第57話 もう一つの約束

 アシュリーは礼拝堂の椅子に座っていた。何か本を読んでいる。後ろから近づこうと忍び足で近寄ったが、足音で気づいた彼が顔を上げた。つかみ所のない笑みを浮かべている。


「ベラちゃん、また来たの?」


「ひどい、最近は来てなかったでしょ。ねえ、何読んでいるの? やっぱり経典?」


 アシュリーは、クスクスと笑いながら、表紙を見せる。詩集だった。ベラも吹き出す。彼らしいと思ったのだ。


「あの二人、なんか仕事しているみたいだったけど、大丈夫なの?」


「やることは終わったから」


「早いのね」


「まあね」


 彼のいたずらっ子みたいな顔から、適当に終わらせたことが窺える。実際、礼拝堂の掃除を任されていたのだが、汚い机だけを拭き、箒で床を軽く掃いただけなのだ。マルクがその様子を見ていたら、腹を立てていたに違いない。


「それで、今日は何しに来たの?」


「あのね、実は、貴方の弟に会ったの。家にまで招かれちゃって」


「気になっているの? 彼のこと」


「別に、そんな訳ないじゃない。違うのよ。貴方に会って欲しい人がいるの」


「ごめん。もうその話はやめにしよう」


 ベラは、歩きだしたアシュリーの背中に向かって呼びかける。


「待って。ねえ妖精が見えているって本当なの?」


「そのこと、誰から聞いたのかな?」


「それは……言えないわ」


「そう」


 冷たい彼の声が、突き刺さる。


「ねえ、どうなの? はぐらかさないで!」


「無理。じゃあ、ウィシュトリーの日の午後、二人で会おう。その時にちゃんと話すから……話せるようにしとくから」


 ベラが返事をしかけたとき、同じ日、同じ時間に、ダリルと約束していたことを思い出した。


「あの、ちょっとその日は……別の日にしてくれないかしら」


 口ごもりながら、お願いする。もう熱いのか寒いのか分からなくなるほど必死だった。


「何か用事があるの?」


 刺すような彼の視線は、ベラの胸の内を探っている。彼女は、本当のことを言うべきか、何か適当な理由を話すべきか迷い、モゴモゴと言い淀んでいる。自分に言えない理由があるのかと、ますますアシュリーは疑念を強める。


 彼が家族のことを良く思っていないのは明らか。そんな中、弟と会うなんて言ったら、ますます不機嫌になるだろう。まるでダリルの方が大事だと思われては困る。ベラは結局曖昧な返事をして、逃げるように礼拝堂を去っていった。




   ***



 ベラは道中、腹を立てていた。愛する人を優先できなかった自分にである。かといって今更ダリルの誘いを断ることはできない。会いに行くこともままならないのである。


 以前はなんとなくダリルについて行った結果、彼の店にたどり着いただけ。一人であの店にたどり着ける自信は無い。


 とはいえ、ベラは選ばなければならない。同時に二人と会うことはできないのだから。


 胸に石が溜まっていくような感覚を覚える。ベラは、この悩みを吐き出したくて、たまらなくなっていた。


 そこに、一つの考えが浮かんだ。一人、恋愛ごとが大好きで、経験も豊富な友人がいたのである。


 彼女は内ブラッドリーに家があるのだが、自由奔放な性格で、よく外ブラッドリーへ飲みに行っていたはずである。


 一回だけ、彼女に連れていってもらった酒場がある。礼拝所へ行く途中にあるので場所も分かっている。ミグランの臭いや、騒ぎ声が受け付けなくて、それっきり寄りつかなかったのだが、友人と会う為である。家へ行くよりは会える可能性が高いと信じ、少し引き返して酒場へと続く道を進んだ。


 ベラは、酒場の隅にある席で、友人のフランと相対していた。酒場の中に入ると、運良く彼女がリュートの弾き語りをしていたのである。


「どうしたのベラ、暗い顔して。また、あの人に浮気されたとか?」


 細く整ったフランの眉が下がる。ベラは目に涙を浮かべながら、その眉さえ美しいと思っていた。


「違うの。どちらかと言うと、逆なのよ」


 ベラは、途切れ途切れになりながら、フランにダリルと出会ってから起きたこと、二人と同じ日に、会う約束をしてしまったことを話した。話すだけ話し終えると、ベラは葡萄酒を一気に煽る。喉と腹の底が焼けるように熱い。ふらふらする心地に彼女は身をゆだねていた。


「あら、ついに、ついにあんたにもモテ期が来たのね。良かったじゃない。なんか、

感慨深いわね」


 フランは呑気に涙を拭う仕草をする。ベラは、頬を膨らませる。


「ちょっと、本気で困ってるんだからね」


「分かってるわよ。それにしても、兄弟で取り合いだなんて、好みは似るのね」


 赤い葡萄酒を口に含み、ケラケラと笑うフラン。カップをそっと机に置くと、うなだれるベラに顔を近づけた。


「そりゃあ、友達には幸せになって欲しいもの。私の立場なら、他の女と平気で出掛けるような男にはさっさと見切りをつけて、あんただけを見てくれる人を選びなさいって言うわ」


 ベラが顔を上げる。瞳が潤んでいる。


「でも、納得いかないでしょう? だって恋は心だもの。自分の気持ちに、素直になれば良いのよ。どれだけ体裁を取り繕ったって、いつかは壊れるわ。辛いかもしれないけど、片方には納得してもらうしかないのよ」


「そう、そうよね……」


「そんなに難しく考えないの。二度と会うなって話じゃないでしょ。謝って、また別の日に会う約束をすれば良いだけ。それで相手が怒って、もう会わないってなったら、そこまでの関係だったってことよ」


 ドライな響きを帯びていたが、フランの言っていることは最もだとベラは思った。結局、不器用な自分が悪いのだ。


「あーあ。分からなくなってきちゃった。なんで、ダリルの誘いを断れなかったのかしら? 心に決めた人がいるはずなのに」


まっすぐベラを見つめる瞳に、心がギュッと捕まれたのは何故だろう。



 私だけを見て欲しい。



 あの時、彼ならその願いを叶えてくれるんじゃないか、という、淡い期待を抱いてしまったのではないだろうか。


 ベラは、段々ダリルに対して負い目を感じ始めていた。


 気が重くなるのとおなじように、彼女の体も重くなってゆく。珍しく沢山のお酒を飲んで、眠たそうにしているベラを見かねたフランは、酒場を出ることにした。ベラに肩を貸し、店主にもらった水を度々飲ませては大通りを歩く。


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