大祭司様とマルク・ファルベル

第22話 大祭司様とマルク・ファルベル その1

「お母様、僕のお母さんは誰ですか?」

「マルクちゃん、何を言っているの? お母さんは私よ」

「ごめんなさい。では、僕を産んだ人は誰ですか」

「私よ。貴方は、私の大事な息子よ」

「ごめんなさい、では、サイモン様のお嫁さんは誰ですか」

「祭司様にお嫁さんはいないのよ」

「そうですか、では……」


     ***


 両親から荷物が届いた。染めの入って居ない、厚手のマントだった。手紙も添えられていた。暖炉の火が僅かに透けている紙には、父らしい端正な字が並んでいる。


 父と母は変わりなく過ごしているらしい、兄は奉公先で元気にやっているらしい。一方、妹は相変わらず少しふさぎ込んでいる様子。具合が悪くなければ良いのだが。


 大都市ブラッドリーに行くという話だったのに、「郊外の」礼拝所赴任と聞いて驚いた。リー氏の親戚筋である侍祭は王都ムジャーレの礼拝所に赴任したそうだが、貴方が気にすることではない。ということも書かれていた。


「これは神がお与えになった試練なのでしょう。例え霧に隠れ、雪に覆われた険しい道であろうとも、貴方ならきっと乗り越える事ができると信じています。懸命に祈り、務めに励みなさい。くれぐれも体に気をつけて」


 僕は声に出してそこまで読み上げると、手紙を閉じ、机の上に放り出してしまった。後は大体定型文だから読む必要が無いというのもあるけれど、何だろうか。胸の内に巣くう違和感を、上手く言葉にできない。とにかく、これ以上は読む気が失せてしまったのだ。


   ***


 ある冬の日。祭司様の執務室の中、信じられない事が起きていた。大祭司様が目の前にいらっしゃるなんて。


 何度かお目にかかったことはあるのだが、侍祭として、大祭司様と相対するのは初めてのような気がする。ところが、大祭司様は左足の包帯がむき出しで、青白く、痩せこけ、疲れた顔をしていた。


「申し訳ございません。大したもてなしもできず」


 そういう祭司様は、急な来客に困っているように見えた。

 僕は、慌てて引っ張り出したであろうテーブルクロスの上に、礼拝所で一番上等な葡萄酒を差し出す。お酒が入っている銀の杯には、ポポの木と天使があしらわれている。こんなものが礼拝所にあったとは。


「お気になさるな。こちらこそ急で申し訳ない。どうしても内密にしたくてな。マルクよ、暫く見ない間にまた背が伸びたんじゃ無いのかね」


「そ、そうでしょうか」


「間違いない。こんなに大きくなって。元気にしているかね」


「はい。お陰様で」


「それは良かった。残念だが、私の方はどうも調子が悪くてな。この前は馬が暴れてこの通り骨折してしまった」


「それはお気の毒に」


 そう話す祭司様の隣では、ライリーとアシュリーがそわそわしながら座っている。ライリーがボタンを掛け違えていないかチェックする。よし、大丈夫。髪もきちんと整えさせたし、失礼なことはないだろう。


 アシュリーも、流石に緊張するみたいだ。手が硬く握られている。早く終わらないかな、と言いたげな目をちらちら僕の方に向けていた。


 部屋の外から、微かにビルの声が聞こえる。大祭司様をここまで連れてきた方々と談笑しているのだろう。


「最近は眠っている時、やたら物音や人の声が聞こえるようになった。私以外には聞こえていないらしい。神に仕える身でありながら、誠に情けない。しかし、色々悪い噂も立つようになったのでな。恥を忍んでここへ参ったと」


「然様でしたか」


「ここの祓魔師は腕が良いと聞いている。是非とも見て貰いたい」


「承知いたしました。ここでは狭いですし、危険ですから。別室へご案内いたします。ほら、2人共、支度しておいで」


 2人はぎこちない動きで部屋を出る。祭司様は、冷静に返しているが、僕はとても平静ではいられなかった。あの方が取り憑かれているかもしれないってこと? 長年神にお仕えし、この辺りの礼拝所を束ねているお方が? 有り得ない。


 年を取れば病に倒れる事はあるし、あの時だって、偶々、馬の機嫌が悪かっただけではないのか? 物音だって、風が入ってきたのではないのか、人の声だって、見張りの話し声とか、動物の鳴き声と間違えたとか、そこまで気にすることなのだろうか。


 一体どんな奴がこの人に害をなすというのだろう。


「マルク君、大祭司様を支えて差し上げて」

「は、はい」


 立ち上がろうとしてバランスを崩した彼に、慌てて駆け寄り、体を支える。杖をついているとはいえ、歩くのが大変そうだったので、僕は、大祭司様に肩を貸しながら、ゆっくり、ゆっくり部屋へ向かった。ところが、危ないからという理由で、僕は部屋の中に入れて貰えなかった。




 お祈りの後、祓魔の儀式が終わっているか様子を見に行くと、丁度二人に支えられながら部屋を出る所だった。


「良かったです。無事離れてくれました。普通はもっと時間が掛かるんですよ。流石大祭司様です」


 と、笑顔で話すアシュリーに対して、ライリーはやや不満げな顔をしていた。


「ありがとう。おかげで少し肩が軽くなった気がするよ。これで収まると良いのだがね」


 そのまま大祭司様を外に止めてあった馬車まで連れて行き、皆で見送る。


「本当はもっと話がしたかったのだが、これから用事があるのでな」


「お大事になさって下さい。体が弱っていると、また良からぬものを招いてしまうそうなので。不調が続くようでしたらまたご連絡頂ければ……」


「そうさせて頂こう。2人とも、助かったよ。マルクよ。また会おう」

「ええ、お大事になさって下さい」


 窓が閉じられ、御者が鞭を振るう。馬車は門を超えて、大通りの方へ向かって行った。大きく手を振り続ける。馬車が見えなくなると、つい先程まで大祭司様がいたというのが夢みたいに思われた。


 そんな思いに浸っていたのも束の間。ライリーが、大きく息を吐くと、アシュリーを睨みつけた。そして、こう言い放った。


「なんで嘘を吐いたんだよ」

 と。

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