5.天擦る城

 フル回転した脳ミソは焼き切れるのも早い。

 つまり、そんな彼がハッと目覚める事態だった。

 ――まずい。女児を泣かした。

 ウーはもうすぐにでも大声で泣き出しそうな顔だった。しかしすぐに思い直した。そういえば彼女は魔王だ。聞いている話からしても魔人の王というやつだろうし、普通の人間とは生態が違いそうだ。もしかすると、ロリババアというやつかもしれない。

 しかしそれでも、目の前の泣き顔は年端もいかぬ少女のそれと変わりなかった。人間のそれと変わらない。妹よりも幼い。すると不思議と、近寄って声を掛けてやりたくなった。それに、あまりの情報過多に頭脳がオーバーヒートしているとはいえ、気味が悪いと言い放ったのは命の恩人に対してあまりに失礼極まりなかったと気づいた。


「一つ提案がある。あんたは、無駄な血が流れるのは好んでいない。そうだな?」

「うん。……?」


 ウーは目をこすりながら答えた。孝太郎は胸をなでおろし、一息おいてから続ける。


「なら他の手を模索するべきだ。千年前に人間同士が手を組めたなら、今でも組めないことはないだろう」


 ウーは難しい顔をした。苦しめられてきた記憶を思い起こしたような顔だ。


「うちも、今まで何もやってこなかったわけじゃない。でも、ダメだった。――それに、もう悠長にやってる時間がない」

「なに?」

「うちらは追い詰められてんだ。もうギリギリ、あと10年守れるかも分からない……っと」


 ウーの胸元が振動し、ぴかぴかと点滅している。


「すまん、電話だ」


 ウーはガラケーを胸ポケットから取り出した。


「はいよー」

「まて」

「あっ、ちょいまち。――なに?」


 ウーが受話口を抑えて、孝太郎を責めるかのように口を尖らせた。

 孝太郎は困惑を顔に浮かべる。思ってたのと違う。


「家具はアンティーク調、加えて明かりは油式のランタンのみ。この世界は電気のない文明だと確信していたんだが」

「……へへ」


 ウーはニヤニヤと笑い、得意げにガラケーを見せびらかした。


「そうだよ。だけどうちらは先を行ってる」



 ルクスはアタラシア大陸西端に位置する海洋国家だ。

 周辺には北東に海を挟んで敵国家スキャンダが、北西にも海を挟んで魔人の住む島ブリタンが、真南に中立国リガが、真東に同盟国オーズが、そしてオーズとリガに挟まれて手を伸ばすような形でオーズの属国ヘルベチカが国境を接している。

 国土は北部と西部にかけてリアス式海岸が広がっており、それは最北西に置かれた首都ブルーセルに向かうにつれ、より混雑に形成されている。

 よって巨大な湾岸都市であるブルーセルはルクスで一番の軍港を備えた軍事都市であり、かつ数多くの商船の停泊する国際商業都市である。

 港周辺は訪問者のために夜にも篝火を絶やさないため、ブルーセルは不夜の都市とも呼ばれている。しかし、港全てを見渡せる岩山の頂きに作られたルクス城の中庭から見るその光は、孝太郎には頼りなく思えた。


「総代、調子乗りすぎです。私たちはまだそんなの作れないでしょ?」


 ウーにそう説教したのは、ナジャという魔人のルクス駐在員だ。見た目には20代後半に見える女性である。背が高くスラリと手足が伸びて、しかし長い黒髪は飾り気なく後頭部にまとめて耳の裏まで見えるようにしてある。小さくとがった角が額の上に一つ見え、尻尾はウーと同じで細長い。

 左目には眼帯をしている。星落としとの戦闘で失くしてしまったのだろうか。

 黒を基調とした魔人の軍服を着ており、長ズボンにジャケットを羽織り首元までしっかりとボタンを閉じている。窮屈そうな気配はない。胸元には偉そうな階級章が張り付けてある。

