第80話 二つの噂

 ヒルダに促されて屋敷の敷地内へ入り、広大な庭を抜けるとブレットとレイラがわざわざ一行を出迎える。


「いらっしゃい、アル君、セアラさん、シルちゃん。良かったらお二人の紹介をお願いしてもいいかい?」


「本日はお招きいただきましてありがとうございます。お久しぶりです、ブレットさん、レイラさん。セアラの母親のリタさんと、ソルエール魔法学園の学園長で私の先生でもあるドロシーさんです」


 アルから紹介された二人がブレットに挨拶をすると、ドロシーが一歩進み出る。


「初めまして、セアラの母、リタと申します。娘が大変お世話になっているそうで、ありがとうございます」


「初めまして、ドロシー・ロンズデールです。それにしても、私までお招き頂いてよろしかったのでしょうか?」


「ええ、高名な魔法学園の学園長とお知り合いになれるとあれば、願ってもないことですから」


「あら、辺境伯様にお褒めに与るなんて光栄ではありますが、そんなに大したものではございませんよ?」


 普段とは違う、魔法学園の学園長としての対応を見せるドロシー。


「はは、ご謙遜を。魔法教育の粋を集めた世界一の教育機関の長。一介の貴族程度にへりくだっていただかなくてもいいんですよ?かくいう私もヒルダを魔法学園に入れたかったのですがね、残念ながらそこまでの魔法の才は無かったようで」


「仕方ありませんわ。魔法はどうしても生まれつきの素養に左右されてしまいますからね。努力だけではどうにもならないこともあります」


 二人の会話を黙って聞いていたレイラが、痺れを切らしてブレットをせっつく。


「ああ、すみません。玄関先で立ち話などしてしまいまして。それでは参りましょうか」


 一行はブレットたちについて屋敷の中を進む。王城に負けないほどのふかふかの絨毯に、嫌みのない美術品の数々。そしてきれいに統一された調度品。カペラにある別邸によく似た雰囲気を持っていると、アルとセアラは感じていた。

 今日は夕食をご馳走になって一泊する予定だったのだが、時間がまだ早かったので、まずはティータイムを楽しもうと広目の一室に通される。

 使用人が紅茶や様々なお菓子の準備を始めると、アルの膝の上に座るシルが、目を輝かせながら尻尾を揺らす。


「シル、行儀悪いわよ」


「だって美味しそうなんだもん」


 セアラに窘められたシルが口を尖らせるとブレットたちが微笑み、レイラが声をかける。


「すっかり親子らしくなりましたね」


「そうですね、もうあれから半年ほど経ちますし」


 セアラの答えに、レイラは微笑みを崩さずに頭を振る。


「時間の問題ではないですよ。きちんと愛情を持って育てていなければ、そのようにはなれませんから」


「そうだね、あの時の私たちの判断は正しかったというわけだ」


「あの時の判断、ですか?」


 思い当たる節のないアルとセアラが鸚鵡返しをする。


「ええ、お二人がシルちゃんを育てると言い出したときに、最初は私たちが引き取った方がいいかと思っていたんですよ。何せまだまだ若いお二人ですし、結婚してすぐでしたからね」


「そうだったんですか、ご心配お掛けしました」


「いやいや、私たちが勝手に心配したことだからね。頭を下げてもらうようなことじゃないよ」


 その後のお茶会は、アルたちのこれまでの暮らしが話題の中心となって進んでいく。


「それにしてもリタさんは大変お若くて羨ましいですわ。なにか秘訣でもあるのでしょうか?」


 レイラが何気なくリタの容姿について質問をしてくる。三十を過ぎた女性ともなれば、興味を持つのは自然な話ではあるし、もちろん他意もないのだがアルたちの間に僅かな緊張が走る。


「秘訣、というものはありませんね。私はエルフですので」


 まるで動じることなく自分のことを話すリタに、ブレットたちだけでなくアル、セアラ、シルも驚く。


「そんなに驚くようなことではありませんよ?私もハーフエルフですから」


 リタに便乗するようにドロシーも口を開く。


「なんと……ではセアラさんは?」


「はい……私はハーフエルフになります。黙っていてすみませんでした」


 セアラが謝罪をすると、ブレットたちは顔を見合わせてから笑顔を見せる。


「謝る必要なんてないさ。確かに驚いたけれどね」


「そうですわ、むしろ隠していて当然のことですもの」


「だからセアラさんはそんなにきれいなんですね!しかも若くいられるときが長いなんて……羨ましいです」


 暢気な感想を漏らすヒルダにセアラはキョトンとした表情を浮かべると、おずおずとブレットたちに尋ねる。


「その……怖かったりしないんですか?」


「はは、私たちはセアラさんを知っているからね。それにその質問は私たちがするべき質問だよ?酷いことをした人間が怖くないのかってね」


「私は……みなさんなら怖くありません。そのようなことをする方たちだとは思えませんし」


「ありがとう。いいかい、セアラさん。ヒルダも含めた若い世代は、そういった差別意識はどんどんと薄れてきているんだ。今は表立ってエルフが暮らせる場所はソルエールくらいしかないけれど、近い将来もっと多くの国で暮らせるようになるはずだよ。アルクス王国も国王様の勅令で、積極的に優秀な亜人を登用し始めているからね」


