第二十一話 女の戦い/凪サイド

 うちの学校は特に強豪校と言う訳ではないが、部活には力を入れている学校なので、朝練のメニューはそれなりにきつい。今朝は遅刻してしまったからか、顧問の先生の当たりもやや強かった。


「玖珂崎~! カバーが遅い!」


 これくらいなら他のメンバーも然程変わらないと思う。しかし、ここで逆らっては返って反感を生むだけで、いいことが一つもない。あたしは素直に「はい!」と返事をして、より機敏に動くよう心がけた。


 朝練終了の時間になると、先生はメンバーを集めてこう言う。


「ウインターカップの予選まであと少しだ! 今回はみんないい調子だし、誰がメンバーに選ばれてもおかしくない! 各位気を抜かないように!」


 これはつまるところ一年生にもチャンスがあるということ。幸いあたしは身長に恵まれているし、運動能力だって先輩達に負けていない自信がある。その気になればスタメン入りすることも出来るだろう。同じ一年生だと、試合に出れそうなのは深海ふかみさんくらいか。彼女は小柄ながら足のバネがすごくてジャンプ力は高いし、シュートのフォームもとても綺麗だ。他の二、三年生を押し退けての出場も充分にあり得る。


 あたしが視線を向けていることに気付いたのか、深海さんが視線をこちらに向けた。しかし、すぐに「ふん」とそっぽを向いてしまう。嫌われるようなことをした憶えはないが、ライバル視されている節はある。あたしは楽しくバスケができればそれでいいんだけど。


 とりあえず朝練を終えて、シャワーを浴びる。この辺りの設備が完備されているのはありがたい。亮輔に汗臭い女なんて思われたらショックでどうにかなってしまいそうだから。


 シャワーを終え、制服に袖を通していると、詩音先輩が声をかけてきた。


「で? 凪さんや。何か具体的な作戦はあるのかい?」


 そういえば、練習に夢中で今後のことがすっぽりを頭から抜けている。これはまずいと詩音先輩にアドバイスを求めると、先輩は実に楽しそうな表情かおでこう言った。


「そんなの押せ押せどんどんよ! ライバルがいるなら駆け引きとか気にしてる場合じゃないもの!」

「押せ押せって、具体的には?」

「さっさとこくる――のは無理そうだから、そうね~。ボディータッチとか?」


 ボディータッチ。昔はよく男子に混じって遊んでたから自然にやっていたと思うけど、そういえば最近はあまりそういったことはしていなかったような気がする。いつからだろう。亮輔との距離が少し開いたように感じたのは。


「幼馴染なんだし、その辺りは楽なんじゃない?」

「幼馴染だからこそ難しいんですよ」


 自分の気持ちに気づいた今、亮輔に気楽に触れられるかと言ったら、恐らく答えはノー。考えただけで顔が熱くなってしまう。


 とは言え、相手はあの皇だ。のんびりしていたら亮輔を取られてしまう。その予感はたぶん間違いではないはずだ。


「とりあえずド~ンと抱きついちゃえばよくない?」

「そ、そんなこと出来たら苦労しないですよ!」


 亮輔に抱きついている自分を想像する。あたしの方が背が高いから見栄えはちょっと悪いかも知れないけど、そう出来たらどんなに幸せだろう。想像しただけで口元が緩んでくる。


「凪~、顔がにやけてるよ」


 ハッとして口元を引き締めた。この場にいるのが詩音先輩だけだったのが唯一の救いか。こんな顔、誰にでも見せられるものではない。


「と、とにかく! 抱きつくのはダメです!」

「え~、そんな弱腰じゃ転校生に取られちゃうかもよ?」


 言われて皇を想像する。確かに皇ならば、このくらい簡単にやってのけるだろう。とするなら、あたしも覚悟を決めなくてはならないか。


「……う、腕なら」


 ぼそりと呟く。それが聞こえなかったからか、先輩は「ん?」と首をかしげた。


「腕なら行けるかも?」

「何で疑問系なのよ」

「だって抱きつくんですよ!? 好きな人に!」

「そりゃ~ライバルがいる状態でアピールするんだから、それくらいやらないと」


 わかってはいる。わかってはいるが、どうしても恥ずかしい。昔は一緒にお風呂に入ったこともあるというのに、今は手を繋ぐことを考えただけで頭が沸騰してしまいそうになる。本当は今すぐにでも亮輔の胸に飛びつきたいけど、同時にそれを怖れる自分もいた。


「拒絶、されませんかね?」

「あんたに抱きつかれて嫌がる男は、たぶん女性不信だから」


 詩音先輩はきっぱりと言い切る。


「さっきも言ったでしょ? 自信持ちなさい」

「だって、あたし、亮輔より身長高いし、口調も男っぽいし、胸だって小さいし」

「うるさい! いい! あんたは可愛い! それは間違いないんだから!」


 先輩に両頬をがっしりと掴まれ、横に引っ張られた。


「いふぁいふぇす」

「もちもちほっぺもいい感じ! ほら、転校生に負けてるところなんてない!」


 ひとしきり言い終えてから、先輩はあたしの頬を開放する。


「いいから、昼食に彼を誘いなさい。これは決定事項」

「でも――」

「デモもストライキもない! あんたの恋は成就するべき! ポッと出の女になんか負けるな!」


 その一言で、あたしの心は幾分か軽くなった。


 そうだ。皇と亮輔は夏休みに会ったばかり。生まれた時から一緒にいるあたしの方が、ずっと長く亮輔のことを想っている。それは覆ることのない事実だ。気持ちで負けていては勝てるものも勝てない。そう思い直し、あたしは自らの両頬を、手の平で力強く叩いた。


