10.ロール、ロール、ロール
二人の乗ったプロペラ機は空母ロイトンの甲板に着陸した。ウーが飛び降りてすぐそこにコユキが待っていた。ロイトンは全照明が点灯しており、魔人たちは隠れ潜むのをやめて甲板を走り回っている。
「すでに回収作業に入っております」
「おう。あとこれ、急患。鳴き声にあてられた。第三級程度で鎮静はしてあるから、瘴気が抜けたら傷ついた部分に治癒魔法かけて」
ウーは端的に説明し、肩に担いでいた孝太郎をコユキに差し出した。コユキは両腕で難なく受け取り、顔をしかめる。
「臭い。なぜ裸なんですか?」
「……吸った」
孝太郎の着ていたブランケットは精液を拭けるだけ拭き取られて海に捨てられている。ウーは気まずそうに角を触った。
彼の首に噛み痕を見つけてコユキが頷く。
「なるほど。では先ほどのは」
「うん。やっぱり愛されてるな」
「変わった力ですね」
コユキは近くを通りがかった部下に孝太郎を預けた。
ウーが両手を頭の後ろで組んだ。そして少し伸びをする。
「さーてと、うちも回収手伝うよ」
「――待ってください」
コユキがウーに詰め寄った。
「すこし辛い顔をするくらい、いいんじゃないですか?」
ウーは困ったように笑った。構わずコユキが続ける。
「今日くらいは休んでください。あなたはいつも耐えてばかりで、涙を見せないじゃないですか」
「よくあることだからな」
ウーは遮るように答え、そしてコユキの角を撫でた。まさか心配されるなんて思っていなかった。そんな顔で言うものだから、罵られるのだと思っていた。どうしてもっと悲しんでくれないのかと、薄情な人だと、そう責められるのだと思っていた。
コユキの泣き腫らした顔はぷっくりと赤く、ウーはその掠れた目尻に軽く触れる。
「リーンが初めてじゃない。――うちは今までだって、全部受け入れてきたんだ」
「……でも」
「うちは総代、魔人のトップだ」
食い下がるコユキの言葉の続きを塞ぐ。
「悲しむ暇なんてないよ」
ウーは空を見上げる。ほんの少しだけ、目を細める。
そうしてすぐに、彼女は歩きだしていった。
◇
たとえるなら、水底から浮き上がるような感覚だった。引き上げられているのではなく、押し上げられているような。水に拒否されているかのような。
海に潜っていきたいのに足に首輪を付けられて、もがいてももがいても奥底に辿り着けない。
そんな不快な目覚めだった。
「へー、なかなか面白いわね」
起きてすぐ目の前に少女がいた。左右の耳の上に白い巻き角、腰からは黒く細長い尻尾が伸びる。彼女はその紅い瞳をクリクリと開いてこちらを覗いている。
「ウー、なに、してる」
孝太郎はやっと口を開いた。まだ視界が明滅するほど眠気があって声が出しづらい。
「あら? 見えてる?」
「見えてる、よ」
「ふふ、いいえ見えてないわ」
――からかってるのか。
孝太郎は思いつつも口には出さない。あっちに行けと手を振ろうとして、しかし動かせなかった。
腕が重い。それ以前に体中が縛られているかのように身動きが取れない。そもそもいま自分は立っているのか横になっているのかすらわからない。ここはどこだ。
「あなたベッドの上よ? 私はあなたに覆いかぶさってるの。ほら」
少女はゆらゆらと頭を揺らした。
「あなたに向けて落ちているでしょう?」
少女の言う通り、柔らかな髪が孝太郎の視界を隠すように垂れていて、ウーと同じバニラの匂いがしていた。
ただ、髪色が違う。
「……だれだ?」
白髪の少女はにっこりと笑った。愛想を使い慣れているような、自然な笑み。ウーのどこかぎこちない笑顔と正反対だった。
「だれでしょう?」
「聞いてるのはこっちだ」
孝太郎はほぼ覚醒していた。
「あら、怒らないで。そういうつもりじゃないの」
「……」
孝太郎は黙っている。あんなモノを目の当たりしたばかりなのだ。突然現れた魔王そっくりの別人に警戒しないわけがなかった。
少女の眉尻が残念そうに下がった。
「かったいわねぇ……。柔軟であることは万事万物の優位に立つのよ。水滴が岩を穿つみたいにね」
「そのたとえは違うだろう」
「あらまぁ、細かい。岩じゃなくて砂利だったのかしら。でも、それなら吸い込むわよね。ふふ。――ちよちゃんはもっと大雑把……失礼。おおらかだったのに」
「なに?」
「ちよちゃん。あなたの妹ちゃん」
孝太郎の額から冷たい物が流れた。ぐっと体に力を込め抵抗するが相変わらず身じろぎすらできない。
少女が微笑む。
「ふふ、大丈夫、そんな睨まないで。私はあなたたちの味方よ」
「なら回りくどい真似はせず名を名乗れ」
「そ、う、は、いかないのよー。諸事情あるの」
「どういう事情だ?」
少女は口元を抑え「ぷっ」と噴き出した。笑いを堪え切れなかったらしい。
「ぷ、ふふふ。そんなの、聞いたところで言うと思う? 普通は名前を明かすつもりがないって察するものよ? ――でもたしかに。あなたみたいな人はお姫様と合ってるのかもしれないわね。水と油みたいだけど――」
「何を言って……」
「――弾けさせるなら最適よね」
少女が言い切るのと同時に、孝太郎にガクリと眠気が襲いかかった。彼は抵抗を試みるが、重りを次から次へと足されていくようでまったく相手にならない。
少女はにんまりと笑う。不気味な、蛇のような笑みだった。
「あなたにはいろんな疑問があると思うの。どうして魔人がプロペラ機を使うのか、なんで自分が選ばれたのか。他にもいろいろ思いつくでしょう? その答えを知ってるわ、でも教えてあげない、自分で気づいて、だってそっちの方が面白そうよね」
矢継ぎ早に言う。しかし孝太郎は思考が泥のようになって何も頭に入っていない。
「私の名前はユー。私って気まぐれなのよ、だからこれだけは教えてあげる。ま、起きたら忘れてるでしょうけどね。……からかってごめんなさいね」
少女は孝太郎の鼻先に口づけた。
「またね」
その言葉を最後に、孝太郎の意識は闇の中へと沈み込んでいった。
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