漢字織

幾兎 遥

ラプソディ・イン・ブルー

本日の漢字:一、右、雨、円、王、音、下、火、花、貝(10/2136)




青色の一日だったと思う。絵の具の一色だけじゃなく、それぞれ少しずつ違って。くるくるといくつも移り変わっていくのだけど、どれもみな青の系統にいた。初めに「あ」と思ったのは雨の青。田舎の実家を後にしたその日は、弱い雨が降っていた。電車の車窓越しなら意識を向けなければ粒がわからないほどの。窓の外ばかり眺めていた。ワンマン列車が走る線路にはその分自然の美しい景色が続くのではないかと、都会育ちの人は思うかもしれないが、別にそうでもない。たまに開けたところはあれど、ほとんどは田んぼか木々の似たような光景がのっぺりとしているだけだ。雨でよく見えなくなっているし。それでもこの時の僕は携帯を触る気にはなれなかったから、いつもの居所を失った視線は必然的に左に広がる薄暗い青へと向くことになった。あれはなんという名の青なのだろう。灰色というにはどしゃ降りすぎていて、まだ、予感のような。


「オールドブルー」


突然、顔の右半分の肌に声の感触がした。通路の方を見る。がらんとした空間を挟んだ斜向かいの席の女性がこちらを見て微笑んでいた。薄い青のチュニックを着ている。


「少しくすんだ青色。一番それが近いと思う。……何を考えていたの」


僕と目が合うと、女性はそう続けた。既によくわからないことばかりだった。おーるど? 何を? どんな感想を抱けばいいのかさえわからなくて、操られたように口が動く。


「雨の、色について」


「なるほど。じゃあ一つ前に見ていた色は曇り空の色だったのかしら。あれだと灰色でちょっと無機質すぎるから、鉛色っていうもう少し錆の入った色をおすすめしたいかな」


そこでようやく、僕は恐怖感を覚えて少し青ざめた。三つ目の青色。


「……もしかして超能力か何かを見せつけられています?」


この人の言っている色は、僕が脳内で探していた色の特徴と同じなのだ。

僕の動揺をよそに、その女性は先ほどとなんら変わらない調子で言った。


「人の頭の中に浮かんでいる色がわかるだけよ」


と、普通じゃないことを。


「それって充分異質でしょ。テレパシーじゃん」


もはや無遠慮となった口調で僕がそう言っても、彼女は落ち着き払って「そうでもないわ」と返す。


「だってあなた、たとえば今私の頭の中が見ている色が紫色だとわかったとして、私の考えていることがはっきり想像できる?」


そりゃあ、と言いかけてつまずく。赤とか緑とかじゃなく微妙な色を突いてくるのは嫌らしいと思ったものの、それを抜きにしたとしても大げさにした割に合うほどの情報量は見出せそうになかった。


「ええと……紫……あまり明るい気分じゃないのかな」


「それぐらいでしょ? 普段顔を見るだけでも、なんとなくは感じ取れることじゃない?」


言葉に詰まっていると、彼女はあくびを出しそうなほどに退屈げな顔で淡々と続ける。


「赤は怒り、黄色は幸せ、桃色は恋。青なら憂鬱。色と感情ってだいたい共通のイメージで結びついてるでしょ。ありふれていて、みんな当たり前のように使っているものだから、情報が発展しにくくなるし、得ようとしなくなるの。その中の微妙な事情の違いの表現とかね」


煙に巻かれている感覚もあったのだけど、彼女の言っていることはよく理解できてしまった。言われてみるとさっき彼女は「何を考えていたの」と僕に尋ねていた。彼女は僕の心情を暴けるわけじゃなくて、それでいて素直に対話をしようとしてくれていたのだ。

