16.これがこの国の中枢か(4)

「ヘラ!!」


 グスタフが叫んだ。地面から返事が聞こえる。


「はっ! ヘラはここにおります!!」


 彼女は地面にひれ伏していた。手足をピッタリ体に引っ付けて、立った状態からそのまま倒れこんだかのような体勢で微動だにしていない。まるでまな板の上の魚だ。有り体に言えば五体投地である。

 孝太郎はもう驚かない。ただ唇に指をあてていた。


「……やっぱり何かまずかったわけか」


 別人に見間違えるほどの変装をしていたイングリット。自分の館であるにも関わらず盗人のようにコソコソ出ていった彼女。


「――非番だの何だの言って、おかしいと思ったんだ。そもそも、女王に休みなんてないだろ。年中無休、四六時中が仕事中だろ」

「非番? 姫がそう言ったのか?」


 グスタフはその耳を疑うかのように首を傾げた。腕も組んで何やら思案顔を浮かべている。孝太郎は朝の出来事を一切の漏れ無く、詳細に彼に伝えた。

 大きな嘆息とともにグスタフが言う。


「はぁ……またサボりおったか。公務が詰まっとるっちゅうに」

「また、ってことは、よくあることなのか」

「左様。姫が女王になってもう5回目じゃ」


 イングリットはひと月前に女王になったという。ひと月が30日として、ほぼ週一サボっている計算になる。


「まったくもって困った王よ。姫様気分が抜けておらんのじゃな。――ヘラ、お主がいつまでも甘やかすからじゃぞ」

「はっ! 申し訳ありません! 私の不出来をどうかお許しください!!」

「止まれ。それ以上近寄ることは許さん」


 グスタフはイモムシのように這い寄ろうとするヘラの後頭部を睨んだ。ビクッとしてヘラが言う。


「そんなっ!? それでは陳謝ができません!」

「その体勢から何をするつもりか知らんが、せんでいい。――お主が姫のお気に入りでなければ、とっくにクビにしているものを」


 孝太郎が独り頷いた。得心いった。なるほどそういうことかと腑に落ちた。つまり、ヘラはイングリットに甘く、イングリットはヘラに甘い。公務をサボって街に繰り出す女王と、謝ればどうにかなってしまう立ち位置の側近。


「腐敗してる。これがこの国の中枢か」

「……いや、中枢ではない」


 グスタフがその禿げた頭を撫でつつ眉をしかめていた。彼は喉を鳴らすと、じっと孝太郎を見て言う。


「すまんが、姫を探してきてもらえるかのぉ。手空きのものがおらんではないが、忙しい。……ついでにこの国の様子を覗いてきたらええじゃろう」

「……構わない。むしろそれこそ、俺の仕事なんだろう」

「ほっほ。ありがたい。――まずは城塞へ行きなされ」


 ちよが元気に手を上げて言う。


「わかったー! ナジャさんに探してもらうんだね」

「城塞にナジャさんがいるのか」


 ――ウーもそこか。

 ちよと一緒に城の周辺をうろついていたらその内会えるだろう、と孝太郎は彼女を後回しにしていた。

 グスタフが言う。


「うむ。――ナジャはそこを工房として働いておる」

「工房?」

「魔人の対星落とし防御施設、そして――武器開発研究施設」


 孝太郎はその言葉のもつ意味を正しく理解した。その後、彼らは見つめ合い、頷くことで互いの意思を確認した。

 孝太郎が言う。


「ちよ、ごめんな。そういう訳だから、おにいちゃん一人で城塞に行ってくるよ」

「え? なんで?」

「人を探して街を歩くのに、ちよがおると大変じゃろう?」


 孝太郎が言いにくいことをグスタフが言った。

 ちよがウンと首を振る。


「それはわかってるよ。そっちじゃなくて城塞の方、――そこまでは一緒にいよーよ」


 寂しそうな顔で言われ、孝太郎は頰をかいた。


「ごめんな、その、ほら、仕事だから、急がないとだし。グスタフさんと仲良く、な?」

「えぇー」

「そうじゃのぉ。お仕事じゃからのぉ。兄が仕事でおらん間は、ワシやヘラが遊んでやるぞ」

「でもなぁ。――ねー、城塞までならいいでしょ?」

「城塞まで行く時間も惜しいんじゃ、孝太郎には走ってもらうぞ」

「ああ。全速で行こう」

「えぇー、えぇー? ……やだ、城塞までは一緒がいい」

「ちよ……」


 珍しい、と孝太郎は思う。仕事に関わることでちよがこんなに食い下がるなんて。しかもこんな大したことのなさそうなことで。

 自分のいなかった時間がそれだけ寂しかったのか。やっと起きてすぐに交した約束も破ってしまったし、心苦しい。

 孝太郎がどうしたものかと唸っていると、ちよも唸った。


「うーんと、そうだ! えと……わたし、案内できるよ?」

「え?」

「城塞ならわたし、案内できるよ?」

「何と……ちよ、それはどういうことかのぉ?」


 グスタフが目を見開いていた。


「ええと、城塞なら何度か入ったから、案内できるよ」

「なん、と……。これは、いったいどうしたことか――お、お主!?」


 孝太郎は絶望の顔で、立ったまま気を失っていた。

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