紙幣一枚、大遺産の謎
赤キトーカ
第1話 千円の謎
その事件が私たちの、保呂草探偵事務所に舞い込んだのは、去年の夏のことだった。
ザンザンと猛烈な陽射しが、磨りガラスの窓越しに事務所を照らしていて、私たちは辟易していた。エコだの、クールビズだのもお構いなく、クーラーの力を最大限に使った。所長が電気代の請求書を見たら、どう思うだろうか。
部下の香具村がデスクでぶつぶつと呟く。「暑い。暑いです。暑い。暑いね・・・」
「暑いと言ったら、1回100円の罰金にしようか?」
「海百合さん、それはないですよ。ひどすぎる。ああ……」
「うっかり、言うのもなしだよ。うっかりもね」
「ついうっかりも、なしですか?」
「ほら、100円」
「ええ!?どうしてね!?」
「幽☆遊☆白書は、未読の世代?……ったく」
香具村は「騙しよったんね!」と毒づいた。仕方なく100円を私に投げつけて寄越した。私はその100円を香具村に投げ返して、さらに、500円玉を一枚、投げつけてやった。
「コンビニで、涼んでおいで」
香具村はさすが話がわかる、名探偵!と喜んで事務所を飛び出していった。
ふう、とため息をつく。
暑さのせいもあり、朦朧としてきた。眠くなってきた。
部屋の入り口から、ノックの音が聞こえたような気がした。
うとうとと、微睡んでいたからかもしれない。気のせいかもしれない。この事務所に客が訪れるなんて、そうそう、あることではないのだ。
するともう一度、はっきりとノックの音が鳴った。
海百合が扉に向かうと、小柄な人物が立っていた。
「赤木先生!」
「久しぶりです。ちょっと近くの役所に用事があったものでしてね。所長はいらっしゃいますか?」
「いえ、ちょっと顔を出していないのです。先生、冷たいものでもお出ししましょう、どうぞ」
「お忙しいのでは?」
「先生、悪い冗談です」 ふふふ、と笑い、中へ促した。
「丁度部下……香具村も遊びに行っちゃいましてね。ちょっと、うとうと仕掛けていたところだったんですよ」
冷蔵庫からお茶のペットボトルと氷を出し、グラスに注いでお出しした。
「ああ、美味しい。海百合さん、この事務所、烏龍茶で商売していたことにしたらどうですか?」
「は?」
「コロナの飲食業への申請ができるかもしれない。遡及申請の許可が下りれば、1日6万円の補助金が出ますよ」
「先生……相変わらずの、悪徳行政書士ですね」
「ところで、所長にちょっと聞いてほしい話があったんだ」
「仕事関係ですか?」
「そうとも言えるし、そうでないのかもしれない。一言で言うと、遺産相続関連で面白い話があってね」
「先生の専門ではありませんか」
遺産相続は行政書士の専門分野だ。相続の取り分で揉めてしまい、裁判沙汰にまでなってしまえば弁護士の仕事になるが、そうなるまでは、行政書士の仕事でもある。
「まあ、そうなんだけどね。ちょっと、面白いんだ。守秘義務があるから、話せる部分と話せない部分があるんだけどね。時間があるようなら、茶飲み話でもしないか?」
「面白そうですね」
赤木行政書士は烏龍茶をもう一杯注文して、それに口をつけながら、言う。
「普通、資産家が遺産を残すとなると、簡単な話じゃない。相続人が多ければ、尚のことだ」
「そうでしょうね」
「その資産家は、生前、一代にしていくつもの会社を持ち、経営していた。まあ、金持ちだよ。晩年、経営からは完全に手を引いて、のんびり暮らしていた。旅行をしたり、全国の親しい人に会いに行ったり。ゲームをしたり、小説や絵画を創作したりもしていたらしい」
「羨ましい限りですね」
「まったくだ。私など、月末が近づくと、いつ大家が家賃の催促に来るかびくびくしながら生きているのにね。それで、本当の晩年。いよいよ死が近づくとなると、不動産や債権の類も一通り処分してしまっていたらしいんだ」
「相続となると、税金が大変でしょうね」
「そう、そこが不思議なんだがね。うん。そこが問題なんだよ」
「とおっしゃいますと?」
「普通、生前、財産、それも大量の現金を遺して死んでしまうとなると、大変な相続税がかかってしまう。ところがこの一件では、その相続税が発生しなかったんだ」
「赤木先生。私は相続や税務の専門ではないので、よくわかりません。うまいこと節税をやったということでしょうか?」
「違う。もっと不思議な話なんだ。その被相続人、つまり亡くなった資産家のことだね。彼が、相続人、つまり子供たちに残した財産なんだが、」
「はい」
「千円。たったこれだけなんだ」
「千円?遺産が千円だと?」
「そう。いくら探しても、1000円しか見つからなかった。他の財産のありかは、財産はあるのだろうけれど、見当も付かなかった。遺言書の封筒に千円だけ入れて、それが俺の遺産だと言って、死んでいったのだよ」
続く
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