第2章第2節「未だ来らず明日を希う」

 開かずの間には誰も入ったことがなく、中に人が住んでいるかどうかも分からない。

 噂話でしか語られることのなかった場所に、ジルは立っている。

 外から見た時にシャッターがあった通り、中は予想通りというべきかガレージが広がっていた。普通の民家の構造では考えられないが、玄関というものはなく一階の大部分がガレージとしてくり抜かれている。広々としたスペースにはソファや自販機まで置かれていて、最低限の生活はここで行えそうに見えた。他には木製のテーブルが並べられ、それらの上には分厚い書物やフラスコ、水晶玉まで置かれている。明かりは二階に相当する高さに備えられた窓からの光のみで、全体として見ると何かの作業スペースのようだった。

「あたしはマルグリット・グランチェスター。マリーでいいよ」

 そんな隠れ家に住んでいたマリーは、錬金術師の末裔を名乗っている。かつてアトランティスに存在した錬金術師グランチェスター卿といえば、知らない者はいない。

「俺はジルだ。アトランティスの保安官をやってた」

「知ってる」

 即答してきたマリーに、ジルは思わず顔をしかめる。生意気な態度への苛つきもないわけではないが、驚くべきはそこではない。

 ジルにとって、マリーとは初対面になる。当然と言っていいか分からないが、マリーは開かずの間にいたのだから顔を合わせる機会などなかったはずだ。

「どこかで会ったか?」

 まさかと思いながら問いかけると、机の上に座っているマリーは苦虫を噛み潰したように顔を歪ませて言う。

「うちに来たことあるだろ。本当に開かずの間かどうか確かめようとしたのか知らないけど、何度も何度もノックしてきた」

 そう。ジルがまだ保安官だった時、同僚に連れられて開かずの間に訪れたことがある。何度ノックしても扉が開くことは決してなかったが、実際は違う。マリーは扉を開けている間の時空間を止めることで、扉を開けて外を見ていたのだ。そしてイタズラだったことが分かると、マリーはジル達のノックを無視し続けていた。何も彼らに限ったことではないが、誰か来る度に律儀に扉を開けていたマリーは町の人々の顔をほとんど覚えていた。

「いやはやうんざりするほど最高の迷惑だったよありがとう」

 心底不機嫌そうに大声で怒鳴るマリーに、ジルは居心地が悪そうに頬を強張らせた。

「それは……悪かったな。まさか君がいるとは知らずに」

 錬金術師の末裔というのは、意外にもご近所トラブルに悩まされている。その正体が髭を蓄えた老人でなく、見た目ではまだ若い少女というのも驚きではあるが。

 ジルはちらちらとセツナの方を見て助けを求めるが、彼女はこちらを見てすらいなかった。ただソファに腰掛けて、足を組んでぼんやりと黒い手帳を眺めている。加えて、小さく口を動かして独り言を呟いているらしい。彼女のことはあまり知らないが、超能力者であることを抜きにしてもいまいち掴みどころがない。

「まぁいいや」

 機嫌を直してくれたとは言えないが、マリーは一旦話を切り上げる。彼女は隣に置いていた紙袋を拾い上げると、中から一切れのパンを取って小さくかじった。豪快に口に放り込みそうなものだが、意外にも一口は小さいらしい。

「そんで、何が知りたいんだ? Mr.保安官」

 パンを食べ続けながら、ジルに本題を投げかけるマリー。持ってきたパンが功を奏したのか、話をする気になってくれたらしい。

「この町から出る方法を探ってるんだろ? 彼女から聞いた」

 セツナに目配せしつつ、彼はこう続けた。

「俺にも手伝わせてほしい」

 マリーの一口はかなり小さく、一切れのパンをちびちびと食べ進めている。単にもったいないからという理由だが、ジルは美味しく食べてくれてるんだなと適当に解釈する。行儀悪く音を立てるのも、この際目を瞑ろう。

