生まれてこなきゃよかった

 俺は叔父夫婦に引き取られた。

 すごく良くしてくれたけど、けれどやっぱりショックで、俺は忘れようと剣道に打ち込んでいた。

 君は公園で素振りをする俺の隣で、正拳突きをしていた。

 お互い黙って、素振りと型稽古を続ける。

 日が暮れるまで、ずっと。

 俺は時折ぶっ倒れて、君は俺に水を飲ませ、君も時折気絶して、俺は君に水を飲ませた

 君がどう思って、そうしていたのかは分からない。

 ただ、そんな日々が続いて、俺はようやくあの言葉を言ったんだ。

「生まれて来なきゃ良かった」

 そう言った時、父さんが死んだ時も、母さんに拒絶された時も、流れなかった涙が流れた。

「強くなっても、大きくなっても、結局、守れない」

 どんなに強くなっても、自分の大切なもののピンチに、丁度よく自分がいるなんて、そんなことはありえない。

 父さんと母さんが、どちらも無事であるなんて、それには、俺が、死ぬしかない。

 俺に、君は泣きそうな顔で言った。


「私は、あんたがいて良かったって、思ってるよ。一人だったら、耐えられないし」

「ずっと、一緒に守り合って来たじゃん? 私、あんたがいて、嬉しかったんだよ?」

 俺はそれを聞いて、泣いて泣いて泣いて、やっと笑えた。

 あの頃から、俺は死んでも井上勇美を守ろうと思った。

 絶対に何があっても、この世の何もかもから。

 だって、自分が一番辛いときに寄り添ってくれて、自分が一番欲しかった言葉をかけてくれた女の子を、

守らなかったら、男じゃないだろ?


