第199話 何度だって

 アスモデウスの口から語られた真意、それは理解はできるが、時間がかかり回りくどくも思える方法。誰もがノクスの反応を固唾を飲んで見守っている中、ただ一人、そんなことは関係ないとばかりにつかつかとアスモデウスに詰め寄る女性。


「ちょっと、なんで私に何の相談もないわけ?」


 かつての仲間であるルシアの怒りをにじませた表情に、怪訝な視線でもって応えるアスモデウス。


「なぜおまえに相談する必要があるのだ?」


 素っ気なくふいっと顔を逸らすアスモデウスに、ルシアのこめかみに青筋がはっきりと浮き上がる。


「ふぅん……あっそう、じゃあ言い直すわ。私にも一枚噛ませなさい」


「なぜお前はそうも上から目線なのだ……それに今はお前にしてもらいたいことなど……」


「私がソルエールに行くわ」


 その提案は逸らされていたアスモデウスの視線を、再びルシアへと向けるには十分過ぎるほどの価値を持つ。

 今現在ソルエールには、アスモデウスの腹心であるグレンがクラウディアの側近としてついている。しかし魔法に携わる者たちからすればルシアの名は既に伝説の域に達しているといっても過言ではなく、ソルエールが彼女を迎えるとなれば、さらなる権威を持つことになるのは明らか。


「……ラズニエ王国はどうするのだ。ユウキとリリアが遺した国だぞ?」


「あの国のことなら心配いらないわ、もちろんすぐにとはいかないけれどね。それにあの二人だって賛成してくれるはずだって、あんたも分かってるでしょ?あ、ソルエール側の許可なら大丈夫、私の言うことには逆らえないから」


 ちらりとソルエールの代表を務めるクラウディアを見やるルシア。その言葉通り、もうこの決定は覆らないことを察し、喜ばしいやら悲しいやら複雑な表情を浮かべている。


「変わらんな、そうやって周りを無理やり巻き込んで……」


「あんたにだけは言われたくない」


「何?」


「あんたの悪い癖よ、周りに任せず、そうやって自分で何でもやっちゃうところ、全然治ってないじゃない」


「む……」


「前の魔王を封じて以来、平和を取り戻した世界のカタチは以前と同じものへと緩やかに変わっていった。平和に慣れた者たちは、いとも簡単に戦争を起こし、猫の額ほどの土地を奪い合う。それを私がどんな思いで見てきたか、あんたに分かる?」


 地上を脅かす魔王を封じたことで戻ってきた平和が、少しずつ、だが確実に崩れていく。そんな中にあって唯一ラズニエ王国だけは、ルシアの存在がユウキとリリアのもたらした平和を穢すことを許さなかった。


「世界は変わらない、人の本質を変えることなんてできない。私は身をもってそれを知った……知ったつもりになってた。それが何?今更のこのこ出てきてやりたい放題して……私に希望を持たせたんだから、ちゃんと責任取りなさいよっ!!」


「ルシア……」


「そもそも目指すものが種族も身分も関係なく、誰でも能力を活かせる世界だって言うんなら、それを実現する過程をおろそかにしてどうすんのよ。だからこそ、たくさんの人たちが協力しあって作り上げていかなきゃ意味がないでしょ?あんたも魔王だっていうんなら、どんと構えて私を顎で使うくらいしてみなさいよ」


 ルシアの脳裏に浮かぶのは、かつてともに旅をしたころの記憶。


「本当、だから言ったのよ。あんたには向いてないって」


 常に矢面に立って三人を守りながら、その力を引き出す役割を担ってきたアスモデウス。彼ら四人が誰一人欠けることなく旅を終えることができたのは、アスモデウスの献身によるところが大きかった。


「向いておらぬことは我が一番知っておる」


「……ええ、そうね」


 二人のやり取りを見届けると、ノクスは迷いのない表情と明朗な声でアスモデウスに答えを告げる。


「アスモデウス殿、さすがにこの場では返事は出来かねますな。が、前向きに検討するということだけは、お伝えさせていただきましょう」


「父上っ!?そのようなことを……」


 ノクスは更に何かを言おうとするディートリヒを視線だけで制すると、アスモデウスに向き直り右手を差し出す。


「よき返事が聞けることを期待している」


 差し出された右手をがっちりと握るアスモデウス。この二人の握手によって、セアラへの求婚から始まった一連の騒動の幕が下りるのであった。


___________


 教会から出て祭りの会場である広場へと戻る者、残って込み入った話をする者。各々が思い思いに過ごす中、シルがクラウディアから小言を聞かされていたルシアの袖を引く。


「あの」


「ん?どうしたの?」


「えっと、その……」


「?」


 不思議そうな顔のルシア。シルは意を決して、そんな彼女に耳打ちする。


「もしかして、ルシアさんっておじいちゃんが好きなんですか?」


「へええぇっ?」


 子供らしい純真無垢な質問、というわけでは無さそうな真剣な眼差し。軽くいなすべきか、真剣に答えるべきか、ルシアはどうしたものかとセアラをちらりと見やると、シルが何を言ったのか察しがついているようで『お願いします』と言うように頷かれる。