「じゃあ聞くけど何ができんの? セツナみたいな超能力を使えるんなら考えてあげる」

 面白い一発芸を求める感覚で言う。真面目に取り合ってくれるかと期待したジルだったが、裏切られたのだろうか。ここまで来て、何も真実を教えてもらえないのだろうか。

 悲観的な思いと、藁にも縋りたい気持ちに言葉を詰まらせていると。

「彼は『魔剣ライフダスト』を見つけた張本人だって言ってる。何かあの剣に繋がる情報を引き出せるかもしれない」

 その時、口を挟んできたのはソファに座っているセツナだった。結果として、彼女の言葉はジルにとって大きな助け舟になった。

「あぁ、そうだ。『魔剣ライフダスト』を見つけたのは俺だ。俺が知ってる情報なら何でも話すよ」

 魔剣の名を聞いたマリーは、明らかに表情を変えた。あの剣が町の置かれている状況の謎を紐解く鍵となるのは、おおよそ間違いない。確かにジルはその目であの剣を見つけたし、あの剣は神話に登場するもので田舎町にあってはならないものなのだから。

 ジルの真剣な眼差しと念押しもあって、マリーは観念したのか残りのパンくずを飲み下して口を開いた。

「……かつて、魔界には良心と悪心の軋轢が引き起こす呵責に悩まされた者がいた。そいつはついに耐えかねて、自分の良心と悪心を真っ二つに切り裂いた。彼はそれぞれの魔剣で良い魂と悪い魂が行き着く場所を切り拓き、それぞれを天国と地獄とした」

 その伝承について、ジルは聞いたことがある。はるか昔から伝わるレミューリア神話における、一対の魔剣にまつわる伝説である。

「良心を引き裂き、天国を切り拓いた剣を『魔剣ライフダスト』。悪心を引き裂き、地獄を切り拓いた剣を『魔剣デスペナルティ』。アトランティスで見つかったのは『魔剣ライフダスト』だ。本来は魔界にあるはずの剣がこの町で見つかった。つまり」

「アトランティスは魔界に沈んだ……」

 最後に繋げたのはジルだ。セツナから伝えられた通り、『魔剣ライフダスト』の存在が状況の証明になるのは間違いない。

「そういうこった。分かってるじゃんか」

 ただし、とマリーは付け加える。

「一説には逆だったとも言われてるらしい。『魔剣ライフダスト』があったからといって、ここが天国とは限らない。実際、ここはどっちかって言うと地獄みたいだしな」

 アトランティスの状況はどう考えても天国とは言えない。町の外に出ることは許されず、頭上には黒い太陽が輝いている。消えていく人々を見てきたジルたちにとって地獄と言えるほどだ。

「ここが天国なのか地獄なのかをはっきりさせるためにも、私たちは『魔剣ライフダスト』と『魔剣デスペナルティ』を探してる。もしかしたらそれを使えば外の世界に戻れるかもしれないし、戻れなかったとしても天国か地獄か分かれば諦めがつく」

 セツナの言葉はあくまでも確かめることに重きを置いているように聞こえる。町から出る方法を探っていること自体は間違ってはいないが、町から出られる保証もない。そのことを分かっていながら、彼女はなおも探し続けているのだろう。

「町の外に出られる見込みはあるのか?」

 だがジルとしては町から出たいというのが本音だ。たとえ僅かだったとしても可能性が残されているのだとしたら、そこに賭けたい。だからこそ、彼はセツナと交渉してマリーに会いに来たのだ。