 大和は必死で脱出口を探して、ビルの裏手に非常階段を発見した。屋上からは一階分の高さを飛び降りなければならないが、背に腹は代えられないだろう。

 勇美の手を掴み、身を乗り出して彼女を階段へ下した。その後、彼も降りようとした所で、後方から耳をつんざくような音がした。

 銃声だ。そして金属同士がぶつかる音。壊そうとしている。

「走れ!」

 二人はすぐに駆け下りた。このまま、ビルの下まで降りれる。だが、6階までおりた所で、大和は視界に男を捉えた。

 飛び降りてきた。そして、手すりを掴んで一階層分下に男。

 大和は瞬時に扉を蹴り破った。そのまま駆け込む。

 銃はまずい。銃はまずい。銃はまずい。

 頭の中で同じ言葉が駆け巡りながら、それでも大和は何とか勇美を先に行かせる。

 またも銃声、肩に激痛。

 女性の悲鳴が聞こえる。それも焦りに拍車をかけるが、構わず走る。

 階段を駆け下りながら、それでも、あちらの方が早い。

 3階、あと二つ。銃声、今度は腹部に激痛。

 間に合わない。フロアへ入り一室に逃げ込む。

 そこは小さな会議室らしく、数少ない机をいくつも積み上げ、バリケードにした。

 出入り口は一つしかない。ここを抑えれば安全だ。

 これで助かったと思ったのも束の間、衝撃が机を吹き飛ばそうとする。それでも何とか二人で力を合わせて、押しとどめる。

 衝撃が何度も何度も、背中を押した。二人で必死に耐えた。どれだけそうしていたのか。いや、一分しかたっていない。そんな折、サイレンが聞こえてきた。

 二人で顔を見合わせ、笑顔を浮かべる。だが、それも一瞬。

 爆音が何度も聞こえ、勇美は大和にしがみついた。

 それでも何とか声を上げないよう、唇をかみしめていた。

 釧灘大和は何とか安心させようと抱きしめた。そして、扉の方へ振り返る。

 目が合った。

 冷え切った、怒りの籠った瞳だったが、大和はそんなことは考えられない。

 思考回路がストップする。

 住宅街を歩いていたら目の前にライオンがあらわれたような反応だ。

 目がそれた。

 ホッとする気持ちを無理やり抑え、思考回路をフルに動かす。勇美を抱えて飛び出した。背中に激痛。

 空いた穴から、銃弾を通したのだ。

 男は間髪いれず扉を押した。隙間ができる。できた間から男は銃を向ける。大和は回し蹴りを扉に、扉は勢い良く締まり、男の腕を挟んだ。大和は銃を拾い。男に向き直る。

 にらみ合う二人。

「大和、傷」

「かまわない」

 勇美をかばうように背中へ。

 背の高い勇美は、縮こまるようにしがみついた。

「……俺たちをそんなに殺したいか? 信奉者」

 勇美を庇いながら、大和は男に話しかけた。

 銃を持っているが、決して油断してはいない。

 銃を持っていようが、自分なら怯まない。向こうも怯まないだろう。

「大の大人が中学生をぶっ殺して、悪魔に何を願うんだ? きかせてくれよ」

「大和……」

「俺は、父さんをお前みたいなやつらに殺されてるからさ、知りたいんだ。教えてくれ。おっと、扉を開けようとするのはやめてくれ。まだあんたの図体じゃギリギリ入れないから、俺たちにとって都合がいい」

 男はしばらく考えていたようだが、口を開いた。

「お前たちを食らうと、悪魔は実体化するんだな」

「……ああ、忌々しいことにな」

「昔、もう7年になるのか。ある日、俺の住んでいた町で悪魔が実体化した」

「……フランス?」

「そうだ」

 かつて、海外の神殺しの一人が、自然発生した低級悪魔に不覚をとった。

 たまたま、交通事故にあい、怪我をした隙に右腕を食われたのだ。

 実体化したとはいえ、低級悪魔だったのが幸いで死者は少なかったが、それでもその道路を通行していた車が襲われ10人あまりが死んだ。

 表向きは交通事故ということになっている。

「俺は、傭兵だった。妻と娘がいた。生きていたら君らくらいだな」

「それは、不幸だったな。お互いに」

「ああ、互いに不幸だ。おたくらのせいで人が死ぬ。おたくらも死ぬ」

「……ああ。だから、俺らを悪魔に殺される前に殺そうって」

 無言の肯定。大和は笑った。

「それは違うよ。あんた、そりゃ低級悪魔はそうだろうが、上級の、それこそ72柱や7つの大罪なんかの大物は……」

 男が部屋に押し入る。大和は引き金を引く。空。

 ナイフを振りぬく男、銃を投げつける大和。

 切り付けるナイフを大和は外側に踏み込み、掴んだ。

 男は左掌底を大和へ。

 大和は飛び込みながら、腕ひじき十字へ移行し捩じり上げる。

 男は大和が右腕に全体重で飛び乗っても倒れない。完璧に決まっていない。

 勇美が飛び蹴りを男の首に叩き込む。膝をつく男。

 男の力が緩んだすきに、腕ひじきが完成する。

 勇美はかかと落としを男に叩き込んだ。

 2度、3度、4度、とどめに頭をおもいっきり踏み抜いた。

 男から力が失われる。

 二人はしばらく顔を見合わせ、ホッと息を吐く。

「この人を騙した奴がいるな」

「ああ、何かに唆されてる。そいつが黒幕の大悪魔だ」

 大和は男の腕ひじきを解く、不意に浮遊感を感じた。

 男が、大和を掴んで、雄たけびとともに窓から放り投げた。

 勇美は、逃げるべきだったが、中学二年生の少女に、それも今まで頼りにしていた少年を目の前で3階から突き落とされた少女に、そのような冷静な判断などできるはずもなく。

 正拳突きを3度、男に見舞った。

 男は嘔吐しつつも、勇美の首を掴んだ。

 締め上げられる彼女は、それでも抵抗を続けた。

 けれど、彼女は、あの時、男達から助けてくれた少年が、おそらく死んでしまったのだと頭をよぎってしまい。

「生まれてこなきゃよかった」

 といった少年の顔を思い出して。

 涙で視界が滲んで、じきに真っ暗になった。 

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