第2話 漂う手紙、黒猫を追う者の謎
「生前に最期に遺した遺産が、1000円……」
私、海百合は手を顎に当てて、考え込む。
赤木先生はグラスに入った冷えたお茶に口をつけている。
「まあ、到底、考えられる話ではない。はっきり言えば、どこかに遺産を隠しているはずなんだ。それがどこをどう漁っても、出てこない。本当に、出てこないんだ」
「先生、お越しになったのはその件もあったのですね?」
「うん、まあ、そうですね。彼なら何か知恵を貸してくれるかと思って。どうだろう、海百合さん、彼の前にこの謎について考えてみませんか?」
所長は気まぐれだから、今日ここに来るかどうかはわからない。わからないけれど、仮にも探偵事務所の副所長として、留守を預かっている身だ。謎は解いてみたい。解いてみたくないわけが、ないではないか。
「赤木先生。もう少し詳しくお話を聞かせてください」
彼はふふ、と笑った。挑んでみるかい?と言わんばかりに挑戦的に。
「まず、相続人は何人ですか?」
「一人だ。大学生の息子さんがね。理系の方で、今は院生をされているよ」
「……かなりの遺産を遺された方のお子様が、今大学生なのですか?」
会社をいくつも経営して、多くの資産を作った人物の子供が、まだ大学生という点は、やや不自然ではないか。
「うん。それは、間違いない。確かに、年齢的には珍しいかもしれないけれど、ありえないことではないでしょう? 奥様は20年ほど前に他界されている。 その方との子、ということだね」
「なるほど・・・」
「さらに加えると、その息子さんのことを、亡くなられた方は大切にしていた。だから、自分が亡くなった後も、息子に苦労をかけることはしたくなかったはずだ。つまり、財産をあえて遺さないということは、とても考えられない」
私はふと思った疑問を口にする。
「先生、その方の死は自然なものですか?」
「うん、そこなんだがね」
赤木トーカ行政書士は烏龍茶を飲んで間をおいて言った。
「自殺の可能性は十分にある。詳しくは言えないけれど、そういう状況ではあったということで、警察も調べているところらしいんだ」
「自殺の可能性……」
私は額に手を当ててうなった。
「だが、殺人の可能性は、これは排除していい。これも詳しくは言えなくて悪いのだけど、殺人ではない。その息子さんが殺したとなると大変だ。相続なんて問題ではないけれど、これは遺産相続の問題なんだ。単純にね」
「わかりました。ではそのように考えてみましょう」
うーん。
「とりあえず考えられることといえば、その1000円という点ですよね」
「うん。それも一つの可能性だ」
「先生、それは紙幣ですよね?」
「それは、そう。小切手でもないし、切手でもない。だから、実はものすごく高価な切手だったとか、そういうことはない、らしい」
「今、普通に出回っている紙幣ですか?」
「そうさ。野口英世とか、漱石なんて古い紙幣じゃあ、ないよ」
私はまたうーん、と唸る。
「すっごい昔の千円札ならものすごい価値があるかと思ったんですけど」
赤木トーカは手をひらひらさせる。
「どうだろうね。昔の紙幣の未使用のものとかでも、せいぜい紙幣の倍額くらいだとも聞くよ。遺産にするにしても、せいぜいが子供のお小遣い程度しかないのでは?」
私は少し考えて、言った。
「そのお札に、亡くなられた方と、息子さんにしかわからないような特別な意味があるのでは?」
「ほう。というと?」
「経済的な価値ではなく、心理的な価値があるとか……。うーん、そうですね。たとえば、息子さんが初めてアルバイトで稼いだお金で、お母さんにあげたお小遣いのお札を取っていたとか〜……あ〜」
