第29話 ライドオン! 前編

 『ピッ!』というホイッスルの音と共に、白線を超えて子どもたちが一斉に走り始めた。

 温かな陽光が降り注ぐ小学校の校庭を、五十メートル先のゴールを目指して子どもたちは一生懸命に走る。


 五人同時に走り始めたのだが、個人の体力や体格さによって、その走るスピードは異なり、徐々に差が開いていく。


 スタートの合図で、一番に反応したポニーテイルの少女が先頭を駆け抜け、二番手の子と差をドンドン開いていく。


 足から頭までのラインをまっすぐに、前傾姿勢の理想的なフォームは、見る者の目に焼きつくほど綺麗だった。


 そして少女は独走状態のまま、いの一番にゴールの白線を駆け抜けた。



「神先さん、足はや〜い!」


「女子のクセに速すぎるだろ」


「計測係、今の何秒だったんだ?」


「な、7秒84⁈」


「え、ええ! はっえー!」


「神先さんスゴ! 陸上部より速くない? オリンピック狙えるんじゃないの」



 周りで見ていた同級生たちは、息の乱れを整えるハルカを褒め称える。


 今日は年に一度の体力測定日、学年ごとに男女に分かれて計測が行われていた。


 学年が高学年へと代わり、男女の間で体力的な差が生まれて来る頃である。


 小学校六年生ともなれば、男子と女子の間には、埋めようのない身体能力の差が生まれはじめる。


 それは、この体力測定においても顕著に現れていた。


 そんななか、六年生の中でも運動神経抜群なハルカは、男子たちにも負けないほどの脚力を見せつけ、皆を驚嘆させていた。


 だがそんな賞賛の嵐を聞き流すハルカは、息を整え終わるとスタート地点の方へと視線を向け、遠目で誰かを探しはじめる。


 すると『ピッ!』とスタートを知らせるホイッスルの音が鳴り、次の組がスタートした瞬間、一人の少女が盛大にコケた。



「あっ、リ〜ン⁈」


 スタートダッシュで足を滑らせ、倒れた親友を見てハルカは思わず大声を上げてしまう。そんな心配を他所よそに、リンは素早く立ち上がり走り出す。



「リン、がんばって〜、いいよ! 去年より断然速い!」



 ハルカの声援に応えるように、リンは『トテトテ』と一生懸命に走る。ハルカと対照的に、アゴが上がり体は大地と直角に近く、腕を左右に振る……いわゆる女の子走りと呼ばれる走る方だった。