 アルクス王国は国王のエドガーを中心に、実力至上主義の体制を着々と作り始めていた。前国王の失態を反面教師に、優秀であれば人種も出身も身分も問わない。これはエドガーが昔アルから元の世界のシステムを聞いたときから、即位した暁にはやると決めていた。

 当然有力な門閥貴族からは反発を買うことになるのだが、アルのかつての仲間たちが所属する直属部隊が、反発する貴族たちの弱味を調査したり、時には力で押さえ込んでいた。

 とはいえ重大な弱味を握ったとしても、締め付けすぎると結託してクーデターを起こされる恐れがあるので、生かさず殺さずのギリギリのラインを保つ。この辺りのバランス感覚は、さすがアルも認めたエドガーといったところであった。


 ティータイムを終えると、しばしファーガソン家の三人が席を離れる。


「ねえお母さん、ブレットさんたちが受け入れてくれるって分かってたの?」


 セアラは結果的に問題がなかったとはいえ、どうしてもリタの行動の真意が読めずにいた。


「リスクは確かにあったけれど、それ以上にメリットがあると思ったからね。二人から話を聞いて、実際に会ってみた感じでは、信頼には応えてくれる人たちみたいだし。それよりセアラはお世話になっている人に、隠し事はしたくなかったんでしょ?」


「……うん、ずっと隠して生きてきたから、どうしていいか分からなくて。本当はブレットさんたちに限らず、みんなに言えたらいいのにって思ってるんだけど」


 俯くセアラの手に、リタはそっと手を重ねる。


「今はそれでいいと思うわよ。こういう風に貴族のお屋敷ならまだしも、誰が聞いているか分からないような場所で話すのは危険だからね」


「まあ私くらいの立場になると大っぴらにしても問題ないんだけど……特にセアラの場合はちょっと特殊だしね」


 ハーフエルフが魔法学園の学園長となれば、さもありなんと思われるだろうが、現状ただの平民のセアラが正体を明かすのは危ういとドロシーも同意する。さらにセアラはハイエルフでもあるので、リスクが跳ね上がることは明らかだ。


 その後の夕食時には、当たり障りの無い話に終始する。そのままつつがなく夕食が終わると、来客用の寝室へと案内される。

 今日はリタとシルが一緒に寝ることになっているので、アルとセアラが適度な弾力を持つ寝心地のいいキングサイズのベッドに体を滑り込ませようとすると、ふいにドアがノックされて使用人からブレットが呼んでいると告げられる。

 二人は使用人に促されるまま、ブレットが待つ応接室へと入室すると、そこには彼と向かい合うようにドロシーが座っていた。


「やあ済まないね、ちょっとロンズデールさんも交えて話をしたいことがあってね」


 セアラは話題の見当がつかないが、アルはこの場にドロシーがいることで全てを察する。そして二人は促され、ブレットに向かい合うようにドロシーの横に座る。


「夜も遅いから単刀直入に言おう。アル君、セアラさん、ソルエールに身を寄せるんだ」


 ブレットからの唐突な提案、というよりも指示。当然のことながら、アルから未だ話を聞かされていなかったセアラは首を傾げる。


「すまない、セアラ。実は先生から俺たちをソルエールで保護をしたいと言われていたんだ、また後で詳しく説明させてくれ。それで……やはりそれはどうしても避けられませんか……?」


 アルの問いかけに、隣のドロシーが渋面を作って答える。


「以前話していた状況が悪化しているの。今後アルが魔王を倒せなかったということで糾弾する動きが、出て来るかもって言ったわよね?」


「……ええ、そういう流れに?」


 ドロシーが頷き話を続ける。


「確かにそうなんだけれど、ファーガソン卿が仰られるには、今この世界には二つの噂が流れているみたいなの。一つは単にアルクス王国の魔王討伐は失敗に終わっており、勇者も今なお健在だという噂。そしてもう一つは、魔王は討伐を差し向けたアルクス王国に怒りを抱いており、勇者の首を差し出せと言っているという噂」


 アルは冷静にそれを聞いているが、セアラは顔を赤くして怒りに身を震わせる。

 ブレットは対照的な二人の反応に眉をひそめるが、それに言及すること無く詳しく説明を始める。


「私がこれらの噂を耳にしたのは一ヶ月ほど前のことでね、それで今日まで方々手を尽くして噂の出所を探ってみた。まず前者の噂が流れているのは魔族との融和を認めない国だけで、尚且つ複数の国で同時期にその噂が出始めたことが分かったんだ。そしてただの噂話にしては、アル君から聞いた話と合致するところが多く、細かい上に確度も高い。つまり何者かが主導して情報を流して、そういう動きを形成しているフシがあるんだ」


