第四十八話 上演の時/凪サイド

 さて、そろそろ上演の時間だ。あたし達裏方組も、方々に散って公演に備える。上演中のあたしの担当は、小道具の管理。キャストに必要な小道具を渡したり、使い終わった小道具を回収したりするのが役目である。


 結局皇が私財を投じてくるようなことはなかったので、少ない予算の中で作られた小道具ははっきり言ってしょぼい。遠目から見て、それっぽく見えればいいという程度の代物だ。もちろん舞台セットの方も言わずもがな。ジュリエットが例のセリフを言うバルコニーなどは、強度の観点からイスほどの高さしかない。その分ロミオ側が膝を付いて演技をすることで、高低差を表現することになっている訳だが、やはり物足りないというのが正直なところ。衣装に力を入れたという辺りは、最後の足掻きという感じだ。


 舞台袖で待機している亮輔に目を向けると、緊張のあまり倒れるのではないかという顔をしている。先程両親と合流した時は大丈夫そうな感じだったのに、やはり本番直前ともなると耐えられないらしい。声をかけに行こうかと迷いもしたが、何と言えば亮輔の緊張を和らげることが出来るのかわからなかったので、つい二の足を踏んでしまう。そうこうしている間に亮輔に声をかけたのは、全く緊張している様子のない皇だ。オーディションの時もそうだったが、場慣れしていると言うか、彼女は衆人環視の存在を全く意識しない。今だって、可憐な衣装に身を包んだ姿でクラスメイト達の視線を集めていると言うのに、本人はどこ吹く風。恐らく社交界でも同じような感じなのだろう。


「大丈夫? 亮輔君」


 亮輔の顔を覗き込むように話しかける皇。その振る舞いが可愛いとわかっていてやっているのだから、実にあざとい。尤も、本人に言わせれば、これも自分を引き立たせるための努力の一環なのだろうが。


「あ、ああ、うん。ちょっと緊張し過ぎちゃって」


 亮輔の視線が皇を捉えて離さない。同じ女のあたしから見ても、今の皇は魅力的にうつるのだから、それも無理からぬことだろう。しかし、あたしの胸はちくりと痛む。亮輔の視線が、別の女に取られるのは気に食わない。あたしももっと、自身の魅力を引き出すような恰好をした方がいいのだろうか。


「あ、もしかして私のドレス姿に見惚みとれちゃった?」


 これは図星だろう。案の定、亮輔は頬を赤く染めながら、顔を逸らしている。


「皇さんなら、こんな間に合わせの衣装よりもずっと高価なドレスを着てるでしょ?」

「そりゃ~、まぁ、実家にいた時は親の都合でことあるごとに着てたけどさ。あれ、あんまり好きじゃないんだよね。他人にび売ってるみたいでさ」


 ふと、皇が真顔になった。喜んで見せびらかしているのかとも思っていたのだが、どうやらそうではなかったらしい。それでも次の瞬間には笑顔を見せ、皇はこう言う。


「でもこの衣装は好き。何て言うか、みんなの気持ちがこもってる」

「オーダーメイドの豪華なドレスよりも? あっちだって職人さん達の思いがこもってると思うけど」

「う~ん、それはそうかもだけどさ。一致団結って感じじゃないじゃん?」


 一致団結。どこまでも我が道を行く皇から出た言葉とは、到底思えない。もちろん物珍しさで愛着がくという可能性もないではないが、何か裏があると考えた方がしっくり来る。


「みんなで作り上げた衣装を着た私に、亮輔君が見惚れてくれるなら、これ以上に嬉しいことはないよ」


 この一言で、ようやく少し読めた。皇は、亮輔の口から直接感想を聞きたいのだ。回りくどい手口だが、こう言う言われ方をすれば、人のいい亮輔のことである。クラスメイト達の思いを無碍には出来ず、素直な感想を口にするに決まっていた。


「すごく似合ってる」

「本当? わぁ~、嬉しいな。亮輔君に自分から服装を褒めてもらったのは初めてだから、今日は記念日だね?」

「大げさだよ。それに俺、そういうの覚えるの苦手だし」


 確かに、前回カラオケで私服を見せた時は、皇の方から感想を聞いていたから、亮輔が自分で感想を述べたのは、これが初めてということになる。皇による多少の誘導はあったにせよ、彼女の服装を素直に褒める亮輔の姿は、あたしには辛く映った。


「大丈夫。私が憶えてればいいんだから。これからは毎年この日は飛び切りおめかしして、亮輔君に褒めてもらう日にしよう?」


 記念日。あたしと亮輔の間にはない概念。ずっと一緒にいたからこそ、わざわざ考える必要のなかったもの。それが亮輔と皇の間に構築されて行く。いても立ってもいられなくなったあたしは、二人の間に割って入ろうと一歩を踏み出そうとした。しかし――。


