第35話 灼熱の騎士 前編

「GぅuギYaaaぁぁ!」


 体の傷ついた部分が腐り落ち、腐臭を放つそれは虹色に輝く魔方陣の中から現れ、まるで痛みに悲鳴をあげるかのごとくコタロウに向かって咆哮する。



「グゥゥゥ……」


「な、なにコレ⁈ さっきと姿が違う。倒せなかったの? そうだ、クエスト!」



 コタロウが警戒の唸り声を上げる最中、リンはハンドルバーから片手を離し、視界に移るパーティーメニューから、すばやく【クエスト】ボタンをタッチすると――




◆【最終クエスト】発生


 レベル90

 初心者の洞窟に現れた混沌の死竜カオスドラゴンゾンビを退治せよ!


 報酬 100万ゴル 

    プレイヤーが望むレアアイテム確定ドロップ


 必要討伐数 1匹

 期限 あり

 発生条件

 カオスドラゴンを討伐せし者が、パーティー内にいること。


 発生条件を満たすと、強制的にクエストは開始される。

 プレイヤーはクエスト中、以下の制限を受けます。

 ・ショックアブソーバーの強制オフ

 ・クエストのキャンセルは不可。

 ・プレイヤーによる任意のログアウトは不可

 ・ゲームを強制終了させた場合、クエストは失敗と判定されます。

 ・パーティーメンバーが一人でも死亡した場合、クエストは失敗と判断されます。

 ・このクエストで召喚獣のHPがゼロになる、もしくはクエストに失敗した場合、召喚中の召喚獣データは消去され、以後は召喚できなくなる。




「またクエストが書き換わってる⁈ 最終クエストってことはコレを倒せば終わり? でも、パーティーメンバーがひとりでも死んだらクエストは失敗扱いなんて」


「ワン」


「GUォォ」



 コタロウは、クエストの内容に驚愕するリンに警戒を促すと、ドラゴンゾンビは雄叫びを上げながら動きだした。


 体を引きずるように歩く屍……生前に見せた俊敏な動きからは程遠いが、死肉を揺らしながらも歩きだす。


 足を一歩進めるごとに、体から腐敗した体液をまき散らし、大地を腐らせる。



「なにアレ⁈ 大地が腐食している? ……ヤバいかも! リン、ソイツの攻撃を受けちゃダメ!」



 長年培われたゲーマーの勘が、離れた位置で戦いを見守る親友ハルカに警告の声を上げさせた。


 だが、距離が離れ、目の前の敵に意識を向けたリンとコタロウにその警告は届くはずがなかった。



『GaAAアAAAaAA』


「え⁈」



 コタロウに一撃を入れられるまで、まだ距離はあった。攻撃のタイミングを計っていたリンは、突然上がったドラゴンゾンビの咆哮に虚をつかれる。


 次の瞬間、カオスドラゴンゾンビは右手で自らの左手首を掴んだ。ブチブチと肉を引き裂き、ゴキっと骨が外れる不気味な音を鳴らしながら、力任せに左腕を体から引き抜いてしまう。


 そして死せる竜は、引き抜いた腕をコタロウに向かって叩きつけるように振り下ろした。



「コタロウ」


「ワウン」



 リンはとっさに愛犬を後ろに飛ばす。だがアニマドライブをフル稼働させた代償である、強制冷却が済んでいないコタロウの動きは鈍い。


 運動性能低下のシステムメッセージを見ていたリンは、攻めるより守りを優先させたのだが、それは悪手だった。


 リンのイメージ通りに後ろに跳び、攻撃を避けたコタロウ。だがドラゴンゾンビの引き抜いた左腕の傷口から飛び散るドス黒い血が、振り下ろした勢いで飛び散り、愛犬の顔に付着する――



「キャン!」


「えっ⁈」



――悲痛な声を上げながら後方に着地したコタロウは、仕切りに顔についた血を前足で払う。



「ど、どうしたのコタロウ……」



 リンは思わずシートから立ち上がり愛犬の様子を見る。するとガッチガチな装甲は赤黒く変色を起こし、痛がる愛犬の姿に目を見開いていた。



「なにコレ……びているの? コタロウ、大丈夫⁈」


「ワ、ワウ〜ン」



 顔に付いた血を振り払い、痛みに心配してくれるご主人様に、『だ、大丈夫!』と痩せ我慢の声を出すコタロウ……だが血のついた箇所は腐食し、ボロボロになっていた。



「グuGYaaaぁぁ」



 逃さないとばかりに、手にした腕を振り回すカオスドラゴンゾンビはコタロウを追撃する。リンは縦横無尽に飛び散る血が、愛犬に当たらぬよう後退しながら避け続ける。


 執拗に何度も振り回される腕……次第に辺り一面は、血で腐食しドス黒く侵されていく。



「ダメ、逃げてちゃ勝てない。でも攻撃したら……どうすれば⁈」



 リアクティブアーマーの爆発にも耐える、コタロウの装甲……だが腐食という新たなる能力の前に、リンは対策を見出みいだせない。


 運動性能が低下し動きの鈍いコタロウでは、剣で斬りつけた際、返り血を確実に浴びてしまう。それを恐れたリンは攻めあぐねていた。


 神気レーザーカノンによる遠距離攻撃をしようにも、ドラゴンゾンビの猛撃は止まらず、撃つヒマを与えてくれない。


 ギリギリの間合いでは、飛び散る血を浴びてしまうため、隙はできるが攻撃を大きく避ける必要があった。必然的に、リンは避けることに集中せざるをなくなり、攻撃に転じられない。そして――