「あたしだって分かんないよ。生命と死を司る魔剣のどっちかでも見つけられれば、話は別だけど」

 生命を司る魔剣ライフダスト。死を司る魔剣デスペナルティ。

 やはり、町から出るために必要な唯一のカギとなるのはそれだ。

「なら逆に言えば、あの剣さえあれば希望はあるんだな?」

「そうだよ。なんか心当たりあんのか?」

 そう問いかけると、マリーは体を後ろに反らして両手に体重をかける。言えるものなら言ってみろとでも言いたげな彼女に、ジルは保安官だった頃の記憶を呼び起こす。

「あの剣は総督府に回収された」

「誰から聞いたんだよ、証拠もないくせに」

 自棄気味に言うマリーだが、ジルはあの日のことを明瞭に覚えていた。

「総督府を仕切ってるヤツに直接聞いた」

 彼の言葉に揺らぎはない。

「会ったのか?」

「もちろん」

 しっかりと頷いて見せたジル。彼の断固とした態度を受けて、マリーは確かめるようにもう一度問い質した。

「その日のことを本当に覚えてる?」

 彼は色濃く思い出すことができる。込み上げる理不尽な苦味だって、彼の心にはふつふつと蘇っていた。

 マリーを見下ろす彼の瞳にあるのは納得させようとする心意気ではない。悲しみと虚しさから来る哀愁だった。なぜなら、

「保安官をクビになった日だ。忘れるわけがないだろ」

 その日は最後の出勤日だったから。

 彼が言葉と共にあらわにした眉間のしわを見て、マリーは大きくため息をついた。

「分かった」

 言うと、彼女は机から飛び降りてガレージの奥へ向かう。

 彼女の行動を目で追っていたのはジルだけでなく、セツナもだった。マリーが何をしようとしているのか、二人とも予想することはできていない。

「あれ、どこやったかな……確か〜この辺に……」

 マリーはしばらく使っていないのか散らかっている作業台の上から引き出しの中まで漁っていく。分厚い書物を机から落としたり、ガラスが割れる音が聞こえてくることから察するに、悪戦苦闘しているらしい。ガレージの窓から挿し込む光は室内の全体を照らすには不十分で、奥までは照らしてくれない。探し物を難航させるには十分だ。

「何探してるんだ……?」

 見かねたジルはマリーの背中に声をかける。が、彼女はちょうど散らかった物の海から長方形の箱を拾い上げた。

「みっけたみっけた!」

 彼女が明るみに持ってきたのは、黒い長方形の箱だった。表面についていたホコリを手で払い、それを先ほどまで自分が座っていた机の上に置く。

 ジルはセツナと顔を見合わせ、二人とも気になるマリーのもとへ近寄る。

 マリーが机の上に置いたのは横の長さ四〇センチ程度の黒い箱だ。それ自体にはなんの変哲もなく、彼女が取手のようなつまみを弄るとぱっくりと口を開けた。

 中に入っていたのは茶色を基調とした木製の筒だった。長さは三〇センチ程度で、所々にあしらわれた純金製の装飾が目を引く。古いもののようだが綺麗に磨き上げられていて、箱に収納されていたためか目立った傷や汚れもない。

 マリーは筒を両手で下から添えるようにして持ち上げると、覗き込んでいた二人に見せた。

「これはあたしの家に代々伝わる万華鏡」

 つってもただの万華鏡じゃない、とマリーは唇を舌で濡らす。

「こいつが見せてくれるのは、極彩色の可能性だ。こいつを覗けば、あり得るかもしれない可能性の景色を見ることができる」

「未来が見えるの?」

 セツナの問いかけに、マリーはチッチッチッと舌を鳴らす。

「未来だけじゃない。過去の可能性、要はあり得たかもしれない可能性を見ることもできる」

「本当か?」

 超能力者や錬金術師の末裔を見た今、何が出てきても驚かないと思っていた。だが実際に目にしたとして、それが信じられないものであることに変わりはない。

「可能性ってのは、未来、現在、過去、それら全部の中に普遍的に散りばめられてる。可能性は未来にしかないと思ってる大馬鹿者もいるが、過去にだって可能性は存在する」

 マリーは手に持った万華鏡を回転させて続ける。

「例えばこう思ったことはないか? あの時もっとこういってれば上手く行ってたかもしれないのに〜とか、あの時もっとああしてればよかったのに〜、とか。それが過去の可能性ってやつさ。愚か者に言わせれば、後悔だな」

 人生においてやり直したいことは山ほどある。それはジルもセツナもマリーだって同じ。しかし、それはただの後悔に過ぎず、決して可能性を見せてくれるようなものではない。

 そんな認識を覆すことを、マリーは言ってのけた。

「そのもしもの可能性をこいつは見せてくれる。大袈裟に聞こえるだろうが、一日をやり直すことができるんだ」

 現在は、過去における可能性の選択の中で成り立っている。そして未だ見ぬ可能性の選択が未来を形作っていく。マリーの言う通り、可能性は普遍的に存在するものだが思い通りにコントロールすることは難しい。夢を叶えることが難しいように、可能性を願っても現実になるとは限らないからだ。

