第93話 変わり始める世界
※セアラ視点です
あの子と別れて目を覚ました私の目に飛び込んできたのは、見覚えのある天井。ソルエールであてがわれた宿泊室だと分かる。そして私が視線を右に移すと、不安げな表情を浮かべるあの子の姉の姿が目に止まる。
「ママ!」
ベッド脇に座って私の顔を見つめていたシルが、喜色を帯びた声を上げて抱きついてくる。
「シル……ごめんね。心配させたよね……」
「うん、心配したよぉ……良かった……もう目を覚まさないかと思った……」
私は涙を浮かべるシルの頭を撫でる。
「私、どれくらい眠っていたの?」
「えっと、今日でちょうど二週間だよ」
二週間か……道理で体が重たいと思った。起き上がるのにも一苦労しそうだなぁ。
「あ!無理しちゃダメだよ!おばあちゃん呼んでくるから!」
シルが嬉しさを隠せずに尻尾を揺らしながら、とたとたと部屋を出ていく。私はそれを見送ってから、肘を立ててどうにか上体を起こすと、慌ただしい足音が聞こえて勢いよく扉が開かれる。
「セアラ!良かった……もう!あんな無茶をするなんて!」
お母さんが扉を開いた勢いそのままに、私に抱きついてくる。ちょっと首が絞まって苦しいけれど、私は甘んじてそれを受け入れる。
「う、うん、ごめんなさい」
お母さんは私の謝罪を受け入れて、ホッとした表情を浮かべるけれど、すぐに浮かない表情に変わる。
私にはその表情の意味がすぐに分かった。それは間違いなくアルさんのこと、そして彼との赤ちゃんのこと……伝えないといけないって分かっていても、起きたばかりの私に伝えるのは、あまりにも酷だと思っているんだろうな。
「お母さん、私は大丈夫だよ。アルさんのことも、もう一つのこともちゃんと分かってる」
「あなた……どうしてそれを?」
心を見透かされたお母さんが、目を丸くして私を見る。
「あのね、信じられないかもしれないけれど……あの子がね、お別れを言いに来てくれたの。それでアルさんのことも教えてくれた」
「そう……そうなのね……」
お母さんがあからさまに落ち込んで、どんよりとした空気を纏う。
「えっと……お母さん?」
「あ!ご、ごめん。私ったら……セアラが一番辛いはずなのにね……」
お母さんは誰よりも私たちの子供を待ち望んでいた。私はあの子のおかげで立ち直れたけれど、まだ心の整理がついていないみたい。
「ううん、私はもう大丈夫。それにね、あの子が言ってたの。また私とアルさんの子供に生まれ変わるから大丈夫だって、また会えるって。普通の魂だと、私たちの子供にはなれないんだって」
突拍子もないことを言い出す私に、お母さんはまたしても目を丸くする。自分でもその自覚はあるので気にしない。
「……ふふふっ!なんだか不思議な説得力があるわね。でも……そうね、確かに二人の子供なら普通じゃないかもしれないわね」
本当に信じてくれたのか、冗談と取ったのかは分からないけれど、私の話を聞いたお母さんに笑顔が戻る。
「ねぇお母さん、アルさんのところに連れていってほしいの」
「ええ、行きましょう。クラウディアとドロシーちゃんもいるから」
お母さんの話では、あの日から二週間、一向に目を覚まさないアルさんの為に、様々な治療が行われているらしい。だけどそのどれもが不調に終わっており、全く効果が見られないとのこと。
部屋を出て、代表執務室と反対方向へ向かう廊下を歩きながら、私はちらっとシルを見る。あの子はシルが唯一アルさんの呪いを解くことが出来る存在だと言っていた。そして解呪の方法は、シルが自分で気付かないと意味がないとも。それならばここで私がシルにその事を伝えるのは、良いことではないかもしれない。
……ダメだ、どうにも頭がこんがらがってしまう。シルに伝える前に、お母さんたちに相談した方が良いと思う。
「ここよ」