「ねえ、アレって速いの?」


「遅いだろう……どう見ても?」


「ぶっ、なんだよ、走るっていうか早歩きしてるだけじゃん」


「おっそ! もう他の子ゴールしているわよ」



 先にスタートした者が次々とゴールするなか、リンはマイペースで一生懸命に走る。そしてたっぷり二十秒の時間をかけてゴールの白線を踏んだ。



「リン、ナイスランよ。去年より確実に速くなったんじゃない?」


「うん。スタート失敗しちゃったけどね」


「そういえば、ケガはない? 痛いとこは?」


「はーちゃん、大丈夫だよ。スタートする時に、力加減を間違えて足を滑らせただけだから。ケガはないよ」


「そっか、よかった。リンの体に傷がついたら大変だもんね」


「はーちゃん、ありがとう」


 笑顔で話しかけるハルカに、リンは少し照れたような顔で返事をする。



「おっと、次はソフトボール投げだ。今年は何メートル投げられるかな〜、リンはもうやった?」


「うん。先にやったよ」


「今年は何メートルだったの?」


「去年より二メートルアップの十メートル!」


「おお! だいぶ記録が伸びたわね。よっし、私も新記録目指すか〜」


 ハルカは肩に手を置き、グルグルと大きく回す。



「はーちゃん……やり過ぎて、去年みたくガラス窓を割っちゃダメだよ?」


「あ〜、あれは不可抗力よ。ボールがすっぽ抜けて校舎の窓にぶつかっちゃったの」


「はーちゃん……ボールはすっぽ抜けても、三十メートル先にある校舎の窓ガラスは割れないよ。使っちゃダメだからね。約束」


「あははは、わかってるって。はい、約束」



 互いの小指を結び、約束を交わすとハルカはリンから離れ次の測定へ向かう。



 ひとり残されたリンは、別の測定の順番が来るまで、ハルカの活躍を見ようとグラウンドの隅に移動しようとすると……。



「ねえ、ちょっといいかしら?」


「え?」



 不意に背後から掛けられた声に、リンは振り向くとそこには、見知らぬ男女二人が立っていた。



「あなた、ずいぶんと神先さんと仲がいいのね?」


「えと……誰ですか?」


「おい、おい、この学校にいて、白鳥お嬢様のこと知らないのかよ?」



 白鳥と呼ばれたいかにもお嬢様チックな少女と、体格のいいお付きみたいな男子がたっていた。



「白鳥さん? クラスが一緒になったことがないから、知りません。ごめんなさい」


「本当に知らないのか? 白鳥のお嬢様だぞ? スワングループって聞いたことあるだろう? 大人気ネット動画VtubeVtubeブイチューブのCMでよく見かける、大会社の社長が白鳥お嬢様のお父さんなんだ」


「えと……知りません。普段ネット動画をみないから、ごめんなさい」


「お前、マジかよ!」


「やめなさい。この子が知らないのはなら、いま知ればいいのよ。教えて差し上げます。わたくしは日本有数の大会社、白鳥グループの社長の娘、白鳥しらとり 玲子れいこよ。以後よしなに」



 すると少女は片足を引き、反対の足の膝を折ると、背筋をまっすぐ伸ばし、スカートの端を摘まむ仕草をしながら頭を下げた。……ジャージ姿で!



「え⁈ は、はじめまして犬飼 鈴です」



 優雅な挨拶に、戸惑いながらもリンはペコリと頭を下げ挨拶するのだが……。



「おまえなんだよ。お嬢様がせっかく挨拶してくれているのに、その無様な挨拶は?」


「え?」


「止めなさい。一般庶民に上流階級の挨拶を求めるのはまちがっているわ。できなくて当然なのよ。庶民なんだから、それを求めるのはこくな話よ」


「チッ! お前よかったな、白鳥お嬢様が庶民にも優しくて」



 お付きの男は舌打ちすると腕を組む。リンはさげすむ視線を送られ居心地の悪さを感じてしまう。



「それで、なにか私に?」


「まどろっこしいのは嫌いだから、単刀直入にいうわ。あなたは神先さんに相応ふさわしくない」


「えと……ふさわしくない?」


「成績は常に学年トップ、運動神経抜群、誰にで優しく人気者。加えてお父様は世界に名だたる有名デザイナー、お母様は世界有数のピアニスト、彼女のような上流階級に属する人が、あなたみたいのような庶民と付き合うのは良くないわ」


「私とはーちゃんが、つき合うのは良くないんですか?」


「そう。人には身分相応の付き合いというものがあります。彼女に必要なのは、上流階級に属する友達なの。つまり、この学校で神先さんにもっとも相応しい友達は同じ上流階級であるわたくしなのです」



 お嬢様は片手を腰に、空いた手を胸に置き、自信満々に語る。


「友達になるのに、相応しいとか相応しくないとか、考えたこともなかった」


「だから、あなたはあなたに相応しい庶民と友達を作りなさい。神先さんの一番の友達には、私がなってあげるから」


「……友達って、なってあげるものじゃないと思うけど?」



 リンは首を傾げて答える。



「あなたに意見を求めていないわ。これは決定事項であり、もう決まったことなの」


「……友達になるかは、はーちゃんが決めることなんじゃ?」


「それはあなたが判断することではないわ。それに、あなたの意見を聞いているわけではないと言ったでしょう? さっさと新しいお友達を見つけに行っていらっしゃい」


「お断りします。はーちゃんが私を嫌いになって、友達じゃない言われない限り、私はずっとはーちゃんの友達だから」


「お前、お嬢様の話がわからないのか? 一般人は一般人同士でツルめといっているんだ!」


「きゃっ!」



 するとお付きの少年は望まない返答に痺れを切らし、リンに手を伸ばし突き飛ばしてしまう。急に体を押され、バランスを崩したリンはグラウンドに尻餅を突く。


 顔を上げたリンの目に、自分をさげすさみニタニタと笑う少年の顔が映る。



「わかったら大人しく、お前にあった友達を作っていろ!」


「やめなさい。ケガはでもさせたら大変でしょ。起こして差し上げなさい」


「ああ、すみません。ついウッカリ……悪かったな、ほら、手を出せよ」



 少年は何かを思いつき、ニタニタした笑顔のままリンに手を差し伸べる。



「あ、ありがとう」



 リンは差し出された手を取り、『グイッ』と引っ張られるのだが――



「あっ!」



――立ち上がる途中で握っていた手が離され、再び地面に尻餅をついてしまった。



「イタタタッ……」



「あっはっはっはっ、悪い悪い、途中で手が滑っちまった。ほら今度こそ立たせてやるよ」



 そう答えながら、少年が再び手をリンの前に差し出した。さっきよりも醜悪な笑顔を浮かべながら……。



「私は、おやめなさいといったわよ」


「ええ、お嬢様、わかっています。これは私のやっていることですから。いいか、これはお前と俺とのやり取りだから、お嬢様は関係ない。いいな? さあ、手を貸してやる。ほら!」



