18.鉄の城(1)
それは無骨な城塞であった。いわゆる西洋風の、誰もが思い浮かべるような豪華絢爛な城と違い、装飾もなく色も塗られていない質素な城。所有者を示す旗さえ立っていない。
普通城壁が横につらなっているものだが、円柱形の鉄塊が山の端にポツンとあるのみで、それはまるで筍のように地面から生えているように見えた。
ルクス城塞。ここはこの城が建立した当初から魔人の工房になっていたのだという。
「この岩山は元からここにあったものではなくてのぉ。ここに遷都するにあたって魔人が築き上げたものなのじゃ」
はげた頭を擦りながらグスタフが言う。
「よってその頂点に作られたこの城塞を“監視塔”と揶揄するものもおる。我々ルクスの民が蜂起するのを見張っているのだと、まぁ、そうして恐れておるわけじゃ……」
彼が歩くたびジャラジャラと音がした。
「――魔人を」
「ありゃ?」
城塞の前にミーナがいた。台車に腰かけて昼休憩の模様だ。眠そうにあくびをしていたが、こちらを見かけるとニヤニヤと笑みを作った。
「あんたらどうしたの。特に大の大人二人、辛気臭い顔しちゃってまぁ。今日も燦燦と差してるお日様も、そんなんじゃ泣いちまうよ」
「ナジャに用があってきた」
孝太郎は端的に答えた。
「ありゃ? そりゃタイミングがいいや。こっちも鉄クズの受け渡しがあってね。――そろそろ出てくるだろうさ」
声と同じくして城塞の鉄扉が開かれた。その重さによってギシギシと鳴る音は、しかし観音開きの鉄塊を押して出てくる彼女の細腕によって生まれているのだと理解すると何とも不思議な、不気味な音となった。
「はーい。お待たせです」
初めて会った時と違い、いまの彼女は作業着だった。上は白のタンクトップで下はグレーのズボン、ポケットがたくさん付いている。腰のベルトには何となく見たことがあるような工具がいくつか引っ掛かっている。
「……っとおや? みなさんお集まりです? グスタフまでどうしたの?」
「それはこっちのセリフだ」
「はい?」
「ほっほ」
ナジャに掴みかからんとする孝太郎の肩をグスタフが止めた。
「待ちなされ。今のお主ではまともな会話になるまい。――ワシから言おう」
「おにいちゃん落ち着いて」
ちよが離された手を繋ぎなおした。
「おかしいよ。わたしが城塞に入ったことがあるってだけで、なんで二人ともそんなにドキドキしてるの?」
あの後、どうにか気を取り戻した孝太郎は無言でちよの手を引いて城塞への道を上り始めた。直接糾弾するつもりなのだ。それに気づいてグスタフがついていき、ヘラはあの場に顔を擦り付けたままでいた。
孝太郎が息を吸って言う。一息に全て吐き出さねば言葉に詰まる自信があった。
「ナジャ! ちよを城塞に入れたな! ちよを人間のし……」
「ああーーー!! ちょっちょ!! おちつっ!」
ナジャが何もないところで躓きながら孝太郎のすぐ側まで駆け寄ってきた。
そのあおり風を受けてちよが言う。頬が赤い。
「ちょうちょ!?」
「――そう! ちょうちょ! 孝太郎さんの肩に乗ってますです!!」
ナジャはグルグルと回った瞳でそう言った。救いの一手を離さないといった焦りの表情である。
孝太郎が言う。
「はぁ? なに言って……」
「わぁ」
ちよの顔はワクワクと膨らんでいた。
「それって素敵な絵になるよね? ねぇ触らせて触らせて!」
「ちよ、いまはそんな場合じゃ……それにちょうちょなんて」
「ほっほぉ? こりゃあ綺麗な黒蝶じゃあ」
そう言ってグスタフが勲章の一つをもいで孝太郎の肩に乗せた。
「ほら孝太郎、腰を下げんか。ちよが触れんじゃろう」
「え、いやいや」
「ほら早く、ちよちゃんが待ってますです」
「おにいちゃん早く」
「えぇ……」
孝太郎は仕方なく腰を落とし、ちよが肩に触れるようにした。
新しい何かを見つけた子どもの笑顔でちよが言う。
「わぁ、すごい! ちょうちょって硬いんだね! それになんか鳥みたい!」
「いやいや、それはな……」