いろいろと飲み込めてくると、途端に最初の話が気になって仕方がなくなる。僕はしばらくに距離を置いていたはずの携帯を取り出していた。


「ちょっと、調べてみてもいいですか」


「何を」


「オールドブルー」


彼女が笑う。


「許可取る必要ないでしょ」


「いや、なんか……風情がないかなぁと思って」


現代人は物事をなんでもスマホの確実性の薄い情報だけで知った気になってしまう、という昨今の専門家が嘆きがちのフレーズを僕は思い出していた。


「確かに。私に声をかけるまでは開かなかったのに、どうして今になって使おうと思ったの?」


ふっ、と僕の携帯に彼女の視線が向けられる。なんだか、既に見透かされている気がした。そうでもない、と言っていたとはいえ、慣れである程度は推察できるようになっているのか、あるいは別の素質なのか。何にせよ、それならちゃんとした言語もいるまいと、僕はぱっと思い浮かんだ一言をそのまま口にした。


「答え合わせなら、いいかなって」


ふうん、と返ってくる。やっぱり、満足そうな笑みが浮かんでいた。その笑顔を見て、僕はさっきまでの恐怖混じりの驚きなどすっかり飛んでしまったみたいにこう思った。

今、彼女は僕に何色を見ているのだろう。

オールドブルー、とフリックして、検索。一瞬で一番上に画像が表示される。へえこれがオールドブルー、水色をめいっぱい暗くしたような色だった。


「どう、合ってる?」


彼女が首を傾げてくる。


「うーん、多分」


「でしょ、よくわからなくなっちゃうのよ」


初めて彼女の笑顔が、少し寂しそうになるのを見た。


「私がオールドブルーだ、って言った時点で少なからずあなたのイメージは染められてしまう。あなたが最初に思った色とはちょっとずつ離れてしまうの。現に今あなたが見ている色は、私がさっき見た青と少し変わってしまっている」


「そう、なんでしょうか」


正直僕にはわからなかった。それぞれの特徴を言葉で説明できるほどじゃなければ見分けられない、あるいは見分けずに済む次元の話なのだろう。

彼女は続ける。


「私は確かに人の頭の中が映し出している色を見ることができるけど、どうしてその人にその色があるのか、背景みたいなのは読み取れない。あくまで外側から覗いているだけで、内側で思考するあなたの脳と繋がれるわけじゃないの」


あまり便利なものでもないわ、最後にそう言って、押し黙ってしまった。

なんだか気まずい感じがする。別に気を悪くされたわけではないと思うのだが、だからこそこれで会話を切り上げるということができそうもない。それに……切り上げたくない。


「いろんな色の名前を知ってるんですか」


時候の挨拶のような話題をなんとか見つけ出してくる。


「……まあ。日本語の色の名前ならほぼ全部知っていると思う」


「すごいなあ、じゃあその中で、一番好きな色はあるんですか」


いよいよ月並みな質問をしてしまったと言ってから思う。ましてそれだけたくさんの色を知っているとなれば、いっそう選びづらいだろう。案の定彼女は「そうねえ」と語尾を伸ばしてしばらく考え込んでしまった。


「ああでも、好きでいたい色はあるかもしれない」


「好きでいたい?」


「鉛色」


さっき言っていた、それもあまり綺麗とは言えない色じゃないか。思わず乾いた笑いが漏れる。


「ちょっと、カッコつけてます?」


すると彼女は、


「……そう、かもね」


とあっさりと肯定してしまった。だがその表情と声音はとても気取ったものには見えず、僕は逆に彼女は真剣に答えていたのではないかと悟る。


「幸福の王子って話は知ってる?」


はい、と頷く。生活に苦しむ人々のことを嘆いた王子の像がツバメに頼んで、自分の体の宝石や金を彼らへ届けていく童話だ。


「その王子様の心臓が鉛でできていたのね」


そう。宝石や金をみんなあげてしまった王子は最後「みすぼらしい」と人々に捨てられ、鉛の心臓だけになってしまう。その物語と関わりのある話をするのかと思いきや、次に彼女はこんなことを言った。