 少年の手が、ヒラヒラとリンの顔の前で揺れていた。

それを見たリンの顔は……青ざめていた。



「へっ! こんな目に合いたくなければ、お嬢様のいうことを素直に聞いて「ダ、ダメー!」いれば?」



 少年の話を遮って、突然リンは大きな声を出す。


 尻餅をついたまま、手を頭上でパタパタと交差させ、必死に何かを止めようとする……明らかにそれは目の前いる二人に向かってではなく、そのはるか後方に向かって放たれた言葉だった。



 リンの視線の先には、ゴミを見るような目つきで、ソフトボール投げのサークル内に立ち、怒りを露わにするハルカの姿があった。



「私のリンに何してるのよ!」



 すでに投球ホームに入っていたハルカの手から、直径9.7センチ、重さ190グラムの白く大きなソフトボールが投げ出された。


 リン達までの距離は40メートル以上離れているにもかかわらず、ソフトボールは正確にリン達の方へ……正確にいうなら、少年の頭を目掛けて投げ出されていた。


「避けて!」


「なんだ突然?」


「どうしましたの?」



 リンは警告の声を上げるが、背後から迫るボールに気がつかない。言葉の意味がわからず、『突然なにを』と二人は頭上にハテナマークを浮かべていた。


 ボールは凄まじい勢いでグングン迫る。



「後ろからボールが! 逃げて!」


「「え⁈」」



 リンが二人の背後を指差すと同時に二人が振り返ったときには、もう少年の目と鼻の先にまでボールは迫っていた。



「うおぉぉぉぉ!」



 雄叫びにも似た驚きの声を上げながら、お付きの少年はボールを避けた。しかし――



「きゃー!」



――ボールを避けた先には、お嬢様の姿があった。とっさのことで逃げられず、手で顔を守るのが精一杯だった。


 お嬢様は『ギュッ』と目をつぶり、体を強張らせながら衝撃と痛みに備える。だがいつまで経っても何も起こらないことにいぶかしみ、そっと目を開けると……。



「痛った〜!」



 いつの間にか立ち上がり、白いボールを手に痛みに耐えるリンの姿があった。



「ぎゃあああああ! リン! リーン!」



 その姿を遠目で見たハルカは、真っ青な顔をして、リンの元へ走り出していた。普段の彼女からは想像もつかない慌てた声に、クラスメイト達の目は点になる。



 涙目で痛みに耐えるリンの姿を見たハルカは、必死に走る。それは痛がる親友を心配してもあったが、それ以上に、これから起こることを危惧しての意味の方が強かった。


(ばか、ばか、ばか、ばか、ばか! いくら『カッ!』となったからって、なんでこうなると予想しなかったのよ!)



 ハルカは思い出す。リンをイジメていた少年がボールをとっさに避けたとき――。



「きゃー!」



――と短い悲鳴が上がると、リンは普段の動きからは想像もできない速度で立ち上がり、ハルカの投げたボールを素手でキャッチしていた。


 人の限界を超えた動き……それはリンに秘められた諸刃の力であり、使えばタダでは済まないことをハルカだけは知っていた。


「お、おまえ……なんで……」


「イタタタッ、ケガはない? 白鳥さんは大丈夫?」


「俺は避けたから、ボールには当たっていないけど」


「え、私もケガは……それよりあなたの方が、なんで私を⁈ 」



 ボールを握りしめ、痛みに耐えながらも他人を心配するリンに、お嬢様とお付きの少年は困惑していた。



「良かった。はーちゃんの投げたボールでケガでもしたら大変だったから……アレッ?」



 すると話し途中でリンの左膝が『カクッ』と折れ、バランスを崩し、頭から地面に倒れていく。



「犬飼さん!」


「オイ!」



 二人が倒れ行くリンに駆け寄ろうとしたとき――



「リン!」



――ハルカは走る勢いをそのままにリンを抱きとめた。


 頭から崩れ落ちそうなリンを腕に抱きしめ、地面をスライディングの要領でハルカは受け止めた。



「は、はーちゃん?」


「リン、大丈夫⁈ 体は動くの⁈ 早く体の力を抜いて感覚をリセっトして! ようやく脳の電気信号と体の反応スピードが合ってきていたのに、ゾーンに入ったらまた逆戻りじゃない」