「ほっほ。これはルクスのみに生息する世界一硬い蝶、その名もバリカタと言うんじゃ。――あと鳥に似とる」
「バリカタ!!」
ちよが反復して嬉しそうにそれを持ち上げた。
「なんか麺みたいな名前だね!」
「む? んっ」
しまった。という風にグスタフが咳き込んだ。彼に目配せしてナジャが言う。
「そうです。それは異世界の麺の硬さから付けられたのです。とある異世界人が空を見上げ今日のお昼ご飯を悩みふるさとの味を思いよだれを垂らしていた時に目に入ったちょうちょなのです」
「え、なんだか痛そうだね」
「ちよ、ちがう。目に映ったということだ」
そう言って孝太郎が嘆息する。ナジャに目を合わせると申し訳なさそうに首を少し曲げて謝るのを見て、大体理解した。肝心なことをちよに知られてはいないらしい。
それにまた自分が混乱していたとも気付いた。熱くなるとすぐに空回ってしまう。頭を軽く振って反省した。
「……この世界には不思議な蝶がいるもんだな」
「そうなの?」
「ああ。普通の蝶はやわらかい。次触るとき強く握って潰さないようにな」
「わかったー!」
ちよが元気よく答え、ちょうちょを孝太郎の肩に戻した。グスタフが急いで回収し、ナジャはほっと胸をなでおろした。
一連の様子を台車の上で眺めていたミーナが声を掛ける。
「はっはっは。何だか知らないけど愉快な催しだったね。この国はこうであるべきだよ」
「……」
こっちの気苦労も知らないで。孝太郎はミーナを横目でひと睨みした。しかし彼女はそれを見て更に高らかに笑う。
「はっはっはっ! あんたホント単純だね。――まぁこっからはあたしに任せなよ」
「なに?」
ミーナは飄々と歩いてくると、ちよの空いた方の手をとった。
「さぁちよちゃん、いつも通り城塞の中はあたしとも歩こうね」
「うん!」
「なに!?」
「ギョッとしてんじゃないよアホ面だねぇ。どうせ姫さん探しにここに来たんだろ? お見通しだってんだよ」
ミーナは偉そうに無い胸を張った。
「ほっほ。さすがミーナ。ルクス一のメイド。我々の思考、行動、全て読まれておったか」
「……ホントこいつはなんなんだよ」
その声に本人が答える。
「ルクス一、いや世界一のメイド様だよ! ほらアンタら行くよ!」
「いこー!」
「ほっほ。ワシはここまでじゃ、仕事が立て込んどるからのぉ。後はよろしく頼むぞ」
グスタフはそう言って手を振り、中庭を挟んで反対にある館へと歩き始めた。
孝太郎が腰に提げた宝剣を持ち上げて、その背中に叫ぶ。
「ちょっと待て、この剣をヘラに返してくれないか?」
「持っとれ。使うことがあるじゃろう」
グスタフは一度立ち止まりそう答えた。
「孝太郎さん」
ナジャが孝太郎の耳元で言う。
「その――」
彼女はその先を言わずただ頭を下げた。
孝太郎もただ頷きで返す。
――最悪の事態は避けていそうだが。
ちよに、最愛の妹のその耳に、人間の死体がどうこうというのは入っていなさそうだ。しかしそれよりも何よりも、そんな場所にちよが入り込み、そんな中で魔法を使わされたのではないか。人の死体を武器に、血を魔力に変える、そんな血みどろの中心に立たされたのではないか。――目が見えないことをいいことに。
そういう怒りがあった。そういう不信が渦巻いていた。
「だからさ、アホ面やめなって。――ちゃんとその目で確認したらいいのさ」
ミーナがジッと孝太郎を見上げていた。
孝太郎はそんな彼女に負けじと睨み返した。それはちよがいるから口で説明できないってことだろう。そういう物もあるということじゃないか。
ちよが言う。
「ミーナさん、おにいちゃんってそんなにアホ面なの?」
「あーごめんよちよちゃん。違うんだよ。いまはボーっとしてるみたいでね、きっとまだ眠いんだろうね。――すぐに目も覚めるさ」
そうして、四人はやっとルクス城塞へと足を踏み入れるのだった。
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