第192話 三百年の時を超え

「あの頃のアルはホントに可愛かったんだけどねぇ。今じゃすっかりたくましくなっちゃって、嬉しい反面、やっぱり寂しい……なんて、私がそんなこと言える立場じゃないか」


 自嘲気味に笑うアフロディーテ。アルと一緒にいられたのは、物心つく前のたったの一年だけ。その決断もアルを守るためであり、たとえ過去に戻っても同じことをすると言い切る自信はある。それでもやはり、幼い我が子を手放した後悔や後ろめたさからは逃れられない。

 そんなアフロディーテの心中を察するのは母親である二人。ルイザがアイリの金髪をさらりと撫で、クラウディアはドロシーの頭にポンと手をのせる。


「子供の成長は親の楽しみであり、願いです。それを一番近くで見守りたいと思わない親なんていませんよ。もしもそう思わないなら親失格です」


「ええ、何より女神様の愛情は、ちゃんと届いていたみたいですよ?」


 二人に促されてアフロディーテが振り返る。そしてそこには右手を差し出した息子アルの姿。


「アル?いつの間に?」


「ほら、散歩に行くんだろ?」


「聞いてたの?でも……さすがに主役が抜けるのはマズいんじゃないかしら?それにあなただって出番は終わったけど、結婚式の日にセアラちゃんを一人にしたらダメでしょ」


「セアラも行ってきたらいいってさ。それに少しなら大丈夫、あれがあるから」


 アルが指差した先には、身分の高い者たちが中心となって集まっている広場中央のテーブル。そこにクロッシュが被せられた特大の皿がジェフとカミラによって運ばれてくると、ブレットが祭りの参加者へと声高に言い放つ。


「皆様、本日はディオネにお越しいただきありがとうございます。こうして多くの方々と共に、女神アフロディーテ様の再臨を祝うことができ、大変うれしく思います。さて、これより本日特別にご用意させていただきました、メインディッシュの紹介をいたします」


 クロッシュが開けられると、そこには完璧な焼き加減によって脂がきらきらと輝いているステーキ。そしてそれが放つ芳しい香りは、前菜によって高められた空腹感を刺激し、強制的に意識を引き寄せるものであった。


「おお、ただ焼いてあるだけだというのに、この素晴らしい香り……」


「牛や豚とは全く違うようだが……ファーガソン卿、一体これは?」


「まず調理を担当いたしましたのは、ここディオネで若くして高い評価を受けている料理人のジェフでございます。そして食材をご提供いただきましたのは、かのソルエールの大戦にて悪しき心を持った魔族を打ち倒し、世界を救った英雄様でございます」


 広場が歓声に包まれる。世界を救ったというその多大な功績とは対照的に、全く聞こえてこないその素性。その神秘性も手伝って、今や英雄アルは伝説的な存在となっており、この盛り上がりも必然であった。


「もうお気付きの方もおられるのではないでしょうか?かの英雄がこの場に提供するに相応しいと判断したものが何であるのか。それはソルエールにて、彼が一刀のもとに斬り伏せた魔界のモンスター」


 広場が騒然とする。もしも英雄譚が事実であれば、ブレットの言葉が指し示すものは一つしかない。


「で、ではまさか!!」


「そう、ドラゴンの肉です。かの英雄は牙や爪といった素材となるものは全てソルエールに寄付し、そして肉は身分関係なく、この祭りに参加された全ての方に振舞って欲しいと仰られました」


 やや芝居がかった口調で、ブレットはアルの功績を嬉しげに語る。それはまるで自分の息子を誇るかのように。

 そしてその言葉通り、各テーブルにドラゴンステーキが続々と並べられると、会場は大盛り上がり。


「もう!私の事なんてすっかり忘れてるじゃない!!」


 アフロディーテがわざとらしく頬を膨らませるが、身分も老いも若きもなど関係なく、きらきらと目を輝かせている人たちを見てくすりと笑う。


「ま、そっちに意識が向くのは平和な証拠かしらね。じゃあアル……エスコート、よろしくね」


ーーーーーーーーーー


「それにしても………さっきシルちゃんとお祭りを見て回った時も思ったけど、この町も随分変わっちゃったなぁ」


『仕方のないこと』と言いながらも、寂しそうなアフロディーテの横顔。ディオネは同規模の他の町に比べれば緑が多く、美しい町だと言われている。それでも町が発展するにつれて、昔ながらののどかな町並みは失われてしまった。


「ところでどこに向かってるの?」


「それはついてのお楽しみ。もうすぐ着くはずなんだけどな」


「あ……ここ」


「親父が連れて行ってやってくれってさ」


「そっか……残ってた……ううん、残してくれてたんだ……」


 小さな木造の一軒家。周囲の建物とは明らかに年代の違うそれは、アフロディーテの記憶のままの姿でそこにある。


「ふふ、あの頃は町のはずれのほうだったのになぁ……」


「今はファーガソン家の持ち物で、手入れに来る以外は誰も入れないようにしているらしい。だけど俺と母さんなら問題ないってさ」


「……あの人ったら、教えてくれてもいいじゃない」


 アルがふぅとため息をつきながらポケットを探る。


「その理由が分からないわけじゃないんだろ?」


 差し出しされた家のカギを受け取り、アフロディーテはかつて何度も繰り返した動作を懐かしみながら玄関の扉を開ける。

 そしてアフロディーテは目に浮かんだ涙を拭き、大きく息を吐いてから振り返ると、息子アルに向かって両手を広げ、いっぱいの笑顔を携えて三百年の時を待ち続けた言葉を口にする。


「おかえり、アル」


「うん。ただいま、母さん」

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