「……私に恨みを持つ者がいる、と言うことですか?」


「有り体に言えばそうだね。そういった国がどこまで噂を信じるかは定かではないけれど、少なくとも魔王と勇者について調査を始めるのは時間の問題だと思う。もしかしたら既に君のそばまでたどり着いているかもしれない。そして魔王と君の生存を知ることになれば、なぜ勇者は魔王討伐もせずに今ものうのうと生きているのかと糾弾するかもしれないし、魔族を憎む人の中には、アル君が魔王の手先なんじゃないかって思う人もいるかもしれない。もちろん糾弾は嘘の討伐宣言をしたアルクス王国にも向けられるだろうけどね。今はそちらはどうでもいい話だ」


 ブレットの重々しい表情が、事態の打開策が無いことを物語る。なまじそれが全くの作り話でないことが厄介だった。実際にアルは魔王討伐が出来なかった。そして今はセアラとシルと日々を幸せに生きている。

 いくら現魔王が他種族を害さないと言っても、長い年月をかけて醸成された嫌悪感はそうそう拭い去れるものではない。となれば自分に怒りや失望といった感情が向けられることもやむを得ない。アルはそう考えていた。


「おかしいです!アルさんは何も悪くない!違う世界から連れてこられて、帰るためには魔王を倒せと言われ、最後には王命とはいえ仲間に裏切られて……幸せに生きていたっていいじゃないですか……あんまりです……」


 とうとう黙って聞いていられなくなったセアラが拳を握りしめ、肩を震わせながらアルを擁護する。

 セアラの言っていることは全く以て正しい。だがそれは彼女がアルの身に起きたことを知っているから。知らない者からすれば、そこにある現実が全てでしかない。


「セアラ……」


 アルは震えるセアラの肩を優しく抱き寄せて座らせると、ブレットに頷き先を促す。


「次に後者だが……正直こちらの方が緊急性は高い。まず知っておいてほしいんだが、現魔王は魔族との交流に前向きな国家に対して、様々な技術供与を行っているんだ」


「実際にソルエールも色々としてもらってるわよ。例えば通信魔道具ね。改良が進んでコストを抑えられるようになってきたから、もうすぐどの家庭にも一台置くのが当たり前になると思うわ」


「成程……それは確かに大きなメリットですね。それらの国は感情はひとまず置いておいて、実利を取っているということですか」


 魔族は妖精族に劣らず魔法の適正が高い。そして自然の中で生きる妖精族に比べ、文化的な生活を営んでいる。魔道具が発展することは自明の理だった。


「ああ、だが人間というのは強欲でね、少しでも他国を出し抜きたいと思っているんだ。どうしたら良いかと考えた彼らのもとに流れてきたのが後者の噂というわけだ。魔王が自身の討伐に来て生き延びた勇者の首を狙っている。アル君が見逃されたということを知らない者からすれば不自然な話ではないし、魔王からの覚えを良くしたい彼らからすれば渡りに船というものだよ」


「……明らかに作為的なものを感じますね」


 ブレットとドロシーは静かに首肯し、セアラはそのあまりにも身勝手な考えに、俯いたまま顔を上げることができない。


「もちろん我が国は魔王はそんなものを要求していないと考えている。一貫して融和を目指す立場を崩さない魔王が、一度見逃しておいてそんなことを望むなんて到底思えない……本音を言えばソルエールでなくアルクス王国で君を保護してあげたい。だけど今は改革を急ピッチで進めている真っ最中だ、邪な考えを持つものがまだまだいる」


「だからソルエールで保護をしてもらえと、そういうことですね」


 ブレットは己の非力さに落胆し、肩を落としながら同意する。


「アル、セアラとシル、それにリタさんも連れてソルエールにいらっしゃいな。一時的でも避難しないと、アル以外にも危険が及ぶかもしれないわ」


「…………そう、ですね。セアラ、すまない。ソルエールに行こう」


 セアラは先程から終始俯いたままだった顔を上げてアルを見つめる。その双眸からは、涙が止めどなく溢れ出している。

 アルは運命に翻弄されながらも必死で生きてきた。それなのにどうしてこんな仕打ちを受けないといけないのか、セアラにはどうしても理解できなかった。


「どうして……どうしてアルさんが謝るんですか?私はどこへでも一緒に行きます、シルもそうです。私は……私たちだけは、決してあなたから離れません」


「ああ……ありがとう」



※あとがき


もうすぐこの章も終わりですが

ひたすらストレスのたまる章ですみません

次はソルエール編、そして最終章へと続きます

最終章と言っても本筋の最後という意味なので

そのあとはまったりと結婚生活を描ければと思っております

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