第184話 信頼に応える方法

 突然の宣言。大騒ぎにこそなっていないものの、礼拝堂内に広がるざわめきの大きさから、参列者たちの混乱は明らか。アルとセアラから版図拡大を意味する言葉が出てくるなど、青天の霹靂としか言いようがない。そもそも何故それが信頼してくれた者たちに対する応え方となるのか、皆目見当がつかない。

 ただ、その反応は二人にとって想定の範囲。その意図を説明をするためセアラが参列者たちに語り掛ける。


「驚かせてしまい申し訳ありません。ただ誤解の無きよう申し上げますが、私たちは決して積極的に領地を拡大、発展させるために、優秀な人材を引き抜こうと画策しているわけではございません。ですから皆様が認めない方の移住はこちらとしても許可いたしません」


 またしても礼拝堂内がざわつく。『それならどうして』という小さな声がそこかしこで聞こえると、セアラは軽く頷き言葉を継ぐ。


「多様な種族が共に暮らす、当たり前の話ですが、それはつまりその国に居を構え、職を手にし、暮らしを営むことです。その結果、どのようなことが起こりうるか、皆様もお気づきのことと存じます」


 セアラの言わんとすることは、この場にいる者、特に為政者たちは十分に理解している。

 国や地域によって差はあれど、人族に未だ残る他種族への差別意識。

 その一方で、他種族が抱いている人族に対する否定的な意識も無視できるものではない。この世界で人族が覇権を握り、他種族が日陰で過ごしているのは過去の種族間での争いの結果。エルフなど長命な種族の上の世代はその当時のことを覚えており、ソルエールのような多種多様な種族が暮らしている場所ですら、ほとんどが若い世代。

 それでも利があるからと強引に事を進めてしまえば、今まで表面上は保たれていたバランスが崩れ、国、ひいては世界が乱れる原因にもなりかねない。


「もしも私たちが損得だけで物事を考えられるのであれば、きっと何一つとして、危惧されている問題は起こらないでしょう。ですが、生きている私たちには感情があります。人族も、魔族も、妖精族も、獣人族も、そして王族も、貴族も、平民も、奴隷に身をやつした方であれ……そこには種族も地位も関係ありません」


 全ての者を同列に語るセアラに、参列者たちの顔が引き攣る。不敬と取られても致し方のない発言ではあるが、当の本人は涼しい顔をして続ける。


「そして感情がある以上、全ての方々が納得する方針を定めることは非常に困難です。不可能と言ってもいいでしょう。現実として、皆様には多数の国民の利益のため、多少の犠牲には目を瞑らなければならないこともあるかと存じます」


 水を打ったように静まり返る礼拝堂。その静寂を破るのはセアラの異母兄、アルクス王国の国王エドガー。


「つまりはその犠牲となった者たちのために自分たちの領地を使うということ、か……だが、どうして君たちがそれをする必要がある?」


 その問いに答えようとするセアラの肩にポンと手を置き、アルが一歩前に出る。


「妻が言ったように、私たちには感情があります。そして時に感情に振り回されて非合理的な判断を下してしまい、手痛い失敗をすることは珍しくありません。ここにいる皆様にも、一つくらいはそうした経験がお有りなのではないですか?かく言う私も、ふと思い出しては、頭を抱えてしまうような失敗がいくつかございますが」


 アルがおどけるように言うと、誰もが自己を顧み苦笑いをし、場の空気が少し和む。


「先ほどの話とも重複しますが、あの時、カペラの人々にとっては、私を信じることよりも、距離を取ったり関係を断つことが普通の、合理的な判断だったと思います。それでも私を信じてくださった方々が掛けてくれた言葉の一つ一つ、気遣いの一つ一つは今も忘れることはできません」


 その穏やかで、実感のこもった言葉はこの場の全員の心にすっと届く。


「前置きが長くなりましたが、私は感情を持つがゆえの不完全さ、それこそが人の持つ温かさの源なのだろうと思います。ですから、それを伝えられる場所が必要だと思ったのです。この世界には誰も味方がいない、誰も自分を必要としてくれない。一度そう思ってしまったら、どうしようもなく辛く、不安で、悲しくなってしまって……そういう感情は、あっという間に心を深い闇の底へと連れて行ってしまいます……そんな人たちの光になりたいなんて言いません。ただ、この世界はそんなに悪いものじゃないって感じてもらえる、その手助けが出来る場所が必要だと思ったんです」


 アルが見つけた信頼への応え方。それは、この先もずっと変わらず信頼に値する自分であり続けること。

 損得よりも感情に従い、困っている人がいるなら助ける。そこに高尚な理由などいらないし、求めてもいない。

 そうして差し伸べてくれた手に救われたから。


「ですが全く見返りを求めないわけではありません」


 今度はセアラが真剣な口調で口を開くと、礼拝堂内の空気がピリッと張り詰める。


「実は最近家庭菜園を始めたんですが、どうやらあの土地は作物を育てるのに向いているみたいなので、本格的に農業をしてみようかと思っているんです。私たちの領地に住むのであれば、それに協力をしていただきたいところですね」


 盛大な肩透かしに、張り詰めていた空気が反動で一気に緩む。それを確認すると、セアラはコホンと咳払いをして続ける。


「と、まあ色々と言いましたが、ただ世界が変化していく中で、新天地での生活を望む方がおられるのであれば受け入れる、というだけの話でございます。これはその変化を望んだ者として、私たちが当然果たさなくてはならない責任であると、そう思っております。その他にもご心配な点は多々あるかとは存じますが、それはまた改めて機会を設けさせていただければと。不躾なお願いだとは重々承知しておりますが、よろしくお願いいたします」


