ソルエールの大戦編
第96話 もう一人の……
ソルエールへの襲撃から二ヶ月以上、未だアルの解呪の方法は分かっておらず、目を覚ましていない。当初セアラはクラウディア、リタ、ドロシーだけにシルが解呪出来るはずだと伝えた。その時には肝心の方法が分からないままでは、シルの負担にしかならないと判断し、先に方法を見つけようという話になっていた。
しかし目まぐるしく変わる世界情勢は、それを許してはくれなかった、既にシル自身にも恐らく聖女であること、そしてアルを目覚めさせることが出来るのはシルだけだと伝えている。
この二ヶ月間で、世界はクリューガー帝国とそれ以外の国で成る連合軍が対立するという構図になっている。セアラとシルもまた帝国の侵攻に対抗するため、ソルエールの実技方面の教師たちと共に、要となる戦場では時には前線に立ち、幾度となく連合軍の勝利に貢献していた。それでも周辺諸国に侵攻する帝国は、すでに国土を二ヶ月前から倍近くまで拡げている。
ここまでの急拡大を支えているのは、帝国側についた三体の魔族が使役するモンスターの兵たち。統率のとれたモンスターほど厄介なものはない。人間が生物として格上のモンスターを狩ることが出来るのは、偏(ひとえ)にモンスターには知恵、すなわち戦略や戦術というものがないから。本来、モンスターは本能のままに動き、他と連携することなどしない。しかしモンスターの上位的な存在である魔族、尚且つ地上に出られるほど高位の者にかかれば、それらを兵として十分に機能させることが出来ていた。
一方でシルによるアルの解呪は、全く見通しが立っていない。そもそも解呪は決して神の御業のような特別なものではなく、アルがシルの呪いを解いたように、ただの光属性の魔法でしかない。当然のことながらシルを始めとした光属性の使い手が、解呪魔法をアルにかけたのだが、まるで効果は得られなかった。
「ねぇアルさん、あの日からもう二ヶ月以上も経ってしまいましたよ、早くまたお話ししたいですね。昨日は少し暖かかったのでシルと町に出たのですが、どうやらバレンタインデーというものがあるそうですよ?と言ってもアルさんのいた世界の風習ですから、もちろんご存知ですよね。好きな人にチョコレートをあげるらしいのですが、私とシルは今年はあげられなくて残念です。あ、再来月にはシルの誕生日があるんですよ。レイさんとローナさんが教えてくれました。そのときにはみんな揃って、一緒にお祝いできたらいいですね」
セアラは時間があるときはいつもアルのそばにいる。返答がないのは当然のこと、僅かな反応ですら返ってくることもない。あの日セアラが自分は生きていると告げたときに、涙を流しただけ。それでもセアラはアルに話しかける。例え反応がなくともアルのそばにいて、アルと話をする。今のセアラにとって数少ないホッと出来る一時であった。
「そういえば昨日も街で男の人に声を掛けられてしまいました。早く目を覚ましてくれないと、他の人のところに行っちゃいますよ……アルさ~ん、聞いてますか~……な~んて言っても起きてくれませんよね」
セアラがふふっと悪戯っぽい笑みを見せながら、アルの頬を指でつついたり、軽くつまんだりする。完全に油断していると、ノックもなく扉が開かれる。
「あ、ママ。やっぱりここにいた!……何やってるの?」
「わわっ、何でもないよ!そ、それより、どうしたの?」
「あのね、もうすぐラズニエ王国の偉い人たちが来るから、私とママにも一緒にいてほしいんだって」
「……行きたくないな……」
セアラの表情があからさまに曇る。アルが目覚めるまでの時間を稼ぐため、戦うことは了承しているが、各国の王族、貴族と会うような場所に出るつもりはない。かつて王女だったセアラ、自分のことを覚えている者がいるとは思えなかったが、万が一ということもある。何より今のセアラの身分は平民、気を遣うだけの場所など、ますます行く意味が無いと感じている。
「なんかね、私とママがいろんなところで活躍してるってことを聞いて、是非会ってお礼をって言ってるらしいよ。クラウディアさんも断ってはいたみたいだけど、偉い人にそうやって言われるとあまり強くは言えないみたい」
「うん……まあそうだよね……はぁ……アルさん、行ってきますね」
渋々ながらもセアラが重い腰を上げて、アルの頬にキスをしてからシルと一緒に部屋を出る。
明日、ここソルエールで世界初となる各国の首脳が一堂に会する世界会議が行われる。議題はもちろん子の戦争を終わらせるための作戦の立案。持ち帰って検討をするなどという時間は既に残されていないため、国王や宰相、軍や騎士団のトップなどその場で意思決定が出来る者が集まることになっている。故に一国が何人連れてきても良いことになっていた。
そして前日入りを希望したラズニエ王国以外の国の者は、当日来ることになっている。これが可能になった背景には、魔族からの技術提供があった。それによって転移魔法陣のイノベーションが起こり、各国から直通の転移魔法陣を設置することが可能となっていた。これほどの有用性をはっきりと示されては、バレンシア王国を始めとする融和否定派も、魔王が卓に着くことを一先ずは認めざるを得ない。
