第10話 後悔と決意
セアラと別れたアルは自宅への道をゆっくりと歩く。走ればすぐに着くのだが、今日はそうしたい気分だった。彼女とこの道を通った回数は、アルが一人で通った回数よりも遥かに少ない。それにも関わらず、まるで知らない道を歩いているような気分を抱く。
走れば五分とかからない道を三十分かけて歩く。ひどく無駄な時間にも思えるが、帰ったところで一人で食事をして風呂に入り寝るだけ。急いで帰るような理由がない。
ちょうど町から出て三十分で家に着くと、夕食の準備を始める。住み始めた頃にはちょうどいいと思っていたキッチンがやけに広く感じる。
セアラの手元を気にしながら料理する必要はもうない。だからなにも気にせず自分のペースで調理を進めればいい。
セアラがいないので夕食時に相槌を打つ必要はない。だから食べるペースを乱されず、一人静かに食事を楽しめばいい。
セアラの風呂掃除が終わったと言う声はもう聞こえない。だから風呂掃除も自分でして、好きな時間に入ればいい。
セアラはもういないので隣で眠る人はいない。だからベッドを思う存分大の字になって、広々使って眠ればいい。
セアラはもうこの家のどこにもいない。だから彼女が何をしているのか、どこにいるのかを気にしなくてもいい。
アルにとって、つい最近まで当たり前だったはずの日常。それはひどく味気ないものに感じられた。だからといって、彼女をここに連れてくるわけにはいかなかった。
もう彼女は一人でも生きていける。ここに来たばかりの彼女ではない。自分が心配しないといけないのは彼女のことではない。自分のことだ。そう言い聞かせてアルは一人眠りにつく。
それから一週間、セアラが来る前と同じ、生きているのか、死んでいるのかも分からない時間を無為に過ごす。
アルはふと、明日はそろそろ買い物と素材の売却を兼ねて、セアラの様子を見に行こうと思い立つ。町に行こうと決めたとき、アルは心がふわふわと高揚するような感覚を抱いていた。
もうアルにも分かっている。この一週間で嫌と言うほど思い知らされた。元の生活に戻るだけ、セアラのいない日常にもすぐに慣れる。そんな考えは脆くも打ち砕かれていた。ベッドに残る残り香は会いたい思いを募らせ、彼女のことばかり思い出していた。
もはやアルにとって、セアラはかけがえのない存在になっていた。それでも彼女と自分は共に生きていくことはできない。かけがえのない存在であればこそ、自分のせいで危険な目に遭わせるわけにはいかないとアルは思い込む。こうやって週に一度くらい彼女に会うことができれば、それで十分だと自分に言い聞かせる。
町へと赴く当日、朝食を終えたアルは、いてもたってもいられなくなり、少し早いと思いながらも家を出る。そして一週間前に二人で通った道を、噛み締めるようにゆっくりと歩く。
セアラは元気でやっているだろうか、ちゃんと食事をとっているだろうか、もう仕事は見つけただろうか、どこか新しいお気に入りの店を見つけただろうか。そんなことを考えながらアルは町への道を進む。
セアラの家に行きたい気持ちを抑え、まずは用事を済ませようとギルドへと向かう。するとアンとモーガンが何やら深刻そうに話をしている。
「あっ!アルさん!」
アンがアルに気付いて声を掛けてくると、モーガンが頭突きをするほどの勢いでアルに向かって走ってくる。
「おいアルっ!昨日の夜、セアラちゃんがアルクス王国に連れ去られた!何でお前傍にいてやらなかった!?」
アルの目の前が真っ白になる。なぜ自分はその可能性に気付かなかったのだろうか。冒険者を見逃したのだから、彼女の存在が露見する可能性は十分にあった。完全に自分のミスだと気付く。
「アルっ!?どうしたんだ、大丈夫か?」
「あ、ああ……すまん、詳しく教えてくれ」
モーガンの言葉で我を取り戻し、後悔するよりもまずは状況を知ることが先決だと思い直す。
「ああ、セアラちゃんは解体場で働きたいって言って、ここに出入りしてたんだ。それでとりあえず見習いって形で、雑用しながら解体の勉強をしてもらってたんだ」
「セアラが……」
セアラが解体場で働きたいと言ったのは、アルに会える時間を少しでも多くしたいという気持ちと役に立ちたいという気持ちからだった。もちろんそれはアルにも分かっている。