「面白いことを言うね」と、笑われてしまった。
「そんな答えだったら、私達はこれだね」
と、赤来トーカは両手を上げてみせた。
加具村はまだコンビニで遊んでいるのだろうか。まあ、私も似たようなものだ。
「所長、来ないね」
「あー、、えーと、所長は、いつもですから。いるのが奇跡なんですよ。ハレー彗星みたいに、次に来るのは20年後なんて説が、私達の間では支配的です」
赤木先生は口角を上げて、くっくと笑った。「楽な商売だな」
そうだ、と、彼は立ち上がって、事務所の中を見渡した。
「この間、所長と話したんだけど、すごく昔のコンピュータがあるんだって?」
私は事務所にまさにディスプレイとして置いてあるコンピュータを指差した。
「それですか?ウインドーズっていうんでしょうか。まだ生きてますよ。電源入れたりして」
「触ってもいいかな?」
「いいですけど、ネットはほとんど使えませんよ。なんか、ブラウザも、ぜんぜんわからないし」
「いや、いいんだ。ちょっと懐かしいんだ」
と、赤木先生は電源を入れた。
電子音がして、起動し始めた。
「これこれ、このドライブがガリガリいうだろう?懐かしいなあ。今はドライブなんて、使わないからねえ。エミュレータじゃ出せない味だ。よく生きてるなあ」
「好きな人は好きなんですね」と、私は笑った。
「やっと起動したよ。Windows95だ」
「ああ、それがそれだったんですか。95ということは、1995年頃のOSなんですね。私、生まれてないなあ」
「これで初めて私はネットに繋いだんだよ。あれは革命だったなあ。十何年も、ずっとオフラインで生きてきた人間が初めてネットに入った瞬間の感激は凄いものだったんだよ」
昔のことを思い出して、嬉しそうに入力装置をカチカチ鳴らしている。
「当時のネットって、何ができたんですか?」
赤木先生の様子を見ながら、聞いてみた。
「なんでもあったさ! オフラインからオンラインに移行するということは、ゼロが1になったんだから、それくらいなんでもあったよ。そりゃ、VRも3DもEクラスもなかったけどね、何ていうか、熱かったんだ。一人ひとりが」
「はあ……」
よくわからない話だ。
「音楽をネットで聞けるようになったのも、この頃さ。信じられるかい? アルバム1枚を、一晩かけてダウンロードしていたんだよ。寝る前にダウンロードを開始して、起きる頃にはデータが来ていればラッキー、くらいだったんだ」
懐かしい話を嬉しそうに語っている。ちょっと老人っぽいかな、と感じた。でも、私達が生きている今だって、少し時代が進めば、驚かれることは同じなのだ。最新のCPUのクロックの記録を残すほど、虚しいことはないものだ。
「人と繋がれることもネットでは驚きだったんだよ。意味もないのに、みんな文字だけのチャットに集まっていたなあ」
あ、そうだと赤木先生は言った。
「思い出した。当時ネットにボトルを流すのが流行ったことがあったんだ」
「ボトルを?」
「そう。ボトルメールというアプリケーションなんだけどね。海のデザインでね……。簡単なメッセージを書いて、それを誰にともなく送るんだ。瓶に手紙を入れて、海に投げるんだね。誰に届くかわからない手紙を」
「ああ……、ボトルに手紙を……。 それはちょっと面白いアイディアですね」
「そう。海にボトルを投げたり、こちらにも届いたりするわけさ。凄いイラストが入ってたこともあった。なんとなく、ロマンがあるだろう? メッセージをくれた人とは一生出会うことはないだろうけど、どんな人なのか、想像してしまう」
凄いイラストが入っていることも……あった?
あれ?
