停車、幸福とインスタ

五十嵐文人

停車、幸福とインスタ

 佐藤啓太が死んだ時、僕はInstagramを開いた。

 虹色のアイコンが眼球に映し出され、初動として開くストーリーに「辛い」だとか、「死にたい」だとか。ここは、夢の世界か。ナンセンス文学か。道化師のような気持ち悪い笑いを必死に抑えて、僕は線路を見つめた。


 イヤホンを取り出して、The Entertainerを再生する。僕は「狂っている」とか自分で言う奴が嫌いだ。

 その嫌いという感情とは裏腹に、僕は永遠とThe Entertainerをリピート再生しているのだから、自分自身が狂っているのではないかと疑った。

 いや、性善説とか、性悪説みたいに、元々はみんな狂っていたのだろうか。まあ、どうでもいいか。どうでもいいか? どうでもいいか!


 思考は刹那だ。僕は、スマホの画面にしか興味がない。


・akarin_0121:19時間

(苺の乗ったショートケーキの写真)

萌ちゃんハピバ、ずっと一緒だね!


・siinayuuji:17時間

(テキストのみ)

バイト10連勤!死にてえーww


・広告

(パソコンのスクリーン)

あなたも楽に稼いでみませんか?


・sinitaikoc:10時間

(真っ暗な画像)

明日を生きる気力がない…


・sekaiichi_no_otokoya:3時間

(モノクロの空の画像)

佐藤死んだってマ?


・miiko__:1時間前

(「幸せなことはある」と書かれたミュージシャンの画像)

悲しい、話したことあるのに。。。


・kumakuma22:32分

(友達がタピオカを注文している姿を撮影)


・kenji_76:10分

(肩を組んだ男の写真)

最後の夏、デカイことしようぜ笑笑


 人間の死には、人間の幸福が詰まっている。幸福は、その人にとっての幸福であって、所詮他人には関係ないのだ。

 しかし、幸福は他人に捧げることもできる。シェアだ。そのために、僕たちディストピアの住人はInstagramを開くのである。共有は、傲慢であり、自慰であり、自傷であり、言い訳であり、埋め合わせであり、自慢であり、幸福である。


 地下鉄で教科書を開く学ランの坊主。メガネを曇らして謝るサラリーマン。今日と明日を行き来する厚化粧の女。浮浪者。


 顔の無い友人が僕にこう質問した。(友達の定義がどうとか、そういうことは気にしないでくれ)


「佐藤啓太って、誰?」

 僕は、白い息を吐く。少し待って、こう答える。


「知らん。」

 電車が一番線に到着したのを確認して、僕は画面を左方向にスワイプした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

停車、幸福とインスタ 五十嵐文人 @ayato98

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る