「それで昨日の夜、いきなりアルクス王国の兵隊どもがギルドに押し寄せてきやがったんだ。セアラちゃんを反逆者だって言ってやがった」
そこまで聞いてアルの表情が怒りに染まる。セアラを連れ去ったアルクス王国だけではなく、それを予見できなかった自分に対して怒りが抑えきれない。
普段全く表情を変えないアルの激情にアンとモーガンが思わず後ずさる。
「ありがとう、モーガン。セアラは俺が助け出す」
「ア、アルさん、助けると言ってもどうやって?」
アンの心配はもっともだった。一つの国が反逆者と言って捕らえた者を、たった一人で助け出すなど夢物語でしかない。アンもモーガンも、アルの強さが並外れたものであることは分かっている。それでも一国を相手にするなど、馬鹿げているとしか言いようがない。
「正面切って戦争する訳じゃない。やりようはある」
「そうは言ったって……」
「セアラは俺の妻だ、絶対に助ける。モーガンの言う通りだ。俺が彼女の傍で守るべきだったんだ」
もはやいつも無表情だったアルの面影はまるで無い。この世界に召喚され魔王討伐に向けて、がむしゃらに突き進んでいたころの顔つきになっている。
「……そこまで言うなら止めやしねえよ。だが死ぬなよ、必ず二人とも無事に帰ってこいよ」
「アルさん、お気を付けて」
「ああ」
アルはアルクス王国王都に向けて猛スピードで駆け出す。通常であればカペラから王都へは馬車で三日はかかる。しかし相手は恐らく転移魔法陣を使用して、移動しているはずだとアルは考える。そうすると既に王都に着いている可能性もある。
だがアルはセアラがすぐに処刑されたりする心配はしていない。自分を亡き者にしようと考えているのならば、セアラは誘き出すための餌だと考えて間違いなかった。そもそも既に彼女は裁かれて、追放されている身であって、再び捕らえることに道理など無い。
そして狙いが自分となると、転移魔法陣には王国の手が既に回っていることは想像に難くない。自分の行動も見張りがいて、連絡用の魔道具によって筒抜けになっていると考えていい。
それでもアルは可能な限りのスピードで王都を目指す。アルにとってはセアラがすぐに処刑されなくても関係ない。それは急がない理由には決してならなかった。
今この瞬間にも彼女が不安や恐怖を感じているのならば、自分が一刻も早く駆けつけなければならない。二度と彼女を自分の傍から離さないと伝えなければならない。
既に完全に日は落ちているが、半日で王都への道のりを走り抜けたアルは、体を透明にする魔法『不可視』を発動して潜入する。やはりアルがここに来ることを知っているのか、王都に入るためにはいつもよりも厳重なチェックがなされていた。
しかし中に入ってしまえば問題はない。アルは『不可視』を解くと『変身』を使用して髪の色を黒から金に、瞳の色を黒から緑に変える。そして情報収集をしようと罪人の処刑日程などが示されている掲示板へと向かう。
「……これだな」
アルの目に留まったのはセアラと思しき人相書が書かれた紙。既に王女ではなくただの町娘のという扱いのようで、罪状には公爵に近づき殺害を企てたと書かれていた。アルにとってはそんなものはでっち上げと分かっているので興味はない。そして一番欲しかった重要な情報を手に入れる。
【処刑日:六月八日 処刑方法:公開鞭打ち後、斬首】
処刑日は明後日。アルは絶対に自分が助けると決めており、セアラの身にこの刑が執行されることはない、させるつもりは毛頭無い。それでもその光景を想像してしまい、怒りと殺気が沸き上がるのを抑えられない。
「あいつら全員殺してやろうか……」
幸い回りに人がいなかったため問題なかったが、常人であれば意識を保つことが出来ないほどの殺気が漏れ出す。アルは大きく息を吐くと、目を閉じてセアラを想い心を落ち着かせる。怒りに身を任せてはダメだと思い直す。それは最終手段でしかない。もしもそれをしてしまえば、自分達は一生追われることになってしまう。ならば二度と自分達に手を出したくないという程の恐怖を与えればいい。
そして翌日アルはそれを実行に移す。
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