「ほんの一瞬だけだから、多分大丈夫だと思う。それよりも、はーちゃん、約束やぶったね。息をしていないよ」


「わかってる。ス〜ハ〜……これでいいでしょ。リンだって、約束破った」


「うん……ごめんね」



 リンは息をするハルカを見て安心すると、心配そうな表情を浮かべる親友に身を委ね、目をつぶった。



「な、なにが……」



 突然のことに目を白黒させていたお嬢様は、倒れたリンを見て呆然としていた。それを聞いたハルカの目は険しくなり、目の前に立つ二人を睨んだ。



「なにがじゃないわよ! あんた達リンになにをしていたの⁈ 遠目からみていたけど、リンを突き飛ばしていたでしょう!」


「そ、それは、神先さんと友達になりたくて……」


「あれは、その……つい手が」


「私と友達になりたくて? ついリンを突き飛ばした? ふざけないで!」



 しどろもどろと、ワケのわからないのことを口走る二人に、ハルカは怒りをぶつけていると――



「はーちゃん!」



――凛とした力強い声が腕に抱く少女の口から漏れた。



「リン⁈」


「白鳥さんがはーちゃんと友達になりたいって言っていたのは本当だよ。突き飛ばされたのは……私がなにかしちゃって、つい手がでちゃったのかも知れない」


「だけどリン……」


「はーちゃんだって、人に向かってボールを投げたのはなんで?」


「あれは……リンがイジメられていると思ってつい……でも当てる気はなかったのよ。顔の横を通り抜けるように投げて……」


「その後ろに白鳥さんがいてボールが当たりそうだったよ?」


「後ろにいる人のことを考えてなかった……ごめんなさい」


 リンの質問にうつむき、バツの悪そうな顔でハルカは答えると、白鳥さんとお付きの少年に謝っていた。



「いえ……私もごめんなさい。こんなことするつもりはなかったの」


「お嬢様は関係ありません。非は俺にある。いうことを聞かないからついカッとなって……お嬢様は止めたのにワザと俺が意地悪をしてしまった。すまない」



 リン以外の三人が頭を下げて反省する。



「じゃあ、これで仲なおりだね。そうだ、はーちゃん、白鳥さんがはーちゃんと友達になりたいんだって、どうする?」


「いやいや、リン、この状況で友達にって……はあっ、リンらしいというかなんというか」


 目をつぶり、笑みを浮かべる親友の姿に、ハルカは呆れた顔でため息をつきながら考え込む。



(リン、自分をイジメた奴ら許してやるどころか友達になってあげてなんて……天使だわ! もう尊すぎてまともに顔が見られない! しかしこの二人と友達か……ほっとくとリンに何しでかすかわからないし、ここは断るより取り込んでリンの信者にする方が得策ね。よし!)


 そして――



「いいわ。なにか勘違いがあったかもしれない。それじゃあ、仲良くしましょう。みんなで仲良くね♪」

(あなた達には、リンの素晴らしさをいて、リン教団の仲間になってもらうわよ)


――ハルカはリンの言葉を受け入れ、白鳥さん達に顔を向け微笑むのだが……その口元は邪悪に釣り上がっていた。



「え、ええ……よ、よろしくお願いしますわ」


「あ、よ、よろしく」



 ハルカの笑顔をみて、二人は言い知れぬ不吉な予感を覚えた。



「みんな仲良くなれて良かった〜♪ 」

(本当よかった〜、白鳥さんとも仲良くなれて、白鳥さんは犬とか好きかな? 今度コタロウを紹介したいな〜♪)


「ほんとリンに紹介されて良かったわ♪」

(この子、確か隣のクラスの……親が有名会社の社長さんだっけ? 将来はリン教団の財務面でがんばってもらいましょう♪」


「か、神先さん、犬飼さん、い、いいお友達になりましょうね」

(あ、あの笑顔は……本当にお友達になっていいのかしら? 今さらながら不安になってきました)


「よ、よろしく……」

(この女こえー! なんだよあの笑顔、絶対なにか企んでやがる。できることなら何もなかったことにして、関わらない方がお嬢様のためなんじゃ……)



 三者三様の思惑……これがのちに、とあるMMORPGにおける事件で、獅子奮迅の活躍を見せるカルト集団幹部たちの出会いになると知るものは、このとき誰もいないのであった。



……To be continued 『ライドオン! 中編』

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