第37話 アルの考えはお見通し

「あー、いってえ」


 頭を押さえてうめくギデオン。通常であれば暫くは起き上がれないほどの衝撃が、脳に行っているはずだが、さすがは熊獣人といったところ。

 アルはそんな様子をまるで気に留めることもなく、セアラとシルが両手をあげて喜んでいたので、二人に手を振っていた。


「おいおい、ちょっとくらい、こっちの心配したらどうなんだ?」


 そんなアルを見てギデオンは恨めしそうな声を漏らす。


「俺が心配せずとも大丈夫そうじゃないか。まあ脳にダメージがいってるだろうから、今日は酒はやめとけよ」


「ちっ、全く……この条件ならいい勝負かと思ってたのに、ここまでかよ」


「どうせ力比べで押しきるつもりだったんだろう?その後の動きが雑すぎる。焦りすぎだ」


「はっ、しゃあねえだろ。俺も実戦はとんとご無沙汰なんだよ。こりゃあ、もう一回鍛え直さねえとな」


 アルがギデオンに手を差し伸べて引き起こすと、二人のもとにセアラとシルとナディアが駆け寄ってくる。なぜかナディアが一番に到着すると、上目遣いで目を潤ませながら、アルの手を両手で握ってくる。


「アルさ〜ん、やっぱりすごいですね〜!」


「……すまんが、手を離してもらえないか?」


「え〜?ダメなんですか〜?」


「ダメです!」


 女性の手を力任せに振りほどくのはどうかと思い、アルが困惑していると、二人の間にセアラが割って入り引き剥がす。


「え〜?アルさんがよければ良いじゃないですか〜」


「誰もいいなんて言っていないんだが……」


「ダメですよ!アルさんは誰にも渡しません!アルさんは私とシルのものですから!」


「むむ……」


 セアラのあまりの迫力に、ナディアもさすがにそれ以上はアルに近づけず引き下がる。


「セアラ、ありがとう」


「アルさん!ありがとうじゃありませんよ!ちゃんと断らないとダメじゃないですか!いつも私が一緒じゃないんですよ!」


 アルは鬼のような形相で詰め寄るセアラに気圧されて、思わず一歩後ずさる。


「……すまない」


「あはは、やっぱりママの方が強いんだね!」


 けらけらと愉快そうに笑うシルにつられて、思わず二人にも笑みがこぼれる。


「セアラに怒られるのは初めてだな」


「え?そうでしたか?」


 キョトンとした表情をセアラが見せると、アルが頬を緩める。


「ああ、これも成長だな」


「ふふ、そうですね」


 セアラは笑って同意すると、ぽすっとアルの胸に顔を埋める。


「……アルさんが私だけを見てくれていることは知ってますし、それを疑ってもいません。だけどやっぱり不安にはなります。その……アルさんはやっぱり素敵な人なので」


 ストレートな物言いに、思わず顔が熱くなるアルは、胸の中のセアラを抱き締めながら謝る。


「すまない。気を付けるよ」


 ギデオンはそんな二人を呆れたように、ナディアは恨めしそうに見る。


「ナディア、残念だったな。あれをどうにかしようってのは無理ってもんだ」


「むぅ、いいな〜。アルさんほどとは言わないけど、どこかに強くて独身の人はいないものかな〜」


 むくれた表情を見せるナディアに、ギデオンは嘆息する。


「……まさかお前それが目当てで、ここで働いてるのか?」


「当たり前じゃないですか〜、まあ強ければいいってものじゃあ無いですけどね〜。その点アルさんは最高なのにな〜」


「ナディアお姉さん残念だったね、ママに勝てる人なんていないよ。パパとママはいつも仲良しなんだから」


 いつのまにか二人のもとに来て、二人の仲の良さを自慢するシル。ギデオンとナディアは顔を見合わせると、ギデオンは愉快そうに笑い出す。


「はは、嬢ちゃんの言う通りだな」


「むぅ……」


 試験の結果、もちろんアルはBランクからのスタートが認められた。ここから上に行くには実績を積み上げていくしか無い。


 無事に冒険者登録を終え、モーガンからはセアラの母親に会いに行く許可も得られた。もはや障害となるものは無くなったので、アルたちはギルドの通信用魔道具を借りて温泉宿に宿泊日の連絡する。


 通信用魔道具は携帯電話のような感じで、通話と文章のやり取りが出来る。ただし非常に高価なため、貴族を除いて個人で所有することはほとんど無い。


 ギルドは緊急時には応援の要請など、各地と連携をとらなければならないため、どの支部においても設置している。そしてギルドに登録していなくとも、料金を払えば誰でも貸してもらえる。