私が頭を悩ませていると、お母さんが私たちの部屋から扉三つ分先の部屋へと入っていく。そこは広い空間の真ん中に、ダブルサイズのベッドが一つ置いてあるだけの簡素な空間。そのベッドに横たわるのは私の夫、アルさんただ一人。周りにはクラウディアさん、師匠、他にも学園の教師たちや、有名な治癒士だという人もいる。
それでも今回の治療もダメだったようで、私たちと入れ替わるように部屋を出ていく。こちらが恐縮してしまうほど丁寧な礼を私に言ってから。
「セアラ、無事で良かった」
私の姿を見つけた師匠が微笑みながら声をかけてくる。目の下の隈が酷いその表情は、アルさんの為に色々手を尽くしてくれていることを物語っている。師匠は普段はあんな感じだけれど、本当にアルさんのことを大切に思ってくれている。
「はい、ご心配お掛けしました。それで、アルさんはどうでしょうか?」
私の質問に師匠とクラウディアさんは苦々しい表情を浮かべて、アルさんの状態を説明してくれる。
「体の方は大丈夫。傷も塞がったし、骨折や筋肉の損傷も治っているわ。だけど魔力が全く回復しないのよ……完全にゼロの状態になってしまっているの。正直なところ、どうしてこれで生きていられるのかが不思議なくらいよ」
あの日の私のように、魔力切れという状態に陥ったとしても、完全に枯渇しているわけではないらしい。そこまで魔力を使い切ることは出来ないみたい。ほとんど前例はないらしいけれど、もし魔力が完全にゼロになった場合には死ぬと言われている。
私はなかなか言うことを聞いてくれない体に鞭を打ち、アルさんの傍らに跪いて、彼の左頬をさすり口づける。
「アルさん……ご心配をお掛けしました。私はこうして生きていますよ、だから早く起きてくださいね」
「あれ?パパ、泣いてる……?」
シルの言葉通り、アルさんの固く閉じられた両目から一筋の涙が零れ落ちる。
「……何をしても反応が無かったのに」
師匠が驚きの声を漏らすが、残念ながらアルさんがそれ以上の反応を示すことはなかった。
それから両手でアルさんの左手を包んだ私はあることに気が付く。彼の左薬指にはめられた指輪が、微かに光を放っていることに。
「また……女神様のもとに行く理由が出来ましたね」
私の呟きを聞いたクラウディアさんが首をかしげる。
「セアラさん、どういうこと?」
「ええ、あの日、私が女神様に助けてもらったときも、こうして指輪が光っていました。きっと今も女神様がアルさんを守ってくれているんだと思います」
「そう……俄には信じがたいけれど……実際に女神に助けられたセアラさんがそう言うのなら、確かにそうなのかもしれないわね」
クラウディアさんと師匠がさもありなんという感じで頷く。
「それで、あれから何か襲撃などはあったのでしょうか?」
「ソルエールには無いわ。でもね……ここにきて近隣諸国に侵略を開始している国があるわ。それがクリューガー帝国、もともと領土的な野心を持っている国だと言われていたけれど、各国間で安全保障条約が結ばれるようになってからは、その動きも鳴りを潜めていたんだけど」
「つまり、条約をものともしないほどの軍事力を持っているということですか?」
「ええ、そういうこと。その件で今日は来客があるんだけど……どうぞ」
クラウディアさんの言葉が終わる前に、扉がノックされ、許可を得たグレンさんが入室してくる。
「代表、魔王陛下が間も無くご到着されます。執務室までお戻りください」
「ええ、すぐ行くわ」
クラウディアさんが部屋を出ようとすると、グレンさんの後ろから二メートルを越える大男が姿を表す。その瞬間、部屋の中の空気が一気に張りつめ、その場の誰もが瞬時にそれが誰であるかを理解する。
そしてその方から語られる言葉こそが、あの子が言っていたアルさんの出生だった。
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