「キャン」


「ごめん、コタロウ」



 再びコタロウの前足に避け損なった血が付着し、コタロウは痛みに声を上げ、血を払う。


 攻撃を避け続けていたリンだったが、長時間の集中に綻びが見えはじめ、ついに攻撃を受けてしまった。


 前足に付いたほんの少しの血が、たちまち装甲をボロボロにしてしまう。



「もっと、うまく避けないと……」


「ワウン!」



 リンの呟きに、コタロウは『それじゃダメ!』と吠えながら、なおも続く死竜の攻撃を避け続ける。



「でも、剣で攻撃したらコタロウが……足を止めてレーザーカノンで撃つヒマもないし、キャ!」

 


 話しながらの戦いに慣れていないリン……避けた際に飛び散る血が、予期せぬ軌道を描き上から降ってきた。


 思わず左手をハンドルバーから離し、頭上に掲げる……すると――



【フレキシブル・テイル・シールド起動】



――愛犬の尻尾が反応し、瞬時に盾となりご主人様を守り抜く。だがその代償として、コタロウの丸い尻尾は赤黒く変色し錆びついてしまう。



「グゥゥゥ、ワン」



 ガッチガチの尻尾を左右に振り、血を振り払いながら吠えたコタロウは、口にした剣を構え、ドラゴンゾンビに向かって突進する。



「コタロウだめ、ステイ!」


「ワン」



 普段ならリンの命令を忠実にコタロウは聞く。だがこのままでは、自分が傷付くことを恐れるあまり、防御に徹し続ければ、いずれジリ貧で負けてしまう。


 ならばと、コタロウはリンの命令と送られてくるイメージを拒否し、攻撃に転じていた。それは忠犬ゆえの行動だった。



「なんで、止まってコタロウ」


「……」



 リンの言葉を聞かず、コタロウはテイルシールドを起動し、ご主人様を背中に押し込めてしまう。


 真正面から走りくるコタロウにドラゴンゾンビは手にした腕を振り下ろすと、コタロウは攻撃が当たる寸前で横にステップし、狂える死竜の脇を駆け抜ける。


 すり抜けざま、口にした騎士剣がドラゴンゾンビの健在な右腕を断ち切る。その勢いは止まらず、そのまま首元に埋まる黒の結晶体ごと、体の反対側にまで届いた剣が、死せる竜を斬り裂いていく。

 傷口から噴き出す血が、駆け抜けるコタロウの全身を濡らす。



「グゥゥゥ、ワオ〜ン」



 血が付着し激痛に襲われるコタロウ……だが、その脚は止まらず、痛みをこらえ、在らん限りの力を剣に込めて振り抜いた。



「コタロウ」


「くま〜!」



 遠くから見守るハルカとクマ吉の目に、一条の剣線の光が映る。



「GぅuギYaaaぁぁァァ」



 体を上下に真っ二つにされたドラゴンゾンビは、断末魔の声を上げながら倒れ込み、コタロウもまた、全身を血に濡らし倒れ伏してしまう。


 ドラゴンゾンビの傷口から流れ出す大量の血が、辺りの地面に流れ出し、足元に浅く広い水溜りを作り出していく。



「コタロウ、開けて、コタロウ!」



 モニターに映る画像を見たリンは、頭上のテイルシールドをドンドンと必死に叩く。するとギギッていう鈍い音を立てながら、シールドが開いていく。


 シートから立ち上がり、コタロウの姿を見たリンは絶句した。



「……」



 そこにはドラゴンゾンビの血を全身に浴び、付着した血に体を蝕まれる、愛犬の姿があった。



「コタロウ」


「わう……ん」



 ご主人様の呼び声に弱々しく応える愛犬……あまりの痛みに、体を震わせ、血を振り払うことすらできない。


 そんな姿を見たリンは、コタロウから降り、体についた血を、自らの白い服の袖で拭いはじめる。



「アッツ⁈」



 袖で拭う際に手に血がつき、火傷のような痛みに顔を歪めるリン。だがそれでも手を止めず、一心不乱に愛犬の汚れを落とし続ける。


 しかし……軽トラック並みの大きさであるコタロウの全身についた血を拭うには、それはあまりにも小さすぎた。


 すぐに袖は真っ赤に染まってしまう。するとリンは白いローブを脱ぎ、再びコタロウの体を拭いだす。



「コタロウ、ごめんね。私、また足手まといに……すぐ綺麗にしてあげるからね」



 少しでも早くコタロウの痛みを和らげようと、リンは付着した血を必死に拭い続ける。その背後で蠢めく気配に気づかないまま……。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「コタロウとドラゴンゾンビ、どっちも動かない? まさか相打ち⁈ 戦いの邪魔になるから見守るだけだったけど……歩けるクマ吉?」