「うぅん……そうねぇ……確かにそう言っていい瞬間はあったかもしれないけれど……だからってこの関係を変えたいと思ったことはないわね」


「なっ、なんでですか?」


 食い気味に聞いてくるシルに、ルシアはくすっと笑って答える。


「これって一つ言い切れるものではないけれど、一番大きかったのはタイミングね。得られるものよりも、失うものの方が私にとっては大切だったのよ」


「得られるものと、失うもの……」


「シルちゃんにはまだちょっと難しかったかしら?」


「あ、ううん、ありがとうございます。変なこと聞いてごめんなさい」


 そう言うとシルはぺこりとお辞儀をして、きょろきょろとあたりを見回し、セレナを見つけて駆け寄っていく。


「あれでよかったのかしら?」


「ご迷惑をおかけしまして申し訳ありません」


 そして『ありがとうございます』と頭を下げるセアラ。


「別に構わないけれど……それよりあんなことを聞くってことは、やっぱりそういうことなのかしら?」


 面白いものを見たと言わんばかりに目を輝かせるルシアに、セアラは口元を抑えてふふっと笑う。


「普通の仲のいい親子ですよ。仲が良すぎて、あんなに外見が違うのに本当の親子のようだと言っていただけるくらいに。時々甘えっぷりが少し度を過ぎている気はしますけど」


「ホントにぃ?」


「ええ、本当ですよ。親子の愛情、あの子にとっては、それが一番必要なものですから」


 和解したとは言えども、シルは実の両親から一度捨てられた子。そんなシルが両親アルとセアラから受ける愛情を、かけがえのないものだと考えるのは当然だろうとセアラは思う。そして、そんな彼女が子供ながらに下した決断が、この先も唯一絶対であっていいはずがないとも。


「ふぅん、じゃあ図らずも、私のさっきの答えは的を射ていたというわけね」


「はい、踏み出すタイミングと、その先に得るものと失うもの。あの子にとって、これ以上の助言はないと思います」


「……でも、ちょっと意外ね。ソルエールでのセアラさんは、絶対に誰にもアルさんを渡さないって感じだったのに」


 怒るとまでは行かずとも、複雑な感情を抱きそうな話題。それでも事も無げに話すセアラの横顔に向かって、小首をかしげて問うルシア。


「今だって変わっていませんよ?ですがあの子だけは別です」


『ほかの人は許しません』と冷たく笑うセアラ。


「でもあの子以上の強力な敵は、世界中のどこを探したっていないわよ?」


「敵なんかじゃありませんよ」


 氷点下の笑みは消え失せ、セアラの纏う雰囲気がたちまち柔和なものへと変わる。


「私の大切な娘です。あの子の幸せのためならば、私は何を犠牲にしても構いません。だからあの子が私に気を遣って自分の幸福のぞみを諦めるなんて、そんなこと、母親として絶対に認められません」


 微塵もぶれない強い意志を宿す瑠璃色の瞳。アルとの子をその身に宿したことでさえ、セアラがシルを思う心には何の波風も立てることはなかった。

 そんな深い愛情にルシアはふっと微笑み、『それにしても』と続ける。


「無自覚な女たらしは遺伝なのかしらねぇ?あいつもそうだったけど、アルさんもやっぱりモテるんじゃない?」


 力一杯大きく頷き、深いため息をつくセアラ。


「一緒に依頼をこなした冒険者の人とか、町で困っているところを助けてあげた人とか、もう年齢、種族、果ては性別も問わず何度羨ましいと言われたことか……その話をするたびに、アルさんには私のほうがモテるから心配だって笑われるんですけど……」


 セアラが続きを言いづらそうにしていると、少し離れた場所で見守っていたリタがすり寄ってきて、ニヤニヤしながら代弁する。


「セアラに言い寄ろうとするのはほとんど外見に惹かれて一目惚れ。でもアル君の場合、そうじゃないところが本当に厄介で~」


「お母さん、なんでそんなに楽しそうなの?」


 呆れたように再びため息をつくセアラ。しかしその言葉とは裏腹に、表情は穏やかでやや誇らしげ。


「私はたくさんの人の輪の中で笑っているアルさんを見ていると、いつも胸がいっぱいになって、本当に良かったって思えるんです」


 森の中の小さな家で再会したアルの姿に、心が締め付けられる思いを抱いたことは決して忘れない。そしてそんな彼が少しずつ変わっていく様を、一番近くで支え、見てきたセアラだからこそ言えることがある。


「怒りに飲まれない、復讐などに囚われない心の強さ。損得なんて後回しで、誰かのためにその力を使う優しさ。そして傷ついてもなお、もう一度人を信じようと歩み寄る勇気を持った人。そんなあの人だからシルは何度だって恋をするんです」


『私がそうであるように』セアラはその言葉を脳裏に浮かべながら、ふわりと微笑むのだった。


__________


おまけ


「ねぇセアラさん。ところで肝心のアルさんは?いくら養女とはいえ、娘に好きって言われたからそれをすんなり受け入れるって、そうそう出来るものかしら?」


「苦労するかもしれませんね」


「あら、そこは意外とドライなのね?」


「背中を押してあげることは出来ますが、手助けはしません。それはシルが立ち向かうべき問題、超えるべき壁ですから。そもそも好きな人を振り向かせることくらい、自分でやらなきゃ駄目だと思いませんか?」


「ふふ、経験者は語るってとこかしら?」


「シルはこれからたくさんの人に出会って、たくさんの経験をするでしょう。その上であの子が強く願い、手を伸ばした未来こたえがそれであるのなら、アルさんは娘だからなんて理由で拒んだりはしません。きちんと正面から向き合ってくれます。私の好きな人はそういう人ですから」

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