第72話 奇妙な包み その3
祓い部屋の扉が開いている。中に入ると、床に血がぽたぽたと垂れていた。ライリーが枝を握りしめ、呆然と立ち尽くしている。彼を庇うように祭司が腕を押さえながら立っていた。
彼らの前には、鎌のような武器を携えた巨大な黒い影が立ちはだかっていた。そいつがライリーをめがけて鎌を振り下ろす。彼女は棚の上に置いてあった燭台を掴み、すんでの所で攻撃を受け止めた。
「ベン、ライリー。大丈夫かい!」
「ししょー……父さんが、父さんが」
攻撃を押し返し、いったん相手の鎌が離れる。とにかく彼らを退避させるなら今のうちだ。
「下がってて。話は後だ。ベン、腕を見せて」
彼は強く腕を押さえ、痛みに顔を歪めていた。
「ああ、アリシア君。すまない。私が不甲斐ないばかりに」
「ううん。私が悪いんだ」
カソックの袖から血が滲み、したたり落ちている。辺りを見渡すと、丁度良いところに聖水入れが置かれていた。
「神よ、清めたまえ」
袖をまくって聖水をかける。傷口に沁みたのか、祭司がウッと声を漏らす。手の甲から肘にかけて二本、切られた跡があり、幸いそこまで傷は深くなさそうだった。持っていたハンカチで傷口を縛るが、広くて覆いきれなかった。
「ライリー。ビルに傷の手当てを頼んできて。ベンもとりあえず部屋を出た方がいい。アレは私がなんとかする」
二人が部屋を出たのを確かめると扉を閉める。血の臭いと寒気が漂う中、改めて目の前の化け物に相対する。
声を聞くことしかできなかった彼女が初めて目にした化け物。長い髪のようなものをなびかせている。これほど恐ろしい魔物に出会ったことはなかった。影に浮かぶ大きな目が一つ。憎悪に満ちたまなざしを向けている。
体が震えている。しかし、彼女には守るべき人達がいる。一か八か、封印を施すしかない。棚の中から銀でできた小さな壺を取り出し、それを聖水で清める。床の比較的綺麗な所に壺を置くと、カソックを脱いで壺を囲み、それに再び聖水を垂らした。
これで封印する器と、簡単な結界を作ることができた。床に落ちていた羽飾りを握りしめ、祈りのポーズを取る。
「天におわす神よ我らが罪を許し給え、英雄よ降り立ちし地に祝福を与え給え、月の天使ルラセルよ、悪しき者を打ち倒し給え……」
魔物が鎌を振り下ろす。辛うじて避けて祈りの言葉を唱え続ける。切られた毛先が舞った。攻撃されては避け、あるときは受け止め、と攻防を続ける。
段々アリシアの動きが鈍くなり、そろそろ体力の限界に達しそうになったとき、相手も痺れを切らしたのか、持っていた鎌が黒い霧となって腕と同化し、巨大な手が彼女めがけて伸びてきた。咄嗟に床へ伏せ、黒い手が結界の中に入り込み、瓶に触れる。
そのとき、手先が瓶の中へ吸い込まれて行った。魔物は体を揺らしてもがくが勢いは止まらない。アリシアは魔物の背後に回って羽根飾りで背中を押し、結界の中に体を押し込む。手応えはなかったが、どんどん影が小さくなっていく。
魔物の体が全て吸い込まれると、栓で蓋をし、羽根飾りと一緒にカソックで包み込んだ。
これ以上、彼女にできることはない。ここで保管しても危険なので、すぐに大礼拝所の方へ引き渡しに行くことを決めた。
着替えを済ませ、封印した瓶を綺麗な布に包み直した後、外に出ると、ライリーがうつむいて立っていた。
だから触るなって言っただろ、という言葉が喉まで出かかったが、
「ごめんなさい……」
うつむいたまま、消え入りそうな声で謝る弟子を見ると何も言えなくなってしまった。彼の落ち度は、彼が一番分かっているはずだから。代わりに空いている腕で小さな体を抱き寄せた。
「ごめんな。怖い思いをさせちゃって。私がさっさと片付けていれば良かったんだ」
「違う、違うよ。だって、ししょーは忙しかったから。俺ちゃんと見張ってるって約束したのに。守れなかったから、俺が弱かったから」
「ありがとう。道具を置いといてくれたおかげでちゃんとお祓いできたんだよ。でもな、もう無茶はするなよ。あんたはまだまだこれからなんだからさ」
ようやく彼はいつものように涙を流した。
「落ち着いたらお父さんに謝りにいこうな」
着替えたばかりの服が汚れるのも構わないで、暫くの間、泣き崩れるライリーの背中をさすっていた。
***
街の中心地にある大礼拝所へ、魔物の入った瓶を引き渡した帰り、馬車の中でアリシアは考え事をしていた。
あの包みの中には魔物が閉じ込められていた。包みを初めて見たときは、正直アトル信者の嫌がらせではないかと思っていた。実のところ、今でもあの魔物はアトル直属の眷属、あるいはアトルそのものだったのではないかと思っている。
普段見えないアリシアや祭司にまで姿が見えるほど強力な魔物のうち、自分達を襲う理由がありそうなものは、それしか浮かばなかった。
(でも変だなあ。結構供物をもらっているんだろうし、リンゴ一つ取られた位であんな怒ることないだろうに。大体誰があんなのを呼び出したんだ?)
窓から身を乗り出すと、見馴れた礼拝所の姿が遠くに見えてきた。
(私が皆を守らなきゃ。特にライリーは、あそこだけが居場所なんだから……)
アリシアは気を引き締めるように、背筋を伸ばして座り直したのだった。
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