「くま〜」



 カオスドラゴンとの戦いで傷つき、胸に大きな穴を開けたクマ吉は地面からヨタヨタと立ち上がる。



「ストップ、ストップ! 胸に空いた穴からバチバチ火花が出てるわよ。クマ吉はここで待機。いい?」


「くま〜」



 『ごめん』と申し訳なさそうな顔をしながら、座りこむクマ吉を置いて、ハルカは歩き出す。


 しかし幾分か歩いた先で、血に濡れた地面に足を踏み入れたときだった――



「え、なに? アツ!」



――ハルカは足の裏から伝わる痛みに顔をしかめ後ろに跳び退く。


 足の裏に感じた痛みを確かめるため、背中越しに足裏を見ると、履いていた靴が腐食し空いた穴から侵入した血が肌を焼いていた。



「イツゥゥゥ、この血……まさか触れたらダメージが入るの? だとすると血塗れのコタロウは……え?」



 コタロウの様子を見ようと視線を上げたとき、ハルカの目に真っ二つにされたドラゴンゾンビが、再び体をひとつに再生し、音もなく首を持ち上げる姿が見えた。



「黒の結晶体を切り損ねて再生した⁈ まずい、気づいていない。リン後ろ、そいつはまだ生きてる!」



 必死に叫ぶハルカだったが、距離が遠過ぎ、愛犬を心配するリンには届かない。



「なにか、なんでもいい、すぐにリンに知らせる方法は⁈」



 ハルカは思案する。しかし銃の音で知らせようにも弾丸がない。走って駆け寄ろうにも、この距離と地面にできたダメージフィールドのせいで、遠回りせねば声の届く範囲にまで近づけない。


 ドラゴンゾンビは息を静かに吸い込み鎌首をもたげるが、リンはいまだ気づいていない。


 その光景を見たハルカは走り出す。足の裏から焼け付くような痛みを感じてもお構いなしに、リンに向かって一直線に。



「ブレスがくる。リン! クッ……」



 痛みに耐えダメージフィールドを突っ走るハルカ……だが声は届かず、息を静かに吸い込み終えたドラゴンゾンビが、今まさにブレスを吐き出そうとしたときだった。


 ハルカの頭上を火の玉が通り過ぎて、一直線にカオスドラゴンに向かって撃ち出されていた。


 走りながらチラリと後方を見たハルカの目に、ファイヤーボールを投げ終え、うつ伏せに倒れたクマ吉の姿が映る。



「クマ吉⁈」



 ハルカの走りよりも早いファイヤーボールが、ブレスを今まさに吐き出さんとするカオスドラゴンの無防備な背中へ、猛スピードで飛んでいく。


 そして火球が腐る体に当たろうとした瞬間――



「な⁈」


――狂える死竜は横に巨体を跳ばし、ファイヤーボールが当たる寸前に避けてしまう。


 ドラゴンゾンビの脇を飛び去るファイヤーボール……その勢いは止まらず、コタロウについた血を必死に拭うリンへと向かう。



「ダメ! リン避けて!」



 フレンドリーファイヤー、味方による誤射、同士討ち……あってはならない状況にハルカは叫ぶと――



「クマー!」



――背後からクマ吉の声が聞こえた。ハルカに聞こえても、距離のあるリンには聞こえないはずの声……だが!



『クマー!(後ろに飛んで伏せてー!)』



 リンの頭の中に、クマ吉の必死な声が響いた。



「うしろ⁈」



 クマ吉の心の声に、リンはなにも考えずに後ろに飛んだ。それは愛犬コタロウや親友ハルカと同じくらい、信頼する存在の声だったからだった。


 不恰好に頭を地面にぶつけながら転がるリン、その上をファイヤーボールが通り過ぎ、コタロウへと炸裂する。


 瞬時に巻き起こる爆炎が、コタロウの体を包み込み、バチバチと何かが燃える音と匂いが辺りに漂う。



「そんな……」



 腐食に苦しむ愛犬が、さらに炎に焼かれ燃え上がる姿を目にしたリンは、呆然としていた。


 そんなリンを見て、ドラゴンゾンビはトドメを刺すべく、追い討ちのブレスを吐き出した。



「GぅuギYaaaぁぁ!」



 口から吐き出される腐食のブレスがリンを襲う。だが、そのブレスがリンに届くことはなかった。


 なぜなら――



「ワオーン!」



――炎に包まれたコタロウが立ち上がり、リンの前に壁として立ちはだかったからだった。



「コ、コタロウ!」



 炎に包まれた愛犬を見るリン……視界に映るシステムメッセージに、少女はまだ気付いていなかった。



【機獣ファイヤーベアーとの信頼度が一定値を超えました。【進化召喚】スキルの解放条件クリアー。機獣クリムゾンベアーを進化召喚しますか? YES / NO】



 つむいだ絆が……いま新たなる力となる。



……To be continued『灼熱の騎士 中編』

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