憑き物祓い/日曜日 昼
雨の渦中。
横断歩道にて、何故だか出会ってしまった二人は、とあるマンションの一室、
リビングの中央に置かれたソファで向かい合うように座っていた。
家主である少女は、相変わらず不機嫌そうな眼差しで男を見ており、
男もまた、おどおどと落ち着きなく視線をさまよわせていた。
「えっと、状況が飲み込めないんだけど、どうして僕は君の家に連れてこられたの?」
「……はあ」
男が窺うように少女を見ながら言うと、
少女は肘置きを正しく使用して頬杖をつき盛大なため息を吐いた。
──めんどくせえ。感じの悪い態度は少女の気持ちを雄弁に語る。
少女はポケットから一枚、小さな紙を取りだし、机の上に滑らせた。
紙は名刺であり、当然誰かの名前を教えてくれる。
「
「ええ、私の名前です」
なんて事も無さそうに頷いて少女──黒羽は髪の毛先に指を絡ませる。
未だに何も飲み込めていない男の方も、慌てて名乗った。
「ぼ、僕は
「ふうん、意外と仰々しい名前なんですね。ま、貴方の目的なんて見たら分かります」
黒羽は肩を竦め、やれやれと首を振る。
何だか芝居じみた動作をする少女だ。
男、達也の方は黒羽の言動に肩を落とす。
視線の先で、黒羽の明るい色をした髪の毛が揺れた。
まるで木の幹みたいな髪色だと思う。
見た感じ地毛なんだろうが、何処か異国の血を感じる。
対して黒羽は、特に何も考えず達也を見て、どこから説明したものか迷っていた。
言動から察するに「有識者」では無さそうだから、一から説明しないと駄目だろうか。
一般人を相手にするのが久しぶりすぎて、
黒羽は既に疲れて全身がだるい。
「まず、です。貴方が私に声をかけたのは、私があの化け物を見ていたからですね?」
「そ、そう!何か知っているかもと思って」
黒羽の問いかけに、達也は大きく頷き、
肩の当たりを指さした。
当然そこにはなにもいないが──まあそれは「現実的」には、という話。
信号待ちの列の中、雨に濡れて鏡のようになった路面が、
達也の肩から首にかけて絡みつく化け物を映していたのは事実だ、たとえどれだけ「現実的」でなくても、紛れもない確信である。
黒羽は改めて、めんどくせえなと思った。
しかし目の前の純朴そうな男は、おどおどしながらも何処か目の奥をキラキラさせている、こういう人を見殺しにする趣味は黒羽には無い。
「仕方ないから、一からお話します。
……私たちはあれを憑き物と呼んでいる」
「……つきもの?」
「人間に取り憑く悪い存在です」
ああ、その「憑く」かと達也は頭の中で一文字漢字を思い浮かべる。
幽霊とか妖怪とかを信じる質ではないのだが、実際自分がこの目であの化け物を目の当たりしたことでその主観も失せている、
故にすんなりと達也は異形の名を受け入れた。
自分の知らない一面を、この世が抱えていたというだけの話。
それは日本の都心部という限られた場所でしか生活をして来なかった達也からしてみれば、まあ当然の事というか。
世界ってやっぱり広いなで済む些末な事柄。少なくとも達也はそう思う。
達也が思考を転がしている間にも、黒羽は話し続けて、だるそうに背もたれに体を預けていた。
「憑き物は自然霊の一種で、人間に対し並々ならぬ敵対心と憎悪を抱く存在です。
人間の闇、即ち悪感情を苗床にして、宿主を死に追いやったり人を殺させたり……ぶっちゃけ呪いの類ですね」
「え、じゃあ僕、近いうちに……」
死んじゃうってこと?
達也の問いかけに、何を当たり前のことを聞くのかと黒羽は目を丸くした。
「ええ、そうに決まっています。
貴方は近いうちに死にますよ」
黒羽は変わらずかったるそうにしたまま、
はっきり達也に迫り来るものを告げる。
達也は焦るでもなく、しかし思考を止めるでもなく、黒羽の言葉を受け取った。
死ぬ、というのが、今まで目の当たりにした物の中で一番現実味を感じない。
死ぬという言葉の意味は知っていても、いざその瞬間が足元に迫っているとわかった時、どんな顔をするのが正解なんだろうか。
焦るのか、怒るのか、呆然とするのか。
色々考えて、しかし達也はどれでもなく、ただ不思議そうな顔で黒羽に再度、問う。
「じゃあ僕は助からないってこと?」
「いいえ」
返事は予想外にもはっきりとした否定で返ってきて、達也は思わずじっと黒羽を見た。
黒羽は髪色と同じ瞳の色に、確固たる意志を乗せて達也を見ている。
達也は無意識に息を呑んで、ただ言葉の続きを待った。
「確かにこのままいけば貴方は死にますが。貴方は死ぬ前に私と出会った。
なら貴方は死にませんし、死なせません」
つまりどういう事か。
黒羽は先程までとは変わり──いや、若干だるそうではあるが、真剣な表情で言う。
「私は憑き物祓いです。言葉のとおり、
憑き物を祓う仕事をしているエリートさんですので。
貴方の憑き物、仕方ないから祓ってあげます」
言い切った黒羽はまたかったるそうな顔に戻った、もうこれ以上の説明は無いと言わんばかりの表情だ。
聞き終わって数秒後、達也は黒羽の落ち着いた瞳に魅入りながら、ようやく息を吐く。
黒羽は言動に真意を表さない、どこか厳しさを持ち合わせた少女だと達也は思う、
嘘や冗談を言えるタイプではなく、
彼女は「事実」以外を口に出さないだろうという確信じみたものを、達也はこの短い会話の中で得ていた。
幽霊、妖怪、怪物、祟りに呪い、ある種の「非現実」は現実の隣にあるのだと、
達也は肩に乗りかかる重圧感の正体を目の当たりにしたとき知った。
達也自身が頭がおかしくなって幻覚を見ている可能性もあるにはあるが、
自分と同じものを見ている黒羽と出会ったことでその可能性も薄くなった。
自分が遭遇した「非現実」が事実であるならば、
迫る命のリミットも、彼女がそれをどうにか出来ることも、現実的では無いが、事実なんだと把握する。
だから、うんと頷いて。
よろしくお願いします、と達也は黒羽に頭を下げる。
「え、リアクションそれだけですか?」
大した疑問も言わず、おどおどはしながらも冷静に、黒羽が言った事を素直に理解した達也に、
何故だか彼女の方が唖然としていた。
達也は首を傾げて何がだろう、と考える、なにかおかしかっただろうか。
「よく分からないけど、僕は一般人で、君はプロフェッショナルってことでしょう?なら僕は君の言うことを聞くし、信じるよ。死にたくないし」
「……最近の若者ってこんななんですね」
黒羽はまたしても唖然として呟いたが、
達也にはやはり、彼女の真意は分からない。
とあるマンションの一室、2LDKのリビングにて、奇妙な五日間が幕を開ける。
──まさか信号待ちの列にいた少女が、
異能力者とか魔法使いと横並びだったなんて、思いもしなかった訳だけど。
達也は黒羽を信じることにしたし、
黒羽も達也を助けることにしたのだった。
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