第5話 アルの変化2

「アルさん、鏡台はこちらにおいていただいてもいいですか?」


「ああ、分かった」


 アルとセアラは家に戻ると、二階のセアラが使っている部屋に鏡台を設置していた。これでセミダブルベッドに小さなタンスと鏡台がある部屋となった。元王女が使う部屋としては非常に質素なものだが、セアラはいつもよりもニコニコとして上機嫌だった。


「ところでアルさんはいつもリビングにおられますが、どこで寝られているんですか?」


「リビングのソファだ」


 セアラは困惑する。よくよく考えてみれば分かりきった話で、なぜ今まで気付かなかったのかと後悔する。人嫌いだと言うアルが、わざわざベッドを二つ用意しているはずがなかった。


「それはいけません。私はベッドでなくても構いませんので、アルさんが使ってください」


「しかし女をソファで寝かすわけにはいかん」


「アルさんは家主です」


「しかしお前は俺の妻だろう」


 思わぬアルの言葉に、セアラは顔を真っ赤にして返答に窮する。そして逡巡した後、意を決して言葉を発する。


「では一緒に寝てはどうでしょうか?」


「……しかしそれはさすがにまずいだろう」


「私を妻だとおっしゃったのはアルさんですよ?」


 アルは嘆息する。要らぬことを言ってしまったと思うが、彼女は今さら撤回することを許さないだろう。短い付き合いだが、それくらいはアルにも分かる。ここはアプローチを変えて、物理的に無理と言うことを伝えた方が良さそうだと考える。


「確かにそうだな。だがこのベッドは二人で寝ると狭いだろう」


「私はアルさんに寄り添うので大丈夫だと思います」


 そういう問題ではないとアルは頭を振る。


「……俺だって男なんだ。勘弁してくれ」


「……わ、私は構いません」


 アルとしては結婚しているフリをしているだけの女性に手を出すつもりはない。しかし彼女が自分のことを好きだと言っているというのが悩ましい。どうしたものかとアルが懊悩しているとセアラが続ける。


「たとえそうなったとしても私は後悔しません。ですからどうか一緒に寝てください」


 絶対引かないと言う強い意思を携えてセアラがアルを見つめる。アルは心底困り果て、肩を竦めて返答する。


「……分かった」


「はい!じゃあ今日から宜しくお願いします」


 セアラは頬を朱に染めながら嬉しそうに答える。その様子を見てアルはいつもこの娘のペースになってしまうと思う。


「……とりあえず夕食を食べよう」


「はい、一緒に作りましょう」


 足取り重くキッチンに向かうアルと、足取り軽くついていくセアラ。その様は一目で二人の心理状態が分かるものだった。

 二人は協力して夕食を作り始める。セアラは手元が怪しいものの、慣れていないだけで特別不器用ということはない。そのため恐らく今後こうやって一緒に作っていけば、問題なく一人でも作ることができるようになると思えた。


「アルさんの教え方は分かりやすいです」


「そんなことはないだろう」


「いえ、そんなことありますよ。最初から細かく言うのではなくて、大事なところから教えてくれるので助かります」


 アルには自分が至極当然と思っていることを、わざわざ言ってくるセアラの意図が良く分からない。


「やっとことない人間に細かく言っても覚えられないだろう」


「はい、だから助かります」


「……そういうものか?」


「はい、そういうものです」


「そうか」


 もはや議論しても意味がなさそうなので会話を切り上げるアル。いずれにせよ自分のやり方で正しいと言ってくれるのであれば、アルとしても助かるのだから食い下がる必要はない。


 夕食時、アルは少し気になっていたことを切り出す。


「セアラ、一応夫婦なのだからさん付けや丁寧な口調はしなくてもいいんじゃないのか?」

 

「確かにそうかもしれませんが、これでも砕けた話し方をしているつもりです。それに私はアルさんと呼ぶ方が好きなので、多目に見てやってください」


「そうか」


「はい、でもアルさんも口調が固いと思いますので、おあいこですね」


 アルはセアラと会話するといちいち言い負かされているような気分になるが、それでも悪い気分ではない。それは彼女に全く悪意というものがないからだろうとアルは考えている。彼女からすれば、ただ自分との会話を楽しんでいるだけなのだと。

