第2章「未だ来たらず明日を希う」

第2章第1節「未だ来らず明日を希う」

 元保安官のジルは、超能力者である少女セツナに交渉を持ちかけた。魔界に沈んだ町から出る方法を探っているという錬金術師の末裔マリーと話をしたい、と。交渉はジルがアンソニーから貰っていたパンを引き換え条件に成立。二人は早速、錬金術師の隠れ家である開かずの間へ向かっていた。

 外は相変わらず薄明るいままで、時間の経過は全く感じられない。黒い太陽は常にアトランティスを照らし続け、町に夜が訪れることはなくなった。朝方の薄明時、夕暮れの黄昏時が永遠と続く。時間の流れが止まってしまったかのようだが、意外にも時間の感覚は残っている。その永遠に続くとさえ思える不安と孤独こそ、時間の流れをより強く意識させられるからだ。

「開かずの間に入る時が来るなんて思いもしなかったよ」

 噴水広場にある民家の前に立ったジルは、感慨深そうに扉を見る。

 開かずの間の噂がいつ頃からあるものなのかは分からない。何せ、ジルが保安官になる前からあったものだ。そこに隠れ住んでいる人物ともなれば、きっと髭を生やした老人だろうと適当に予想する。

「それで、どうやって入るんだ? やっぱり呪文とかいるんだろ?」

 秘密の部屋に入ろうというのだから、何か特別な方法があるはず。安直な考えかもしれないが、誰も扉が開くところを見たことがないからには理由があるのは間違いない。噴水広場には商店街が隣接しているため本来は人通りも多く、彼らの目を欺くのは簡単なことではない。

「どんな部屋でも、入る時にするべきことは変わらない」

 どこか浮ついた様子のジルとは裏腹に、セツナは落ち着いたトーンで言うと一歩前へ出る。それから彼女がしたのは、至極単純な動作だった。

 コンコンコン、と三回のノック。

 まさかそれだけではないだろうと思い、ジルはひとまず黙って見守ることにした。が、事態は彼が思っているよりも唐突に変化することになる。

 しばしの沈黙の後、開かずの間とされた扉はあっさりと開かれた。中から顔を出したのは、眠そうな顔をしたマリーだ。

「何? 忘れ物?」

 セツナは先ほどマリーとは話をしたばかり。その帰りがけにジルと出会ってから、再び彼女の元を訪れたということになる。

「ってか誰?」

 マリーが視線を移したのはセツナの背後。そこにいたのはセツナが連れてきたジルだ。しかし、彼は扉が開いてもマリーが顔を出しても一切の反応を示さなかった。も、何一つしていない。

 扉から顔だけを出してジルを睨むように見つめるマリーに対し、セツナは手に持っていた紙袋を差し出す。マリーは渋々扉を開けると、セツナから紙袋を受け取って中を見た。

「あなたと話がしたいって」

 紙袋に入っているのは何個かの小さなパンだ。ジルとセツナの間で交渉の条件として提示したものである。

 マリーは今一度セツナの目を見ると、彼女は「どうする?」と言わんばかりに首を傾げた。未だ微動だにしないジルのもとへ寄ったマリーは、彼の顔をまじまじと見つめる。無精髭の生えた頬をおもむろに人差し指で押しても、彼が反応を示すことはなかった。

「……ジョリジョリする」

 ジルの頬に触れた人差し指と親指を擦り合わせ、彼女は少し考えこむ。セツナが連れてきたからには、何かしら有益なことに繋がる見込みがあってのこと。そう信じて、マリーはため息をつくとパチンと指を鳴らした。

 次の瞬間、ジルはようやく瞬きをした。

「……うぉっ」

 何度か瞬きを繰り返し、開かずの間とされた扉が開いていて、セツナの他に金髪をショートカットにした少女がいることに気づく。

「…………」

 目の前にいるマリーと目を合わせ、言葉が出ずにいるジル。だがすぐに、マリーは彼の口を人差し指と中指で塞いだ。

「あーあー、皆まで言わなくていい。私と話がしたいんだろ? ん?」

 口を塞がれたまま促され、ジルは二度三度と頷く。と、マリーは紙袋を自身の小さな顔の横で揺らして言う。

「あたしの指名料にしちゃちっとばかし少ないけど、初回サービスにしといてやるよ常連さん」

 言い終わるや否や、マリーは踵を返して開かれた家の中へ入っていく。

「ほら、入って」

 マリーの後に続いたセツナは、扉に手をかけてジルを招く。

「……いったいどうやって?」

 彼が言いたいことは分かる。どうやって扉を開けたのか。開かずの間とされていた扉が開く瞬間もマリーが出てくる瞬間も、彼は見ていないのだ。

「そんなこといいから」

「あ、あぁ……」

 納得のいく答えを得られぬまま、ジルは中へと入っていく。どんな原理で扉が開いたのか分からずじまいだったが、きっと一般人には聞こえない呪文があったのだろう。彼が心の中で折り合いをつける一方で、セツナは扉を閉めた。

 ────────その時、空中で静止していた新聞の切れ端が再び風に吹かれ始めた。

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