硫黄竜‐アズロサルファ‐
「コラ、大人しく洗われろ」
「がるぅ!」
タライに張ったお湯の中で暴れるガルを左手で抑え付け、もう一方の手で握ったブラシで背中を擦っていく。
そうすると、水もブラシもみるみるうちに黒く染まっていき、それとは相反するように、ガルの体は黒から薄い赤みがかった色に変わっていった。
「……あぁ、疲れた」
「がるるる」
「だって、お前の脱皮跡のせいで部屋中煤だらけなんだよ……」
火竜であるこいつが水を嫌がるのは自然な気もするが、それはそれ、これはこれだ。できればお風呂には慣れて欲しい。
「お前がもっと大きくなったらどうするんだよ……」
「おーい弟子くん! って、派手に暴れたねぇ……」
風呂場に俺を探しに来たらしい師匠は、黒くなった水があたり一面に飛び散る惨状を見て笑う。
「夜までには片付けはちゃんとしておきます」
「あー、大丈夫大丈夫。昼から出かけるから、そのままにして準備して」
「了解です……今日はどこに?」
師匠が急に言うのはもう慣れた。
「んー、そうだね。ちょうどいいから、水着も用意しておいで」
「海か川ですか」
「ううん、ついでに温泉に行こう!」
温泉に竜がいるのか……?
◇
言われた通りの準備を終えて家から出ると、ちょうどそこには一匹の竜がいた。
鮮やかな黄色の結晶で作られた甲羅を持ち、おっとりとした顔つきの四足の竜。
全身からも黄色い粉を吹いており、自然界ではとても目立ちそうな見た目をしている。
「琥珀……とかトパーズですか?」
なんとなく、元素竜であることは察しがつくが、黄色い鉱物はその手の宝石以外思いつかない。
「硫黄だよ」
「硫黄……って卵の腐った匂いってやつですか?」
「アレは正確には硫黄じゃなくて、硫化水素の匂いらしいけど、その硫黄。
硫黄といえば確かに温泉のイメージではあるが……家の前に既に竜がいるのは、どういうことだろう。
そう思っていると、風を切るプロペラの音が聞こえた。
「……え?」
上を見上げれば、そこには巨大なコンテナを釣るした2枚羽の輸送ヘリ。自衛隊のニュース映像なんかでたまに見るやつがいた。
「し、師匠! なんですかあのヘリ!?」
「今日はね、この子の里帰りなの!」
ヘリで里帰りとは……竜のスケールはデカい……。
硫黄竜は驚くほど大人しくコンテナの中に自ら入っていき、続いて俺と師匠もヘリの中に乗り込んだ。
「あ、アンドレさん。お久しぶりです」
「……オイ、君の愛弟子に今回の輸送の説明をしたのはいつだ?」
「今朝だけど」
「……少年、こいつの弟子は辞めて、うちのゼミに来ないか?」
結構マジで心配そうに言われた。
◇
「あの硫黄竜は元はイタリアの鉱山に住んでいたんだが、人間の硫黄採掘が彼の居住区にまで及んだ結果、この保護区へと移住させられてたんだ」
さすがにアンドレさんもヘリは運転できないそうで、一緒に後部座席に座り、今回の輸送の経緯について説明してくれた。
「それが最近、閉山した山の権利をなんとかウチの研究機関が買い取れてね、数十年ぶりの里帰りというわけさ」
「なるほど……大体わかりました」
「顔が真っ青だが、大丈夫かい?」
「いえ、乗り物酔いはいつものことなので……」
リュックには常にエチケット袋と酔い止め薬を常備するようになった。
「で、そっちはいつまで拗ねているんだい?」
「男の子どーしで仲良くどーぞー」
アンドレさんが言うように、師匠は一目で拗ねているとわかる態度で窓から外を眺めている。
「俺は別に師匠の弟子辞める気は……っむ」
「じゃあ、そうさせてもらおう」
言いかけた口を遮られ、アンドレさんが小さく耳打ちする
「あまり甘やかさない方がいいよ。彼女は、厳しくしたほうがちゃんと改善するタイプだからね」
「アンドレさんと師匠って、どういう関係なんですか?」
特に他意は無いつもりだったが、少しストレート過ぎたかもしれない。
口に出した後に少し後悔したが、帰ってきた答えは思ったよりあっさりしていた。
「学生時代の腐れ縁だ」
目的地につき、すぐにでも外の空気を吸って酔いを醒したかったのだが、師匠にポイと見覚えのあるガスマスクを手渡された。
「硫化水素が濃いからね。ちゃんとつけて出るんだよ」
「了解です……」
新鮮な空気を吸えるのは、しばらく先のことらしい。
「少年、その年で随分と手際が良いね」
「結構着ける機会あったので」
「……んー、まあ、その良し悪しは僕が口を出すことじゃないかぁ」
「?」
アンドレさんが何を言いたいのか気にはなったが、今は乗り物酔いの気持ち悪さが勝った。
浅い呼吸を繰り返し、吐き気を抑えることに集中する。
「ヨシヨシ。ほんと君は良い子だねぇ」
一方、師匠はそう言いながら硫黄竜の頭を撫でてコンテナの外に誘導していた。
亀に似た外見同様、のそのそとした歩みの彼は大きく深呼吸をした。
人間にとっては毒になり得る硫化水素も、硫黄の竜には何よりも美味しい故郷の空気、ということかな。
「じゃ、最後にちょっとだけ失礼しますね」
と師匠は小さなナイフで硫黄竜の背中の黄色い甲羅を削り小瓶に収めた。
「あと何年くらいかな?」
アンドレさんは、ビンを軽く振って黄色い欠片を見つめる師匠に問いかけた。
「んー、私達の代は大丈夫そうかな?」
「そうか、それは良かった」
その質問と答えの意味は、俺にはよく分からなかった。
きっと聞けば、どちらもすぐに教えてくれるだろう。
だけど、今それを聞くのはなんとなく、嫌だった
「んー、さってと。弟子くんせっかくのイタリアだし、温泉入って行こうね! 混浴だから一緒に入ろっか」
「ああ、だから水着を用意させたんですね」
「……赤くなるとか、恥ずかしがるとか、そういうのないのー? 弟子くん可愛くないぞー」
いや、師匠はもう半分くらい保護者とか姉の枠なので。
「じゃあ僕も一緒に行こうかな。君達の国には『裸の付き合い』という言葉があると聞いたしね」
「弟子くんに変なことしないでよね」
「今さっきセクハラの現行犯だった君が言うな」
腐れ縁かぁ……そういえば、俺と同じくらいの歳の竜学者見習いって、他にもいるのだろうか。
そんなことをなんとなく思った。
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