「世界には、表されていない色がまだたくさんあるの」


少しずつ、彼女の微笑みには青が増えていくようだった。混ざり始めている、のではなく、元々あったのが染み出てきたみたいに。思えばこれも、普段人といて何となく察することができる色のことなんだな。


「あなたが考えていた雨の色だってそう。空や海を表す色はたくさんあるけれど、雨はない。緑雨とか紅雨とか、なんとか雨って色の名前が入ったことばならあっても、雨そのものから取ってきた色は探したけれど見つからなかった。オールドブルーも本当はジーンズや車に使われる色でね」


「へえ、意外です。小説とか、雨の描写って結構使いそうな気がするのに」


「そう。水滴を色で表すのが難しいみたいなのよね。涙とかもそう。もともと水が実際のところ透明だからかなとは思うんだけど」


涙。僕は、つい最近泣いた日のことが脳裏をよぎる。……一週間前に死んだ四つ上の兄のこと。


「私はたくさんの色を知っていると言ったけれど、その語彙でも分類できない色を見ることが時々あって、そうなるとすごく不安になってしまうの。不安だから、自分の知っているので一番近い色を適当に当てはめてしまう。昔は無意識にそれをやって満足していたのだけど……気づいてしまうと、申し訳なくなってしまって」


「申し訳ない?」


結びづけがたい一言に僕が聞き返すと、頷きが返ってくる。


「自分が、ひどく傲慢なことをしている気がするの。色の特徴とか意味とかがたくさんわかってくると、鉛色とか暗かったり汚かったりする色ばかり見ている人を避けるようになってしまった。私のまだ知らない、綺麗なものの色かもしれないのに。その人にとっては大切な色なのかもしれないのにね。友だちが時折見ている暗い色からだって目を逸らした。見えていないことばかりなのはわかっているのに、何とも向き合おうとしなくなってしまったの」


彼女は鼻で息をついて「ああ」と言った。


「結局、私も幸福の王子の心臓を醜いって言った人たちのように、他人のことを決めつけているんだなって。自分のわからない色を自分の感覚で当てはめて、それで人のことをわかった気になってる、逃げているんだなって。それが、申し訳なくて情けない」


ゆっくりと彼女の顔が僕の方を向く。だけど、目は合わない。


「本当はあなたも自分の見ている景色を、私に名付けられるべきじゃなかったのよね。私が言い始めたことなんだけど……ごめんね。あなたが名前をつけて、誰かちゃんと話を聞いてくれる人と共有した方がよかったのに」


青い沈黙がもたらされた。笑顔のままだったけれど、見えなくたってわかるくらい彼女の抱えているものは青かったし、そして僕もきっと、雨の色のままだった。青と青が混ざって深い蒼が漂っていた。

電車が大きく弧を描いて右折する。キュキュッキュと車輪にレールが軋む音がした。ガタン、ゴトン。聞き慣れた音でも一度捉えると、しばらく意識が離れなくなるもので。ゴトンガタン。ギギ……

ふと、高校時代にある曲について調べたことを思い出す。あの曲は確か、作曲者が列車の音を聞きながらごく短期間で書いたものだったらしい。


「ラプソディ・イン・ブルー」


思い出した曲名がそのまま口をついて出ていた。きょとんとした彼女の顔を見て初めてそれに気づき、って曲わかりますか、と添える。


「ああ、あれでしょのだめの。ててててれれってってっ……ってやつ」


彼女から最も有名なフレーズが返ってくる。


「そう。高校生の時僕は管弦楽部にいて、演奏したことがあるんです。僕はドラムでした。それで『ラプソディ・イン・ブルー』ってどういう意味かなってそのとき調べたんですよ」


