第97話 二人の抱く信念

 肩より少し長い金髪を一つに纏めたルシアと名乗る女性は、ハイエルフの特徴である瑠璃色の瞳、そしてセアラとは違い長い耳を持っていた。


「ではあなたが昔エルフの里を出たという……」


「ええ、そうよ。その様子だと色々とご存知のようね」


「……この様なところでは落ち着いてお話も出来ませんね。こちらへどうぞ」


 内心の驚きを表に出すことなく、クラウディアが先導して学園内の応接室へと入っていく。学園内は行政棟とは異なり、広い廊下に延々と赤いふかふかの絨毯が敷かれている。天井を見上げればシャンデリア、壁を見れば大きな絵画や美術品。ソルエールにいるということを、思わず忘れてしまうほどのきらびやかさであった。

 一同が通された応接室もまた、廊下と同様に豪華な作りをしているが、クラウディアが言うには、作ってみたものの、それほど活用することがない場所とのことだった。

 ラズニエ王国の国王リオンとルシアがソファに並んで座り、その後ろに護衛の騎士が侍ると、ローテーブルを挟んでクラウディアが向かいのソファに座る。セアラとシルはどうしたものかとソファの後ろで立っていると、三人から座るように促され、クラウディアの横に座る。


「先程は不躾な物言いをしまして申し訳ありません」


 開口一番、リオンが謝罪を口にすると、そのままその意図を説明する。


「セアラさん。あなたは今や『戦場の女神』とまで呼ばれ、一人で戦局を左右してしまうほどの強大な力を持っている。それがどれ程危ういことかを知っておいてください。先程のようにわざと不躾な物言いで、失言を誘ったり、言質を取って、それを盾にして囲い込もうと考える国が出てきてもおかしくはないのですから」


「ご忠告痛み入ります。ですがご心配には及びません。自由の無い籠の中の鳥として飼われ、利用されるくらいであれば、誰もいないところへでも行きますので」


 恐らくアルが自分の立場でも、同じことを言うだろうとセアラは思う。今ならアルクス王国からの申し出を断ったアルの気持ちがよく分かる。セアラはその事が嬉しかった。


「そうですか……どうやら要らぬ世話だったようですね。それで今日私どもがこうして前日にお会いする時間を頂いたのは、ある依頼を受けたからなのです」


 リオンはそう言うと、隣に座るルシアに目配せをする。


「正確に言うと私が受けたんだけどね。ここに来たのは魔王アスモデウスの依頼よ。息子の解呪に手を貸してやってほしいってね」


「で、出来るんですか!?ではお義父様が仰られていた心当たりとは、ルシアさんのことだったんですね」


 暗闇の中、不意に差し込んだ光。それまであまり変わらなかったセアラの表情が、一気に明るくなる。


「ええ、あいつとはもう長い付き合いなのよ。三百年前の魔王討伐時のパーティは、勇者であるユウキ、聖女リリア、現魔王のアスモデウス、そして私の四人なの。まあ今ではほとんど会うことは無かったんだけど、急に訪ねてきて頭を下げるんだから驚いたわよ。一応うちは中立とはいえ、魔王がいきなり現れたらどうなるかなんて、考えるまでもなく分かりそうなものなのに……まあそれだけ息子と嫁がかわいかったのかしらね」


 呆れ顔で愚痴を溢すルシアをリオンが苦笑しながら窘めるていると、セアラの中で点と点が繋がる。


「……もしかしてエルフの里を抜け出す手引きをしたというのは」


「ええ、お察しの通り、当時の勇者であるユウキよ。あなたも知っているかもしれないけれど、その頃は今ほど魔法の研究が進んでいなくてね、まだまだ人族は魔法を満足に使うことが出来なかったの。それで最初の仲間として、エルフの里に協力を要請に来たというわけ。その時の魔王はエルフにとっても敵だったし、共闘することもやぶさかではなかったわ。そしてそのとき里に軟禁状態だった私は、ユウキと出会い助けてもらったのよ。まあそのせいでただでさえ良くなかった、エルフの里の対人感情は最悪になっちゃったけどね」


「そうだったんですか……そ、それでその聖女様は?魔王討伐後は行方不明だと聞いておりますが」


「それは私たちが口裏を合わせたのよ。リリアは余生をラズニエ王国でユウキの妻として過ごしたわ。でもあの娘は死ぬまで一度も表には出なかった。それでこれは今でも国の重要機密事項だから、アスモデウスも独断で話すことはせずに私のところに来たのよ。しかしねぇ、まさかアルクス王国が召喚した勇者があれの息子とはね、世間は狭いとはよく言ったものだわ」