 まして、過去における可能性をもう一度選び直すことなど不可能に等しい。過去は過ぎ去ったものでしかない。

「夢みたいだな」

 驚きに言葉を漏らしたジル、不思議そうに万華鏡を見つめるセツナ。二人の様子を交互に見て、マリーは「だろ?」と得意げに鼻を高くする。

「要するに、こいつを覗けば未来の可能性から過去の可能性まで全てお見通しってわけだ」

 一日をやり直すことができるという万華鏡を持ち出してきたマリー。もちろん、それを使うためなのは分かる。問題となるのは、誰が何のために使うかということ。

「…………ううん。私は遠慮しとく。トラウマとか最悪のシナリオに身を滅ぼされたいの?」

 尋ねられたわけでもなく、セツナはまた自分と会話するような独り言を呟く。だが、彼女の言う過去のトラウマや未来の最悪のシナリオとやらを見たくない気持ちは理解できる。過去と未来の可能性が見えるということは、トラウマはもちろんトラウマになり得る未来をも見ることになるのだ。いわゆる、日常的にもよくしてしまいがちな良くない想像、嫌な予感といったもの。

「もしかして……」

 尤も、ジルは何となく察しがついていた。直前まで、総督府に解雇を言い渡された日を嫌と言うほど思い起こさせてきたのは、誰でもないマリーだ。

「これを使え。お前が総督府の連中に出会った日の別の可能性を見てこい。そうすれば、あいつらが『魔剣ライフダスト』で何をするつもりなのか分かるかもしれない」

 解雇を言い渡された日、ジルはそれに従ったからこそ現在に至る。もし、そこで食い下がらずにいたらどうなっていたか。魔剣ライフダストのことを根掘り葉掘り問い質していたら、何と答えるのか。

 マリーの話が正しければ、その可能性を万華鏡で見ることができるのだ。

「……分かった」

 実際のところ、ジル個人としても気になっていたこと。個人の好奇心だけでなく、アトランティスに隠された謎を紐解くと言う建前もあるからには、断る理由もない。彼が素直に受け取ろうとした直前、マリーは万華鏡を引っ込める。

「おっとひとつ言い忘れてた。この万華鏡が見せてくれるのはあくまでも可能性だ。過去を書き換えたり、未来を変えたりはできない。例えるならそうだな……夢を夢として理解する感覚に近いだろうな。夢なのに手足を自由に動かせるって感じだ」

 眠っている間に見る夢は、非常に曖昧で夢なのかどうかも判別がつきにくい状態にある。しかし、明晰夢というのは夢が夢であることを認識してかつ明確な意識のもと体を動かすことができる。

 万華鏡が見せてくれる可能性も、マリー曰くそれに近いという。言うなれば、可能性のシミュレーションとも言えるかもしれない。

「それぐらい分かってる。タイムトラベラーじゃあるまいし」

 タイムトラベラーではなく錬金術師。自分で言おうとして、あまりの現実味のなさに言葉を止める。とはいっても、扉を開ける間の時空間を止めることで住処を隠しているマリーは、ある意味ではタイムトラベラーとも呼べるかもしれない。

「ちなみに、その日は何してたの?」

 マリーはジルに万華鏡を手渡しながら、何気ないことを問う。

「そりゃ、帰って酒を浴びるほど飲んださ」

「あはっ、ウケる」

 失礼極まりない態度だが、マリーの立場も考えて今回は不問とする。

「笑いたきゃ笑えばいいさ。どうせ俺は負け犬だよ」

 適当にあしらいつつ、ジルは万華鏡を両手で持って向きを整える。

「いいか、あんたは『魔剣ライフダスト』のことだけを考えればいい。本来なら過去の可能性に干渉することはできないが、その万華鏡はそれを可能にする。当時にはなかった知識も使えるはずだ」

 これからしようとしていることは、可能性への賭け。それも過去のあり得たかもしれない可能性だ。未来へ希望を賭けるという不確かな行為の方が、まだ現実味を帯びているものにさえ聞こえてくる。

「オーケー」

 いよいよ、万華鏡を覗く時が来た。

 謎を紐解くためのカギは見つからなかった。であるならば、未来ではなく過去にこそヒントがある。

 覚悟を決めた傍ら、セツナは心配するとも忠告するとも取れる声色で言う。

「ねぇ、可能性なんて良いものじゃないよ。囚われすぎないで」

 彼女の言葉は、可能性に賭けるジルには不相応なものに思えた。

 そう。この時の彼にはセツナの言葉の示す意味が分からなかった。独り言の多い彼女のことを考えれば、ジルに言ったとも限らない。だが、ジルは彼女の言葉が自身へのものだと何となく勘づいていた。

「多分大丈夫だろ。あの日の悪夢は、もう何回も見てる」

 そして、彼は過去の可能性を写す万華鏡を覗き込んだ。

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