携帯でなんだけどね、と苦笑い混じりに付け加えたところで、彼女からうん、と続きを促すように相槌がある。


「結局「ブルース調の」から来ているんだとか諸説あってどれが本当なのかはよくわからなかったんですけど、その中で一つ気に入った由来があって」


一つ瞬きをする。その一瞬に、答えの色を、中でもできるだけ美しい色を見るように。


「この曲は青い」


いい名前だな、と思ったのだけど、僕が惹かれた理由はそれだけではなかった。その名がガーシュウィン自身が言ったものではなく、


「作曲したガーシュウィンのお兄さんが提案してくれた曲名みたいなんですよね」


彼のお兄さんが弟の曲につけた新しい名前だったからだ。

お兄さんが弟に与えたメッセージを、高校生の僕も受け取ろうと思った。


「青か、って思うようになって、僕はあの曲をより鮮明な風景を思い浮かべながら演奏できるようになったんです。同じ青だけじゃなく、展開ごとに確かに違う色あいが見えました。特に印象に残っているのが終盤の青」


そこまで言って、僕は彼女の目をじっと見つめる。彼女の口から聞いてみたいことがあった。


「ねえ、何の青だと思います?」


彼女に、見てほしい色があった。

僕の眼差しに、彼女は応えてくれていた。僕と同じように、今度は僕の目を見つめていた。


「海」


その瞳で、海の波が揺れた気がして、僕、さっき彼女がしたみたいな満足げな笑みをこぼして頷いた。


「スネアドラムのロールがずっと続くんです。クレッシェンド、デクレッシェンドを繰り返しながら。その上で弦と管がちらちらと光るようなメロディを奏でて。夕暮れに照らされた海のように見えました」


「あなたは、波なのね」


彼女が言う。ほら。あなたはちゃんと人のことを見ているじゃないか。


「名前が与えられたって、きっと感情はそこから芽生え続けますよ」


ガーシュウィンのお兄さんと、自分の兄のことを思う。身体の弱い人だった。だけど賢くて、勉強熱心で。特に数が好きだったらしく、小学校高学年の頃に円周率を百桁暗唱していた。いつか得意げに目の前で数字を延々と羅列してみせた病床の彼に「そんなのになんの意味があるの」を言ってしまったことを今でも恥じている。「おれがつくるんだよ、おれだけの意味を」と彼はちょっと膨れて言った。「なにそれ」「わかんないかなぁ、ぱっと見意味のないものだとしても、おれやお前が『意味がある』と思えばそれには意味ができるんだよ」「ぜんぜんわからない」「ダメだなぁお前。よし、じゃあ今日からお前は数字の2だ。ほら、これでお前と2につながりができただろ?」「はあ? にいちゃんが勝手に決めただけじゃん。ぼく1がいいし」「バカ、1はおれだろ。お前は2……


「むしろ名前は土のようなもので、与えられないでいると支える場所も始まりの場所もわからないまま、種は枯れてしまうと思うんです」


兄は、意味を与え続ける人だった。その眼が見たあらゆるものに意味を見出し、愛し、誰かと分かち合おうとする人だった。


「僕はあなたに鉛色とオールドブルーを教えてもらって、今の自分にあった思いに名前をつけてもらったようで、心がちょっとだけ安らいだ気がしました。そもそも、自分が青ばかり見ていたことにすら気づいていなかったんです。あなたに会って初めて、ああ、僕は自分の心の色を探していたんだとわかったんです。この色を見つけていなかったら、僕は自分のいるところもわからなかった。あなたが、僕のことを見つけてくれて、始めないといけないことを示してくれたんですよ」


見つけてくれた、とはなんて気取った言い方なのだろう。僕はラブロマンスでも演じているつもりなのか。ずっと喋っていて、どこかに気恥ずかしさはあった。それでも今の僕は自分の中のロマンチックを、たとえば兄が死んだことや雨を走る電車のせいにして、彼女に伝えてしまいたかった。


「何もかもを押し付けたり支配したりしてちゃ、相手の勇気を奪うことになるのかもしれないけれど、わからないからって誰からも何も意味を与えられない人も、寂しいですよ」


おそらく彼女も、今日の雨に呑まれた人なのだろう。僕らは同じくらい感傷的だった。僕にある海の色を覗いたときとほぼ変わらない姿勢のまましばらく目を見開いていて、やがて外へと顔を向けて言った。