 開演五分前を告げるブザーが鳴る。体育館に満ちていた喧騒が徐々に静まり、始まりの時が近いことを告げた。完全に出鼻をくじかれたあたしは、出しかけた足をそっと引き寄せる。


「皇さん! 位置についてもらえる?」


 キャストの位置取りをサポートする役回りの男子から、皇に声がかかった。皇はすぐさまその男子の方に向き直り返事をする。


「わかった~」


 そして今一度亮輔の方に視線を向けた皇は、ウインクをしながらこう言った。


「記念日のこと、約束ね?」


 それを受けて、亮輔がどう思ったのかはわからない。しかし、亮輔の顔から緊張の色はすっかりと消えており、皇の声かけがいかに効果絶大であったかを思い知らされる。少なくともあたしでは、こうも簡単に亮輔の緊張をくことなど出来なかっただろう。


 開演を告げるブザーが鳴る。ゆっくりと幕が上がり、暗転した舞台が衆目の下に晒された。その中央には亮輔の姿。ナレーションが最初の状況説明をしたら、亮輔にスポットライトが当たり、ロミオがセリフを言う手はずになっている。練習で何度も見た光景。しかし、この時はいつもとは何かが違った。それはオーディションの時に皇が見せたものと似ていて、亮輔が何だか神がかっているというか、何と言うか。そう。例えるなら、ロミオそのものに見えたのだ。途端に、安っぽい舞台セットが、本物の風景へと変わる。観客の様子からも、それがあたしだけの感覚でないことが見て取れた。


 ロミオが言葉をつむたび、誰もが『ロミオとジュリエット』の世界に没入して行く。まるで本物のロミオがそこにいて、実際に溢れる想いを吐露とろしているかのような。そんな感覚に捕らわれる。


「すげぇ~。すげぇ~よ、亮輔……」


 亮輔にこんなことが出来るなんて、あたしは知らなかった。そもそも、亮輔は大勢の人前で何かをするような性格ではなかったのだ。高校入学を機にそれを払拭しようとして、失敗したくらいである。亮輔にはこう言うことは向いていないのだと、勝手に思い込んでいた。しかし、どうだ。今の亮輔は完璧にロミオになりきって、堂々と演技をしている。いや。本人にそんな意識はないのかも知れない。あそこに立っているのは、あくまでロミオ。朝霧亮輔ではないのだ。


 これには皇を始め、他のキャスト達も感化されたようで、今まで以上の演技を見せる。皇はもちろんジュリエットになりきっているし、マキューシオ役の輝崎も、ティボルト役の藤村も、ロレンス神父役の咲田さくたも、みんなそれぞれ役に入り込んでいる様子だ。


 そして物語りの終盤。ロレンス神父のアイデアで、一時仮死状態になったジュリエットはキャピュレット家の霊廟れいびょうへと埋葬される。知らせを受けて霊廟を訪れたロミオは、ジュリエットの棺を開けて、こう口にした。


「やっと会えた。ねえジュリエット、二人はいつまでも一緒だって言ったじゃないか。あんなに暖かかった体が、こんなに凍りついて。ねえ、お願いだ、もう一度瞳を開いてくれ、もう一度僕を呼んでくれ。二人でどこまでも行こうって約束したじゃないか。橋の上で始めて逢って、舞踏会場で運命の再会、君が僕の名前を呼んでくれて、幸せに浮かれ騒いだ。そして僕達は誓いを立てて、二人で教会の鐘を聞いた。間違ったことなんて何もないのに、どうしてこんなにうまくいかないのだろう。ジュリエット、いがみ合いのない世界で、僕達これから幸せになろう。いつまでもいつまでも一緒に暮らそう。今、君のところに行くよ。ああジュリエット、まだ微かに暖かい。地上での最後のキスだ、お休みジュリエット」


 いよいよ問題のシーン。クラスメイトの間でも意見が割れた、ロミオがジュリエットに口付けをする場面だ。振りとは言えそんなことはさせられないという皇ファンと、あくまで舞台栄えを意識した製作陣。最終的には製作陣側の意見が採用され、キスの振りだけおこなうことになったのだが、練習のたびに亮輔が非難の視線に晒されていたのを思い出す。


 かく言うあたしも反対派の一人。皇ファンとは理由は違うものの、振りとは言えキスはさせられないというのがあたしの意見。何せ事故でも起こって、本当にキスをしてしまったらえらいことだ。なので毎回このシーンが近づくと、亮輔に牽制の視線を送って来た訳だが、今日の亮輔はいつもと違う。ロミオになりきった亮輔が何をしでかすか、全く予測出来ない。