 ルシアの話によると、そもそもユウキがラズニエ王国を建国した理由はリリアを守るためとのこと。自身が戦争の火種となることを嫌ったリリアは、国に戻らずに誰も知らない場所で余生を過ごすことを望み、ユウキはそれを聞き入れた。結局ルシアも含めて、魔王討伐の褒賞として貰った大陸中央の無国籍地帯で暮らし始めると、徐々に人が集まり自然に国が出来ていったとのこと。


「それでアルさん、夫の解呪の方法は……」


「うん、まずシルちゃんが聖女であることだけど、これは間違いないわ。リリアと同じ、懐かしい魔力を感じる。それであの娘が常々言っていた言葉があるの。聖女は清廉潔白でなければならない、でなければその能力を十分に使うことは出来ないってね」


 ルシアが優しい目でシルを見ながら続ける。


「シルちゃん、自分の心ともう一度向き合ってみて。それが本当に出来たのなら、解呪はできるはずよ」


「……はい、分かりました」


 シルが消え入りそうなほど小さな声で返事をする。いつも元気な彼女らしからぬその様子に、セアラが心配して顔を覗き込む。


「シル、大丈夫?」


「う、うん。大丈夫だよ!私がパパを治すからね!」


「そう……じゃあお願いね。でも無理はしちゃダメよ」


 あからさまな空元気を見せるシルだったが、セアラはその思いを汲んで、微笑みながら頭を撫でる。


「それでもう一件、聞いておいてほしい話があるの」


 先程までとは打って変わって険しい表情を見せるルシア。


「ダークエルフ、クラウディアさんはもちろん、セアラさんとシルちゃんも知っているわよね?」


「はい、一体あの方は何者なんですか?」


「あれは…………私の兄なのよ」


「そんな……しかしなぜあのような……」


 驚きを露にする三人を代表してクラウディアが問いかける。


「兄は私よりも三十歳ほど年が上なんだけど、エルフの里始まって以来の天才とまで呼ばれていたわ。それこそハイエルフなんじゃないか、とまで言われていた……だけどそれは長く続かない」


「ルシアさんが産まれたから……」


 辛そうな表情を見せるルシア。その心情を察したセアラが思わず呟く。


「そう、兄の才能が普通のエルフの倍だとすれば、私は十倍。それくらいの明確な差があったわ。昔の兄はそれでも努力を怠らなかった、私にも優しい人だったと思う。そんな兄が変わってしまったのは私のせいなの」


 ルシアは一息つくように机の上の紅茶を飲み干す。


「あの日、ユウキがエルフの里に協力を求めたとき、本来であれば私の兄が行くはずだったの。それを私がユウキに無理を言って連れ出してもらったから」


「でも、そんなことで?それに妹が助かるのなら、喜ばしいんじゃないんですか?」


「脱走に転移魔法を使ったのが良くなかったのよ。兄が才能の証明のために、死に物狂いで習得しようとしていたことを私は知っていたのに……それを何度か横で見ていただけの私が、いとも容易く使ってしまったショックは計り知れなかったと思う。どれだけ努力しても届かない領域、天才が努力したとしても所詮エルフの領域からは出られないと、ハイエルフには届かないと兄は悟ってしまった」


「それで禁術に手を出した……ということですか」


 ルシアとクラウディアの話を聞いていたセアラが気色ばんで異議を挟む。


「……おかしいですよ!それのどこがルシアさんのせいなんですか?他の妖精族を犠牲にしていい理由がどこにあるんですか?話を聞いている限りでは、お兄さんは子供が癇癪を起こしているようにしか思えません」


 セアラはアルとルシアの兄を比較していた。アルは確かに並外れた力を持っているが、決してそれをひけらかしたり、無闇に振るったりはしない。常に自分を律し、自分の責任においてのみ力を振るう。だからアルはどこかの国に与することを良しとしない。それがアルの信念なのだと、いつもすぐそばで見ていたセアラは知っており、自分もそうありたいと願っている。対するルシアの兄は、妹の才能に嫉妬し、自分の力を伸ばすことだけしか頭に無い。口では妖精族が人族に成り代わると言いながら、平気で彼らを犠牲にする。そこに確固たる信念などあるはずが無い。だから道を違えるのだと、ルシアが責任を感じる必要など微塵もないと、セアラは訴える。

 ルシアはそんなセアラを見て目を丸くし、自嘲気味に笑う。


「……ふふ、まさかこんなに年下の娘に諭されるなんてね……でも、そうね。確かにセアラさんの言う通りよね。兄のやっていることに正当な理由なんて無いわ…………いつの間にか私は、自分に兄を止める資格なんてないって言い訳をして、見て見ぬ振りをしてしまっていた。本当は変わり果てた兄に会うのが怖くて、逃げ回ってただけなのにね。でもそれじゃあダメね、私が兄を止めないと……止めてあげないといけないのよね」


 セアラの言葉で迷いを振り払ったルシアは覚悟を決める。もはや罪無き者の命を奪い続けた兄の改心を望んではならないと。そして引導を渡すのは自分でなければならないと。

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