そして各国の首脳たちを迎えるにあたって、ソルエールの行政棟ではあまりにも……であったので、休学中の学園で出迎えることになる。そもそもソルエールは各国の首脳が来るようなことは想定しておらず、今回もどこでやるかという話になったとき、角が立たないように消去法で選ばれただけ。それでも学園はさすがに貴族の子息令嬢が多数通うだけあって、パーティー会場なども備えており、今回の会議にも十分に対応できるだけの施設は有していた。
「セアラさん。ごめんなさいね」
セアラとシルが行政棟隣の学園に到着すると、クラウディアがすっかり修復された学園前広場で出迎えに出ており、セアラの姿を見るや否や謝罪をする。
「いえ、仕方ありませんよ。私もこちらでお出迎えをさせていただければよろしかったですか?」
「ええ、お願い。シルちゃんも一緒にいてもらっていい?」
「はい!」
ラズニエ王国には獣人差別が無いため、見た目が獣人に見えるシルが下がる必要も無い。そもそもシルにも礼を言いたいと先方が言っているのだから、当然のことではあるのだが。
「アルさんはどう?」
「変わらずですね……色々話しかけてはいるんですが何も」
「そう……何かアルさんを目覚めさせるための、手がかりがあればいいんだけど……」
「はい……」
「シルちゃん、つまり聖女でないと出来ない何かってことなんでしょうけど……聖女の記録なんて本当に僅かしかないものね……一番最近で三百年前の魔王討伐パーティの一人、それも討伐後にどこに行ったか不明だなんて……」
クラウディアの言葉の通り、聖女は三百年前に現れて以降、一度たりとも歴史の表舞台には登場していない。かつての仲間、魔王アスモデウスですら聖女の行方は知らないとのことだった。
「……本当に私に出来るのかな」
シルが不安そうな表情を見せると、セアラが抱き寄せて頭を撫でる。
「一緒に考えればきっと大丈夫よ。あなたの弟が言っていたんだから」
「うん……ねぇママ、そのとき他に言ってたことって無いの?」
「うーん……確か、私に方法を教えたらシルが怒るって……でもそんなの意味が分からないし、手がかりになんて」
「…………そっか……」
「それにしてもラズニエ王国はどうして前日に来たがったのかしらね?表向きは二人への御礼ってことらしいけれど、それだけなら明日でも良さそうなものなんだけどね」
三人が話をしていると、学園前広場に設置された転移魔法陣からラズニエ王国の国王を始めとする、一行が姿を現す。
「ようこそソルエールへ。代表のクラウディアと申します。この度は拝謁を賜りまして、恐悦至極に存じます」
「これはこれはご丁寧に。わざわざお出迎え頂きまして、有り難うございます。ラズニエ王国の国王リオン・アマサワと申します」
アルのような黒髪と黒目が特徴的な長身痩躯の三十代と思しき男性が名乗るが、頭こそ下げないものの、とても一国の主とは思えない態度にクラウディアが困惑する。しかしリオンのそばに控えるものたちも、主の振舞を諌めることはしない。
「陛下、そのような言葉遣いは不要です」
「ここは我が国ではありませんし、貴女はソルエールの代表ではないですか。気楽に行きましょう、畏まっていてはいいお話も出来ませんよ。それにソルエールの皆様には、先日たいへんお世話になっておりますしね。それよりもそちらのお二人をご紹介頂きたいのですが?」
「……承知致しました。現在ソルエールに滞在しておりますセアラさんと、娘のシルさんです。ご存知かもしれませんが、お二人はご好意でソルエールの魔法部隊にも参加して下さっており、各地の戦場で大きな成果を上げられております」
あくまで客人扱いであり、自身の管理下ではないということを強調するクラウディア。
「セアラさん、シルさん。先日は有り難うございました、おかげで大きな被害を出すことなく撃退することが出来ました」
「勿体無いお言葉です」
セアラが簡単に答え優雅に礼を執ると、シルもぎこちなくそれに倣う。
「しかし噂通りの美しさですね。そしてその魔法の力量、是非とも息子の婚約者になっていただけませんか?」
「……お戯れを、私は何も持たぬ平民でございますし、夫もおりますので」
初対面での縁談の申し込みに微かに眉をひそめたものの、さらりとかわすセアラ。
「ご謙遜を、アルクス王国の元王女様?」
「……何のことでしょうか?」
「それくらい調べればすぐに分かりますよ、ハイエルフのセアラさん。そして夫はアルクス王国元勇者、娘は聖女とも噂されるケット・シー。実に面白いご家族ですね」
「仰られている意味が分かりかねます」
見透かしたような態度を見せるリオンに、敵意こそ見せないものの次第に不快感を募らせるセアラ。
「はいはい、そこまでにしておきなさい」
外套のフードで顔を隠した連れの従者から発せられる、凛と響く女性の声。しかしそれは主であるリオンを諌めるような口調ではなく、命令の様相を帯びている。
セアラたちが声の主に怪訝な目を向けると、女性がフードを外し、その瞳を露にする。
「……私と同じ瑠璃色の瞳……それにその耳は……」
「初めまして、セアラさん。私はルシア、もう一人のハイエルフとでも言った方がいいかしら?」
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