 そもそもアルとセアラの会話は八割方セアラが話しているので、会話の主導権は必然的にセアラが握ることになる。そしてアルはそこまで食い下がって自分の意見を通そうとしない。そのため最終的な結論は大体セアラのものが通る。


 食事が終わり次は風呂の準備を始める。魔法を使って準備をするため、こればかりはセアラには手伝えない。セアラの魔力量は常人と比べても多いはずなのだが、誰にも教えてもらっていなかったので魔法が使えない。

 とはいえアルからしても魔法で水を出して熱するだけなので、たいした労力ではない。だがセアラが何もしないのは嫌だと言うので、アルは風呂掃除をお願いしていた。


「アルさん、お風呂掃除終わりましたよ。湯を張っていただいてもいいですか?」


「ああ、ありがとう。すぐ湯を張るから先に入るといい」


「アルさん、お」


「言っておくが一緒には入らんからな」


 アルがセアラの言葉を遮って言う。


「さ、さすがにそれは私も無理です。アルさんからお先にどうぞと言おうとしただけです」


 顔を赤くして見つめ合う二人。


「そ、そうか。だが先に入っておけ」


「でもいつも私が先なので申し訳ないです……」


「その方がいいんだ。湯の処理などもしなくてはならんからな」


 申し訳なさそうに言うセアラに対して、アルがきちんと理由を伝えると、納得して引き下がる。


「そういうことでしたか。それでしたらお先にいただきます」


 アルとて、いつもいつもセアラに意見を通されるわけではない。その方が合理的であれば主張する。逆に言えばアルは合理的な理由がなければ自らの主張を通そうとしないので、セアラにいつも押し込まれるとも言える。


「アルさん、お風呂ありがとうございました」


 セアラの長い髪が濡れているのを見て、アルはドライヤー型の魔道具を出すのを忘れていたことを思い出す。


「すまん、これを忘れていた」


「ありがとうございます。あの……もしよろしければアルさんに乾かしてほしいのですが」


「俺は女の髪の乾かし方など知らんぞ?」


「構いません。今日だけでよいのでお願いします」


「……分かった」


 なにかセアラには思うことがあるのだろうとアルは思い、深く聞くことなく了承する。


「温度はこれくらいで大丈夫か?」


「はい、大丈夫です」


 拙いながらもアルがセアラの髪を乾かしていく。彼女の髪は癖などは全く無く、真っ直ぐに伸びて、キラキラと輝いている。今日の町でも男女問わず多くの人の目を引いていた。初めて出会ったときは泥や血がついておりその輝きが失われていたが、今は文句のつけようもない。


「これでいいか?」


「はい、ありがとうございます」


 いつものニコニコ顔でアルに礼を言うセアラ。湯上がりのせいなのかその頬は赤く染まっている。


「湯冷めするといけない。先に寝ていろ」


「いえ、待っております。またソファで寝るおつもりですね?」


 アルの考えていることなど、彼女からすれば手に取るように分かるようで、本日何回目かの大きなため息をつく。


「分かった、それなら早く出るとしよう」


「どうぞお気になさらずごゆっくりしてください。貸していただいたこちらの小説がすごく面白いので、読んで待っておりますね」


 アルは適当に相槌を打って浴室へと向かう。アルの家の浴槽は本人のこだわりもあって足を伸ばしても余裕があるほどの大きさ。家具などには全く興味を示さないアルだが風呂に入ることは好きだった。風呂はこの家唯一のこだわりと言ってもいい。


「ふう……」


 アルは風呂に浸かると今日の出来事を思い出す。セアラが最初から自分のことを有(ユウ)だと認識していたということ。彼女は大丈夫だと言っていたが、自分がここにいることを知っている者がいる限り安心はできない。自分は備えていれば危険はないが、彼女はそうはいかない。どうしたものかと頭を悩ます。

 いつの間にかアルは面倒だと思っていたセアラのことを心配するようになっている。それはあまりにも自然に湧いてきた感情。だからこそアルは自分が少しずつ変わっていることに気付くことはなかった。

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