こっちはライリー、君の兄弟になる人だ。これからよろしくね」
「初めましてアリシアさん。遠路はるばるありがとうございます……もう帰ってもらって良いですよ。上の人には迎えに行ったけど会えなかったとか言えば納得してくれるでしょうから。院長も口裏合わせに協力してくれるはずですよ。ほら、その方がお互い幸せでしょう」
アリシアは呆然としていた。少年が言わんとしていることを理解できなかったのだ。頭の中で整理して分かったことは、彼は礼拝所に行きたくない、ということと、アリシア達が彼を迎え入れることを嫌がっている、とアシュリーは考えているらしい、ということだった。
彼女はすぐに、ライリーとは別方向で面倒な子だと確信した。
(まずは誤解を解くところからはじめないと)
「君は、私たちの所に来たくないのかい?」
「ええ、そうですね」
「まあ、確かに治安は悪いし、ここほど良い暮らしはできないね。うん。仲良しの子達ともはぐれてしまうことになるし。それで、君はここにいたいのかい? 気をつか
わなくて良いよ。正直に答えて」
「いいえ、別にいたくありません」
「じゃあ何で来たくないんだ……他に行きたいところがある!」
「特にありません。本当に、ただレディ、貴方に心穏やかでいて欲しいだけです。折角会えたのですから、思い出は美しいままの方が良いと思いませんか?」
アシュリーはまだ笑顔を崩さない。ただ、体を揺らし始めているので、内心苛立っている様子だった。
「君、要領を得ない言い方するね、もっとずばっとはっきり素直になって良いんだよ。まだ若いんだからさ。ああ、少なくとも私たちは君を歓迎しているし、この子は兄弟ができることを楽しみにしていたんだよ」
「レディからそんな言葉をいただけるなんて光栄です。命令されてきただけなんでしょうけど。でも、もう良いんです」
一気に声のトーンが下がる。少年は我慢の限界だったようだ。
「どうせ後から気が触れているとか言うんだから、早いところ切り捨てて下さいよ。その方が自分も気が楽です。仮初めの優しさはうんざり」
達者な口をきいてはいるが、十二・三歳位の少年。自分がどんな扱いを受けているのかも分かっていて、沢山傷ついて、それでも、彼なりに強がって傷を隠そうとしてきたのだろう。
(なんだ、結構けなげな奴じゃないか)
膝を曲げてアシュリーと目線を合わせる。奇行の正体には見当がついていた。どうしたら彼が来る気になるだろうか、と考えながら言葉を紡ぐ。
「私は、君が悪魔に取り憑かれているとか、頭がおかしいとも思っていないよ。だた、この世にいないはずの人と話していただけなんだよね」
彼の顔から血の気が引いていく。
「別にオオカミ少年の話につきあってくれなくていいですよ」
「そりゃあ、礼拝所に悪魔が入り込むことだってあるし、神様がいるかどうかなんて分からない。現にここにだって、妖精の類いが色々いるんだろう? 私には見えないけど、この子は見える子なんだ。仲間ができると良いなって思ってたんだけどね」
ライリーを前に立たせる。緊張が解けて来たのか、じっとアシュリーを見つめていた。
「本当ですか、怪しいですね。じゃあ、あの辺にはなんかいます?」
彼が指で示したのは生け垣だった。ライリーがちらりとみやるとすぐに答えた。
「花の妖精だろ。白くて、丸くて、ちっちゃいの」
アシュリーが目を大きく開く。驚いているようだった。
「じゃあ、ここ」
次に指したのは、アシュリーの背後。
「女の人。青い服着てて、髪が長い人。さっき話してだだろ。知り合い?」
「じゃあ、今なんて言った?」
「あ、こんにちは。え、どこからって、礼拝所から来たんだよ。ずっと向こうにあるんだ。あれ、どっちだっけ。とにかく馬車に乗って来たんだ。ここよりぼろくて狭い所だよ。でも俺好きだ。毎日暖かいスープ飲めるし。面白い奴がいっぱいいるんだぜ」
アシュリーの質問を無視してそこにいるであろう女の幽霊と話し始める。アシュリーも呆れた顔で彼らの様子を横目で見やる。ライリーが見えているということは目にも明らかであったが、まだアシュリーの疑いは晴れていなかった。会話が途切れた所で声を張り上げる。
「はい、最後の問題。あそこにいるのは?」
今度は先ほどアリシア達が通ってきた裏庭への入り口だった。アリシアは、一瞬辺りがざわめいたように感じた。ライリーは暫くの間見ていたが、首を傾げてアリシアの顔を見る。
この辺りにいる妖精や幽霊達も二人の様子を見守っているのか、静まり返っている。
「どうしたんだい?」
「何も、いないんだけど……」
「チッ。正解だよ正解。本当に見えるんですね」
「そうそう。私たちはね、祓魔師っていう、大概はその辺にいる幽霊とかなんだけど、一応悪魔をお祓いする仕事をしているんだ。追い出すのも大変だけど、本当に悪魔憑きかどうか見極めるのが一番大変なんだ。君にも向いていると思うよ。やってみないかい。既に弟子もいることだしね」
ライリーの肩に手を置く。彼は誇らしげに胸を反らした。アシュリーは辺りを見渡しながら、思案している様子だった。そして、背後にいる幽霊の顔色をうかがうように後ろを向くと、ゆっくり頷いた。
「面白そうだから、行ってもいい?」
「勿論、決まりだな。荷物持っておいで、最後に表で挨拶していこう」
「そうだ。これ食べるか?」
「いらない」
籠を差し出したままライリーがうなだれている。歓迎の印に干しブドウを持ってきていたのだった。二人が仲良くなるにはもう少し時間がかかるかもしれない。
「せめて馬車に乗ってからにしようか。ほら行くよ」
二人に声をかけると、ライリーが籠を抱えて歩き出し、アシュリーは裏口の辺りに置いてある大きな鞄を取りに行く。彼が荷物を運んでいるのを確認しつつ、アリシアが細い通路に入って行こうとしたとき、背後から
――あの子をよろしくお願いします――
か細く澄んだ声が聞こえてきた。きっと幽霊が話しているのだろう、そう考えたアリシアは
「任せて下さい」
何も無い空間に向かって力強く答えたのであった。
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