影竜-ミカゲモドキ-



「弟子くんのスケッチはなんというか……個性的だね」


 それが俺の三時間の集中の結果を見て師匠が発した第一声だった。


「というか、ぶっちゃけメチャクチャ絵が下手だね」


 数秒で気遣いを放棄するなら最初からそう言って欲しかったです。


「…写真じゃダメなんですか?」


 自分でも言い訳がましいとは分かっているが、それはそれとして文明の利器を頼らない理由も聞いておきたかった。


「いや? 別に良いよ?」

「いいんですか?」

「そりゃそっちの方が正確だもん。でもスケッチはスケッチで大事なの」


 それはどういうことなのだろうかと聞く前に師匠が手をポンと打った。


「よし、じゃあ……あの子に会いにいくか!」


 また急に何かを思いついたらしい。


「また旅行ですか?」

「ううん、今回は日帰り。電車に乗ってゴー」


 どうやら、電車で行ける距離に竜がいるらしい。知らなかった。


 師匠に連れられ、電車で山間の無人駅で降りる。そこから登山道を登った。そして中腹辺りで登山道を離れ、木の根が出っ張る山肌をすいすい歩く師匠の後ろを必死についていき。気がつくと、開けた場所に出た。


「弟子くん弟子くん、ちょっち来てみて」


 と呼ばれて師匠に近づくと腰のベルトにロープをつけられた。


「なんですかこれ?」

「命綱」


 よく見るとロープのもう一方は近くの杉の木に雑に結びつけられている。ちょっとあまりにもシンプル過ぎないだろうか。


「さあ、これで大丈夫。崖のフチまで行って下を覗いてごらん」


 恐怖心がないわけでは無いが、師匠が大丈夫というなら大丈夫なのだろう。

 俺は言われた通りに崖の下を覗き込む。

 そこには巨大な竜の影があった。


「え? あれ?」


 咄嗟に上を見上げるが見えるのは一つない青空と眩しく光る太陽だけ。


「あれは竜の影、じゃなくて影の竜。だよ」

「影の……竜?」


 全く動かず、岩肌にペタリと薄く張り付いたソレは地面に黒いインクで描かれた絵のように見えた。


影竜ミカゲモドキ…火竜と同じ概念竜の一種で、今は日向ぼっこ中みたいだね」


 まじまじと見ても、黒一色のソレは全く立体感がない。こんな竜もいるのか。


「じゃあ、スケッチを始めようか。弟子くん」

「アレをですか?」

「そ、あの子を」


 そうして師匠は自身のバッグからスケッチブックと鉛筆を2セット取り出して、1セットを俺に渡すと崖のフチに命綱なしで座った。


「スケッチが大事って言ったのはね、ソレがキミの見える世界だからだよ」


 鉛筆をサラサラと迷いなく走らせながら師匠はそう言った。

 一方の俺は観察とスケッチに必死で口を開ける余裕なんてなく、ただソレを聞いていた。


「集中した部分、興味を持った部分は大きく、緻密になるし逆もまた然り」


 一度手を止めて、自分の描いた紙の上の影竜の輪郭を眺めてみる。


「君の描いた絵はどうかな? ノートの真ん中には何がある?」

「竜の体の中心があります」


 上下左右、均等にピッタリど真ん中に位置するように書き始めたのだから当然だった。


「もしかしたら、ソレが君が下手な原因かもね」


 それはどういう意味だろう。


「弟子くんはあの子の魅力はなんだと思う?」

「……魅力ですか?」

「そう、魅力」


 真下で日の光を浴びてじっとしている影竜を見下ろし、考える。

 ……魅力……魅力。


「表面がツルッとしてて綺麗……だと思います」


 そう答えると、師匠はニコニコと笑った。


「そっかー。うん、そうだね」

「えっとその……正解……ですか?」


 師匠の意図が分からなくて思わず直接聞いてしまう。


「私はね、あの子の尻尾が好きなの。ピッタリと地面に這わせられるようにね、中の骨が独特な形をしていて直角に曲げられるんだよ」


 と師匠が影竜の尻尾を指差して言う。

 つまり、俺の答えは間違いだったと言うことだろうか?


「意地悪な質問だったけどね、間違いは無いよ。弟子くん」


 どうやら不安が顔に出ていたらしい。師匠が俺の肩をポンと叩く。


「どんなことでも、君が自分の目で影竜から見つけたことなら正解」

「どう言う意味ですか?」


 師匠は答えてくれなかった


「ふふふ、描き終わったらわかるかもね」


 そう言って、スケッチブックにペンを走らせる作業を再開した。

 俺も、そこからは黙って同じように続けた。


 そして、日が山間の隙間から沈み、赤い空が藍色に変わる頃、影竜はのそのそとゆっくりした動きで杉林の中に消えていった。


「行っちゃったねー」

「そうですね」

「弟子くん、デッサンの出来はどうかな?」

「えっと……」


 スケッチブックの上にいるのは黒鉛が隙間なく塗り潰された黒い塊。


「うん、ツヤツヤの黒い背中をちゃんと描けたじゃない」


 俺が答えるよりも先に、師匠が俺の絵を覗き込んで感想をもらす。


「そう、ですか?」

「うん」


 たしかに塗り漏れがあるとあの綺麗なツルッとした背中とは違うと思って必死に塗りつぶしていた。

 そこでようやく、師匠の言いたかったことが分かった気がした。


「師匠のスケッチも、見せてくださいよ」

「いいよー、今回は自信作!」


 師匠の絵はとても精巧で、そして、竜への愛に満ちていた。


 つまり、そう言うことなのだろう。


「また、連れてきてもらっていいですか?」

「……どうしてかな?」


 師匠はわざと悪っぽい顔をしている。


「もっと、影竜の良いところ、見つけたいので」

「うん、正解」


 と師匠が笑う。


 一つ一つ、見つけて、重ねていこう。

 なるほど、デッサンもたしかに大事だ。


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