 孝太郎が初めて会ったとき、彼女は頬に付いた油を拭きながらこうあいさつした。


『あ、新しい異世界の。私はナジャ、これからよろしくです』

『新しい?』

『今までも何人か呼んでるんです。私はずっとルクスにいるので、いつでも頼ってくださいです』

『……そうか』


 薄々感づいていた。やはり、自分だけが特別なわけではないらしい。

 夜風が遠く潮の匂いを連れてくる。孝太郎は冷えた体を縮こませた。少しは暖まるだろうか。

 ナジャの言葉を受けて、ウーが頭をかきながらニヤけている。


「へへ。ごめんごめん。びっくりしてくれねーかなってさ」

「その癖やめたほうがいいです。そのニヤケ顔は勘違いの元ですし、ガキが調子に乗ってるようにしか見えないです」


 ウーは目と口を丸くした。


「え、そこまで言う?」

「はい。何度も言います調子乗らないでくださいです。――それに、私たちには精々この辺りまでじゃないですか」


 ナジャが片腕を広げて示す先には、軸をもって回転する板を頭に付けて、翼を広げた鳥がある。鉄の体と、木の羽をもつ鳥がある。

 孝太郎は呟く。見たことはないが知っている。


「複葉戦闘機か」

「さすが、ご存じですか」


 それは紛れもなくプロペラ機だった。操縦席が覆われておらず、その前方に羽となる二つの葉が平行に置かれている。第一次世界大戦から第二次初期あたりまでのそれと酷似している。

 ルクス城の城塞と館との間、花咲き乱れる中庭を横切るように、ぽかりと作られた滑走路。空へと続くその道の上は照明が点々と誘うように敷かれている。港の篝火など比べ物にならない。三人とプロペラ機はそこに立っていた。


「さて総代、ムダ話もこのくらいです。救援信号は北緯45.5069、西経10.7641……まぁ総代なら魔力をたどれますから必要ないですね」

「おう。んじゃ行こうぜ」

「まて」


 手を差し出して誘うウーに、孝太郎は手で待ったをかける。何でもすると言った手前、誘われれば行かざるを得ないのだが。


「警戒海域に星落としとやらが侵入したのは聞いた。魔人と人間の文明の差も何となく分かった。それはいい。そこまではいい。だがこれに乗るとなると……」

「うんうん。――こえーの?」


 ウーはニヤついた。孝太郎は首を振る。


「別に。高いところが苦手でもなし。邪神だの星落としだの、この世界の神だろうと怖くはないが……」

「よく言うよ、うちにビビってたくせに」

「あれは未知への用心というやつだ。――まったく。いいか? 俺をよく見ろ」


 孝太郎はさっきから抑えているブランケットの端を強く握った。


「わかるよな?」


 ウーとナジャは二人仲良く首を傾げた。


「……? 何言ってんだ?」

「私もサッパリです」

「俺は服を着ていない」


 孝太郎は彼が起きてからずっと身を包んできたそれを揺さぶった。ウーは不思議そうに首を傾げる。


「着てるじゃねーか」

「これはブランケットだ! あんたが付いてこいと言うから仕方なく羽織っただけで服じゃない! 寒いっ! 服をよこせ!」

「でも似合ってますです」


 ナジャに同意してウーが頷く。


「うん。あれだ、古代ギリシャ? の賢人みたいでカッコイイぞ」

「……そんなお世辞はいらん」

「有りよりな褒め方だったみたいですね」


 孝太郎の顔は上機嫌である。隠しきれていない。


「いやほんと、うちはそう思うよ? ……寒いなら、ほら」


 ウーが孝太郎に手のひらを向ける。彼の体がじんわりと熱くなった。


「ポカポカしてきた。これは?」

「うちも使ってるやつ。練った魔力を体に纏って温めてんだ。――時間ねーからほら、早く行くぞ」

「わかった。――ナジャ、さん。妹に少し遅くなると伝えておいてくれ」

「はい、ちよちゃんですね。お気をつけて」


 ひらひらと手を振るナジャに見送られ、二人はプロペラ機へと乗り込んでいった。

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