 今回アルたちが宿泊する予定の宿も、貴族たちがよく宿泊する高級宿であったので設置していた。


「セアラ、九月の末に予約が取れた」


 アルが座って待つ二人のもとに戻ってくる。予約が取れた九月末は三ヶ月以上先だった。


「はい、分かりました。ところでラズニエ王国へはどうやって行くんですか?」


「ああ、この町から転移魔法陣を利用すれば行けるみたいだ」


「転移魔法陣って?」


「ああ、大きな町は転移魔法陣っていう物が設置されているんだ。それを使うと一瞬で目的地の町まで行くことが出来る」


「えー?すごいすごい!じゃあどこへでも行けちゃうんだ!」


「そんな便利なものじゃないんだよ。今開発されている転移魔法陣は、距離が延びれば延びるほど制御が困難になってしまう。もし制御に失敗してしまうと、どこに飛ばされるか分からない。少しづつ進めば出来ないこともないが、一回使うだけでも一人当たり銀貨五枚必要なんだ」


 銀貨五枚となると、日本円で五万円になる。つまりアルたち家族が使うとなると、一回で十五万円必要になってしまう。

 そのためよほどの金持ちか、急ぐときでない限りはそうそう使用できるものではないが、今回は新婚旅行なので奮発するつもりだった。

 また、距離については三百キロまでなら安定して転移できると言われており、カペラからラズニエ王国はぎりぎりその範囲内だった。


「へぇ〜、そうなんだ」


「それにしても、そんなに先じゃなくても良かったんじゃないですか?」


「それでも最短みたいなんだ。その日はたまたまキャンセルがあったから良かったんだが、その先になると半年後になってしまうみたいでな」


「そうなんですか……と言うことは、そこまで人気がある宿ということなんですね」


「でも楽しみ!」


 宿の善し悪しよりも、単純にアルとセアラと旅行できるのが、楽しみで仕方ないと言った様子のシル。そして二人もその意見に同意するように微笑む。


「ああ、そうだな。セアラ、少し時間が空いたし、ついでに旅行用に必要なものでも見に行くか?」


「そうですね……ラズニエ王国はどういった気候なのでしょうか?」


「ここから北に約三百キロだからな。時期的にも昼はともかく、朝晩は少し冷えるかもしれん」


 カペラですら平均気温は日本よりもやや低い。そこよりも北に三百キロとなると同じ服装というわけにはいかない。


「ではメリッサの店に行ってみましょう。羽織るようなものがあればいいかと」


「そうだな」


 三人はギルドをあとにして、メリッサの店へと向かう。

 こうして町を歩くときは、自然とシルを真ん中にして手を繋いで歩くのが決まりのようになっている。アルとセアラは、それが不満と言うわけではないが、互いに手を繋げずに少しだけ寂しい気持ちも抱いていた。

 そんな二人の気持ちを察したのかは不明だが、シルがアルに抱っこをねだると、アルは左腕一本で娘を抱えて、右手でセアラと手を繋ぐ。

 ニコニコと嬉しそうな表情を浮かべるセアラと、少しだけ頬を緩めるアルを見て、シルはセアラの言葉を思い出す。


「ママの言ってたことは本当だね」


「え?どうしたの?」


「パパの考えていることは、顔をよく見れば分かるって」


「……そうなのか?」


 思いがけない一言に、わずかにアルの頬が紅潮する。


「ええっと……はい。で、でも多分私とシルにしか分からないと思います!」


 セアラのフォローが、逆にアルの羞恥心を助長するが、両手ともふさがっており、顔を隠すことが出来ない。


「今パパは恥ずかしいでしょ?」


「あっ!シル……」


 まるで空気を読まないシルの言葉にセアラは慌てるが、アルは恥ずかしさ以上に、二人が自分のことを理解していることが嬉しかった。


「いや、いいんだよ。それだけ二人は俺のことを見てくれているということだろう?」


「はい、そうですね」


「うん!」


 三人が店に着くと、見たことのある馬車が止まっている。


「あ、そう言えばレイラさんとヒルダさんが伺うと言われておりましたね」


「本当に来たんだな」


 二人は単なる社交辞令ではないかと思っていたので驚く。

 メリッサがそう言っていたように、決して貴族が好んで立ち入るような店ではない。


「この辺りがあの方たちの人柄、と言うことでしょうかね?」


「そうだな、こうして積極的に市井の人間と交わることが出来る。そういうことを大事にしているんだろう」


 辺境伯というと中央から左遷されたような響きではあるが、実際は大きな権力を持っており、他国との国境に領地を構えることが多い。そのため決して凡庸な人間には務まらない。

 そしてアルクス王国はエイブラハム王の即位以来、中央貴族は王のご機嫌伺いばかりになっており、腐敗が進んでいた。

 もしもその時ファーガソン家が中央にいれば、目の上の瘤として粛清されていたかもしれない。辺境伯であったことは僥倖であったと言える。


「とりあえず俺たちも入ろうか。帰られる前に挨拶も出来てちょうどいい」


「ええ、そうですね」

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