「ありがとうございます、詩音先輩。あたし、やってみます」

「よし、よく言った! それでこそ私の可愛い後輩だ!」


 そうして、あたしは自分の教室に戻る。シミュレーションはここに来るまでに何度もした。まずは昼食に亮輔を誘う。亮輔のことだ。断りはしないだろう。後は皇がどう出るかだが――。


 教室に入るなり、あたしは亮輔の席に目を向ける。いつもなら一人でいる亮輔だがこの日は違った。


 亮輔の傍には皇と、そして男子が一人。何やら話が盛り上がっているようだが、皇と二人きりでなかったと言うのは喜ばしい。


 ここぞとばかりに、あたしは声を張り上げてこう言った。


「りょ、亮輔! 話があるから今日の昼、一緒に食べないか!」


 結果、クラス中に声が響いてしまったが、そんなことはどうでもいい。間違いなく亮輔の耳にも届いたはずだ。


 しかし、先に口を開いたのは亮輔ではなく、皇だった。


「亮輔君。私もご一緒していいかな」

「え、でも……」


 亮輔は困惑している。皇はお姫様扱いだから、いつも誰かと一緒だ。てっきり今日の昼もクラスメイト達の相手をする者だと思っていたのだが、そう都合よくは行かなかったようである。


 クラス中の視線が亮輔に刺さる中、皇は静かに彼を見据えて、言った。


「いいから」

「う、うん」


 結局、亮輔と皇、そしてあたしの三人で昼食を取ることになってしまったものの、それならそれで仕方がない。二人きりでなかったことは残念だが、皇が対抗心を持っていることがわかっただけで、結果としては上場だろう。


 授業中も無言の戦いが続く。皇がここで引いてくれれば楽に済むところではあるが、そうは問屋が卸さない。結局昼休みになるまで、あたし達の攻防は続いた。




 待ちに待った昼休み。チャイムと同時に駆け出し、あたしは亮輔の腕を取った。


 しかし、それは皇も一緒で、両隣から亮輔を挟む形になっている。


「行くよ、亮輔君!」

「行くぞ、亮輔!」

「ちょっ――!?」


 無理やり亮輔を引っ張って、教室を横断。途中、クラスメイト達の視線には気付いたが、あえて何も言わなかった。


 中庭のベンチに到着すると、あたしと皇はそれぞれ亮輔の隣に陣取る。亮輔は少し狭そうにしているが、この距離感を保たなければ皇に勝つことは出来ない。むしろもっとくっつかなければ、亮輔の気を引くことは出来ないだろう。恥ずかしいが、こればかりはやむを得ない。


「え、えっと~、凪。これ今日の弁当な」

「さ、サンキュー、亮輔」


 そういえば、朝はあんなことがあったので、弁当を受け取るのを忘れていた。それをわざわざこうして手渡してくれるのだから、やはり亮輔は優しい。


 トクンと心臓が跳ねる。自分の気持ちを理解する前と後では、こうも見え方が違うものか。何だか亮輔が輝いて見えて、あたしは思わず見入ってしまう。


「ど、どうした凪。何か変なものでも食ったか?」


 亮輔の手が、あたしの額に触れた。この程度の接触は子どもの頃から散々やっているのに、今は無性に恥ずかしい。あたしは自分の体温が上がるのを感じた。


「熱は……ないな。いや、ちょっと上がって来たか?」

「だ、大丈夫! 大丈夫だから!」


 舞い上がっていたので、皇の行動に気付くのが少し遅れる。


「亮輔君。私も何だか具合が悪い気がするな~。ちょっと触って確かめてもらえる?」


 ふと見ると、皇は亮輔の手を掴んで、自分の胸元に押し当てようとしていた。


「皇さん、流石にそこは触れないよ」

「え~。亮輔君ならいいのに……」


 皇が頬を膨らませる。何てあざとい行動だ。顔を見れば一目瞭然。男子受けするとわかっていてやっているのである。


「こら、亮輔。皇ばっか見てないで、こっちも見ろよ」


 亮輔の顔を両手で掴んで、無理やり自分に向けた。あたしは皇ほど物知りじゃないから、男子に受ける動作なんてよくわからないけど、皇に亮輔の視線を持っていかれるのは嫌だ。


「どうしたんだよ、凪。ちょっと変だぞ?」

「変じゃない。気付いただけだよ」

「気付いたって、何に?」

「それは――」

「あ~、あ~! 亮輔君、早くご飯にしよう! 昼休みは有限だよ!」


 せっかく自分の気持ちを素直に言えそうだったのに、皇に阻まれてしまった。亮輔も皇の言葉に納得してしまったようで、弁当の包みを開こうとしている。こうなってしまえば、先を続けるどころではない。「まだチャンスはある」そう思って、あたしは仕方なく、自らも弁当の包みを開いた。

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