「凄いイラストが入っていた……んですか?」
「そうさ……。面白いだろう?」
何か、うまく言葉にできないもやもやが思い浮かんだ気がする。
「先生」
「うん」
「えっと……、たとえばですけど、その『届いた凄いイラスト』を書いたのが、ゴッホだとしたら、凄いことですよね」
「……ゴッホ?」
「ひまわりの」
「絵じゃなくてもいいです。太宰治の未発表のテキストデータだとしたら、どうなりますか?」
「凄い価値だ。」
「……凄い価値ですよね。きっと……それを拾った人が亡くなったら……」
「莫大な遺産になるかもしれない」
先生と私はしばし言葉を失ったけれど、何かを掴みかけていた。
「先生、例の千円札、今見ることはできますか?」
「データはある」
赤木先生は再び応接ソファに戻ってきて、テーブルに端末を置いて千円札のデータを表示させた。
「私が受け取ったあのイラスト……。 もしあの瓶に入っていたものが、イラストでもなく、ゴッホの作品でもなく、太宰の未発表作でもなく……」
「先生、『この千円札』だとしたら?」
「わ、わかった。はっきり言おうじゃないか。つまり」
ボトルに価値のあるものを入れて、誰にも知られないように届けることはできる。
では、この千円札に自分の遺産すべてを入れて届けることができたとしても、不思議じゃない。
「……この千円札に億単位の遺産が」
「複雑なものではないでしょう。たとえば、顕微鏡で見るとメッセージが隠れているとか。お札の一部を切り取ると仮想通貨のデータに復元できるとか……。それじゃあ気づかないで処理されてしまいます」
「となると、後は……」
「シリアルナンバーか、すかし……。それと、裏の絵でしょうか」
一番怪しいのはシリアルナンバーだろう。
「先生、息子さんが知っていそうな銀行口座で、パスワードが解けていないものはありますか?」
「私の知る限り、ないね。そんなもの、調べればすぐ発覚する」
「DA826807Dか。ゾロ目でもないな。日付でもない」
「先生、DADって、気になりませんか?」
「難しいな」
「http://da826807d.jpみたいな」
「可能性はあるかもしれないが、面倒だな」
私達は紙幣の絵も調べてみることにした。
「海百合君、千円札あるかい?」
「持ち歩きませんよ」
他の千円札の画像と比較する。
「富士山ですけど、別に怪しいところは……」
「……これ、湖面に山が写っているね」
「先生、ちょっと顔近いです」
思わず言ってしまった。
「顔も近くなるもんさ。例えばだけど……、逆さ富士っていうのかな。現実にこの絵の場所で、全く同じ画になる日があるとか」
「湖面が下がって秘密の洞窟の入り口が開くとか……言いますか?」
私はキッと先生を睨んだ。
「言っちゃえばこれ、一番日本人に有名な絵かもしれませんよ。そんな仕掛けがあったら観光地になりますよ」
「いや、ジョークだ。でも、気になるな」
そもそも本当に鍵なのだろうか。
不安になってくる。
「あ!加具村!」
扉が開いて両手にビニール袋を下げたやつが戻ってきた。
「帰りましたんね」
アイスキャンディーをたくさん買ってきたようだ。
「どこまで行ってきたの?」
「病院ですんね」
「また病院……?好きだよね……」
加具村が行政書士赤木の姿をみとめた。
「先生!戻る気になってくれたんね!?」
「カグ、久しぶりだな」
二人は旧知の仲なのである。親友といってもいい。
「そろそろ障害者手帳の期限が切れるんよ。面倒見てくださったりな」
「わ、わかったから。ちょっとカグも知恵を貸してくれねぇか?」
「何ですかさ」
私と赤木先生は加具村にタブレットを見せた。
「簡単に言うと、この紙幣にメッセージが隠されている。そういう前提だ。何か気づくことはあるか?」
「メッセージって何のね?」
「莫大な宝の在処だよ」
「……」
加具村の表情が真剣なものに変わった。
「なにか知っているの?」
「色が、見えない」
「色?」
加具村が私の方を向いて、言う。
「私に色を、教えて下さい。『黒』ですか?『青』ですか?『緑』?『褐色』?」
「何を言っている? 何の色だ?」
加具村は驚くべきことを言った。
「これが鍵です。おそらく、そこにすべてのものが込められていることでしょう」
「……そうだ。これには確かに、ある。色がある。これは……黒じゃない。青か。青だ」
「あとは黒猫を追いかける要領です」
加具村がタブレットを操作している。
「海百合さん!」
「どうしたの」
「これは僕たちの仕事になるかもしれません」
「これが……、先生!メッセージです」
加具村が導き出した回答には、強い不穏感がこびりついている。
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