第一章
「いつか必要になる」
❈ ❈ ❈
私は隣国まで二頭引きの荷馬車に揺られていた。
乗合馬車もあるが、隣国への直行便で寄り道をしない最短ルートが何らかの事情により封鎖されているらしい。
観光旅行者に人気の、村や観光名所を巡るルートもある。
しかし、それで行くと一番近い国境まで十日もかかるが、自分の荷馬車で向かえば二日か三日。
ちなみに、荷馬車の中で野宿をする。
魔物だけでなく、
通常の荷馬車には魔導具により結界が張られるが、夜盗に結界解除の魔導具を使われたら終わりだ。
私は荷馬車の周囲に自分で結界も張ったので、昨夜は静かな夜だった。
魔導具の結界解除は魔導具で張られた結界にのみ有効で、魔法には効果がない。
私の場合『聖女』という肩書きは返したが、神から与えられた聖女のチカラは私の中から消えたわけではなかった。
そんな聖女のチカラで張られた結界だから、解除できるのも聖女のチカラだけなのだ。
城を出てくる前に、国庫に匹敵するだけの
今までの軟禁生活への慰謝料。
そして、聖女として寿命を削って守り続けてきた感謝。
それが一括で支払われたのだ。
家族を殺したことに対する慰謝料などはでていない。
─── それを別にしても、誠意ある対応をみせたとはいえない。
ただ、私の寿命が減ったのはわずかだ。
聖女の肩書きを引き継いでから毎朝聖石に感謝と祈りをしてきたが、実際に寿命が削られはじめるのは明後日。
人々の前で祭祀を執り行った時だ。
先代の聖女様から私に聖女の役割が移ることを神が認めた証拠に私の身が光に包まれてからだ。
私が寿命を削ったといってもせいぜい一日か二日。
祈りを捧げて魔力が奪われた時に自身の身体がどのような不調を起こすのかを知るために聖石に祈った。
ごっそりと奪われた魔力と引き換えに襲われた激しい脱力感。
「そのうち慣れてくるわ」
床に突っ伏して起き上がるのも寝返りをうつのも難しい状態の私を先代の聖女様は抱き寄せて回復してくれた。
そのときに、私は聖女のチカラを与えられた。
─── 神は聖女を辞めた私から聖女のチカラを取り上げることはされなかった。
旅の荷物はそれほど持っていない、……と思われている。
王都で購入したのは、五日分の食事と必要最低限の道具くらいだ。
私は聖女となったときに唯一持つことを許されたのがブレスレットだけだった。
実はこれ、普通のブレスレットではない。
ブレスレット型の収納ボックスなのだ。
これは私の家族が遺した形見の一つだ。
父は商人だった。
そんな父が他国で偶然手に入れたのが、この珍しいブレスレットタイプだった。
アクセサリーにしか見えないこの収納ボックスは、通常の収納ボックスにはつけられている上限が外されて無制限に入れられる。
私の家族が殺される直前に、事態に気付いた父が家財のすべて全部をブレスレットに仕舞った。
「いつか必要になる」
─── その言葉通り、今の私には必要なものばかりだ。
今後、身分証が必要な国に行くこともあるだろう。
そういう理由から、私は「隣国に入ったら治療師で身分証を発行してもらうつもりだ」とお城で偶然口を滑らせた。
アノール国もそうだが、世界の半数以上の国では身分証が存在しない。
そのため、近隣の国で身分証を発行してもらう必要がある。
だが、私の父は商人だった。
私たち家族はいつも一緒に周辺国へ行っていた。
そして、持つことが許される三歳に身分証を発行されている。
それまでは親の身分証が子供の存在の証明だ。
そんな理由から、自分専用の身分証を手にしたときは『一人前』になれた気分になり、提示が必要なときは自慢するように見せていた。
その身分証で何度も国内外を行き来してきた。
発行が三歳だと表示もされている。
それも収納ボックスに入っているのだ。
『治療師として登録する』
はじめはそうするつもりだった。
実際、私の身分証の職業欄は空欄になっているから。
聖女は職業にも称号にも登録されていない。
これからも『元聖女』と登録されることはない。
─── 私が望まないからだ。
身分証に登録が義務化されているのは、名前と性別、前科や前歴の有無と未婚か既婚、既婚なら伴侶の名前だけ。
名前にファミリーネームがつくのは貴族や王族のみだ。
そして、任意登録が職業や称号、出身地など。
馬車などは一滴の血液で所有権が登録されるため、身分証は必要がなかった。
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