 迷いのないハッキリとした、しかし不思議と心が落ち着く柔らかな語り口。何より女神の御前というこれ以上ない追い風を利用することなく、きちんと議論の場を設けるという誠意を見せるセアラに、参列者たちから異議が上がるはずもない。


「うれしそうね?」


 リタが左隣で満足そうに頷いているモーガンに話しかける。


「かつて仲間に裏切られた経験がそうさせるのか、アルのやつは無意識に信頼を善意のように捉えている節がありました。ですが本来、信頼っていうのは結果でしかない。お返しとか言い出した時は、まだ分かってねえのかと思いましたが」


 信頼をまっすぐに受け止められるようになったアルの成長を喜ぶモーガンに、リタは目を細め『それにしても』と続ける。


「本来ならわざわざこんな風に説明する必要もないことなのにねぇ。他国への移住が認められないなんて限られたケースだけでしょう?」


「ええ、ですが先ほどのお偉い様方の反応を見る限り、正しい判断だったのでしょうな」


「……アル君は、あの頃と何も変わらないのね」


 どうにか丸く収まり、ほっとした様子に、リタは初めてアルと会った時のことを思い出す。


「あの頃とは?」


「エルフの里で初めてアル君と会った時よ。その時はまずその異常な強さに驚いたわ。でもね、それ以上に驚いたのは、あの若さでその強さに振り回されない精神性を既に持ち合わせていることだった。それだけにセアラを任せても大丈夫なのか半信半疑だったわ」


 常人離れした強さを持ちながら、それを我を通すためには使わない。はたから見ればたいそう立派な人物像ではあるが、娘の結婚相手となれば話は別。

 およそ平易な人生とは縁遠いであろうアルに、ようやく再会出来た娘を託すことへの不安がなかったといえば噓になる。それでもアルがセアラを守るという自分に出来なかったことを成したこと、アルがいなければセアラとの再会は叶わなかったこと、何より互いを強く想い合う姿に結婚を認めた。

 とはいえ不安は完全には拭い去れず、セアラに魔法の手ほどきをするという理由で、自分もついていくことにしたリタ。


「今こうして思い返すと、私が見てきたアル君はいつも誰かのために戦っていたのよね。セアラの母親として、危ないことはやめてって言いたかったんだけど……結局いつも言えずじまい」


『見てるこっちの気持ちも分かってほしいわ』と苦笑するリタの様子は、まるで我が子の無事を願う母親のよう。


「力には責任が伴う。あいつを見ていると、その言葉の持つ意味に誰もが気付かされます。まぁ唯一、娘さんに手を出そうとするやつだけは、模擬戦で容赦なくぶちのめしてますけどね」


「ふふっ、頼もしい限りね」


 笑う二人は思う。信じていた仲間に裏切られて深手を負うという、復讐するに十分過ぎる動機と、それを実現できる力を持ちながらも、怒りに身を委ねなかったアル。その意志の強さはどのようにして得たものなのか。

 その疑問に対し、親のような目線でアルを見守る二人が同じ推測をするのは、ごくごく自然なことと言える。


「……直接話を聞いたことはありませんが、さぞかし出来た方に育てられたのでしょうな。リタさんはアルからそういった話は?」


 リタは何も言わず、ただ頭を振って否定の意を示す。

 かつてリタはアルに、この世界で最期までセアラと生きる覚悟があるのかを確認したことがある。それはセアラの母親として、絶対に聞いておかなければならないことであったから。

 そのような経緯から、リタはアルから向こうの世界のことを聞き出そうとしなかったし、アルもまた話をしないように努めているようにしていた。


 そのまま式は進み、ヴェールを上げ、誓いのキスを交わすアルとセアラ。やがて唇が離れると、照れくさそうに、そして幸せそうに笑い合う。リタが目を潤ませながらそれを眺めていると、それまで静かだった右隣りから嗚咽が漏れていることに気が付く。


「エリーちゃん、ありがとう。何の後ろ盾もないセアラをずっと守ってくれて」


「お礼なんて……あんな風に幸せそうに笑う姫様をこの目で見られて、私はそれだけで十分なんです」


「ええ、セアラもエリーちゃんに見てもらえて喜んでるわ」


 亡くした妹の面影をセアラに重ね、甲斐甲斐しく世話をしてきたエリー。その言葉が嘘偽りの無いものであることは明白。一方のセアラもまた、エリーが生きて、こうして結婚式の準備をしてくれたこと、出席してくれたことを心から喜んでいた。

 だからこそリタは、もしセアラにとってのエリーのような存在がアルにもいたとしたら、と考えずにはいられない。そして今までそんなことにすら気を配れなかった自分を恥じていた。


(ちゃんと話をしよう。心配する理由なんてひとつも無いじゃない。今まで一緒に過ごした日々が示してくれているもの。アル君はセアラを置いてどこにも行ったりしないって)


 話を聞いたところで出来ることなど何も無いのかもしれない。それでも見て見ぬふりをして、何も知らないままでいることは間違っている。リタはそう思いながら、結婚式の終わりを見届けていた。



※あとがき


早めの更新とは……

ついあれこれ付け足したり、言い回しを変えたりして遅くなってしまいました。すみません……

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