 そうこうしている間にキスシーンが終わる。よくよく観察していたつもりだが、本番環境は思っていたよりも舞台袖が暗くて、今一判断がつかない。今のはアウトか、セーフか。


 考えている間にも物語りは進行して行く。ロミオは持っていた毒を服用して倒れ、代わりにジュリエットが目を覚ました。


「おはようロミオ、ロミオでしょう? いま唇が暖かった。あれ、ここはどこ。私、夢を見ていたのかしら」


 少しの違和感。ジュリエットの様子がおかしい。一見何ともないように振舞ってはいるが、あれはジュリエットというより皇だ。これまでの演技が嘘だったかのように、役から魂が抜け落ちてしまっているように感じる。


「暗くてよく分からない。そうだわ、私、神父様の薬を飲んで、埋葬されたんだ。怖かった、もう二度と起きられないかと思ったけど、私はちゃんと目を覚ました。ああ、後はロレンス神父を待って、二人でエスカラス大公の元に向かって、きっと全てを認めて貰う。私はロミオと一緒になれる。待ってなんかいられないわ、神父様を探しに行こう。それにしても真っ暗」


 しかし、そこは流石皇と言うべきか。見ている人間のほとんどは、彼女の変化に気付いていないだろう。皇がアパートに引っ越して来て以降、図らずも長い時間を共有していたあたしだから気付いた変化。


「せっかくうまくいったのに。なんで私を置いて行ってしまうの。起きてよロミオ。一緒にどこまでも行こうって、いつまでも二人で暮らそうって約束したじゃない。さよならの挨拶もなしで私を残して行かないで。ねえ、私、薬まで飲んで、あなたと会うために、心細いの我慢して、懸命に飲み干して、目が覚めたら幸せが待っているって、それだけを信じて眠りについたのに。なんで、なんでこんなに歯車が狂うの。私、何か悪いことしたの。みにくいいがみ合いさえなければ、二人で手を取って抱きしめ合えたのに。もう、こんな世界なんていらない。もっと綺麗な世界がいい。ロミオ、ねえロミオ、置いてかないで。私も一緒に行く。あなたの妻だもの。あなたと一緒に行く。争いのない綺麗な空の上で、二人でいつまでもどこまでも歩いていくの。ロミオ、ロミオ、私に最後の勇気を」


 何かが皇の意識を引きずり戻したということか。だとしたら、それは何か。そんなことは考えるまでもない。先程のキスシーンで、があったということだ。


 ロミオの短剣で自刃したジュリエットが倒れると、そこにロレンス神父とロミオの従兄弟であるベンヴォーリオが入場。ロミオとジュリエットの死をの当りにする。その後エスカラス大公と兵達が入場し、話がまとまると暗転。モンタギュー家とキャピュレット家の和解を告げるナレーションが入り、閉幕。これにて、うちのクラスの『ロミオとジュリエット』は終了である。


「朝霧君、お疲れ様。さぁカーテンコールがあるから速く立って!」


 須賀の一声で、それまで倒れこんだままでいた亮輔が飛び起きた。


「あれ? え? 終わった?」


 どうやらずっとロミオになりきっていたようだ。それを見ていたクラスメイト達がドッと笑う。


「何それ。ちゃんと最後まで演技がんばってたじゃない」


 様子を見るに、他のクラスメイト達には、キスの件はわからなかったらしい。この調子だと、亮輔自身も気付いていないだろう。しかし、キスをされた当人である皇だけは例外。明らかに亮輔を意識していた。


「皇さん、どうかした?」

「ううん。何でもない! ちょっと目にゴミが入ったみたいで!」

「大丈夫!? 俺が見ようか?」

「大丈夫だから! 自分で取れるから! 亮輔君は少しあっち向いてて!」


 亮輔のことをチラチラと見つつ、亮輔がそれに気付くと視線を逸らす。


「皇さん。カーテンコールで幕が上がるから、そろそろ前を向かないと」

「あ、ああ、うん。そうだよね!」


 舞台袖でカーテンコールにのぞむ二人を眺めつつ、あたしは拳を握り締めた。事故とは言えキスはキス。亮輔のファーストキスは皇に奪われてしまったのだ。これは由々しき事態である。


 それでも、表面上は何事もなかったかのように装いつつ、あたしはクラスメイトとハイタッチをした。あたしの私情で、公演成功に沸くクラスのムードを壊す訳には行かない。モヤモヤした気持ちを抱えつつも、それをどう解消すればいいかがわからず、とりあえず場の雰囲気に乗る。そんな自分が不甲斐なくて、滑稽で、あたしは心の中で、ひそかに自嘲の笑みを浮かべるのだった。

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