「今日あなたに話しかけたのは、あなたがとても綺麗な青を見ていたから。明るい色ではなくても、だからしばらく人に言わなかった色の話をしてでもあなたと話をしてみたいと思ったの」


彼女の視線が戻る。


「ねえ、一つお願いしてもいい」


そしてそんなことを尋ねてくる。まだ、波の輝きが残って見えた。


「うん」

僕は頷く。


「今ここで、雨の色に名前をつけない?」


夢想的な提案だった。僕は思わず、いや一応の体裁を保つために聞き返す。


「二人で?」


「そう。自分だけの不安定なものでも、他人に与えられただけの窮屈なものでもない、二人だけの雨の名前」


ああ、今日の僕らは変だ。まだおかしな遊びを続けてしまっている。一年後に思い出したら赤面してしまいそうな。でも、全部今日の青のせいでいいや。


「……うん、いいですね」


その時、


「まもなくう、□□ぃ、□□ぃ……」


車掌のアナウンスが牛のように流れた。彼女がハッとしたような表情をする。


「ああ……ごめんなさい。私次で降りるんだった」


「次ですか」


「うん。故郷を出るところでね。最後に小さい頃に行った海を見ておきたいなってふと思って。あいにくの天気なんだけど」


彼女が肩をすくめる。いつも父の車で行っていたけれど、電車だと最寄り駅はここなのか。


「……もしかして、あなたが演奏するときに思い出していたのもあの海?」


「へへ、はい」


「やっぱり。あなたがさっき見ていた海の色と私の記憶、似ていたもの」


「あそこの美しい色は、海の青だけじゃないんですよね。桜色の混じった貝殻の破片の白砂と、それから」


あ。海のそばの、博物館の記憶が蘇ってくる。その天井に吊るされた大きな化石。今でも悠々と泳いでいるようなその生き物の体躯もまた、青だった。

これだ。


「クジラ色、はどうですか」


自然と、自分が前のめりになっていた。


「クジラ色」


「そう。似てませんか」


彼女は、一度黒目を巡らせて考える様子を見せたが、すぐに「いいわね」と言ってくれた。


「雨雲がクジラになるのね」


そう続ける。なるほど、僕の意図にはなかった発想だった。これが、意味をつくるということか。


「いいですね。それで彼らが吹いた潮が、雨になる」


「ふふっ、雨が楽しくなりそう」


彼女と微笑みあいながら、もう一度、兄を送った日のことを回想する。青白くなってしまった皮膚。火葬の煙。青天を昇っていく。あれは雨雲になるのだ。今、そう決めた。兄は、クジラになったのだ。

電車の速度が落ちてゆく。そろそろ駅に着くのだろう。少し、寂しい気がした。ほんの短い時間だったけれど、彼女と過ごしたこの十数分はとても不思議で、滲んだ輪郭で、しかし死ぬまで記憶に残り続けそうな時間に思えた。恋心、いや友情、否。この感情をどれと呼ぶかもわからなかったけれど、このまま消滅してしまうのは惜しい気がした。せめて連絡先だけでも聞いてみようか。そういえば、名前すらも知らない。改めて彼女を見てみると、荷物のボストンバッグはちょっとした遠出くらいに使う方が向いてそうなもので、てっきり彼女が引越しか何かで「故郷を出る」のだと思っていた僕には小さく見えた。業者に既に大方の物を運んでもらっているだけのかもしれないけれど、なんとなく、ひどく気になってしまう。彼女は、どこへいくのだろうか。


「連絡先でも交換する?」


またも彼女は、色だけじゃわかりそうもない僕の考えを言い当てるように尋ねてきた。だが彼女の口から聞くことで、やっぱりちょっと違うかと思い直す。仮にここでLINEか何かを交換していたとしても、きっと僕らのやりとりは「よろしくね」のスタンプきりで更新されないのだ。

電車が止まった。思っていることは彼女も一緒のようだった。荷物を肩にかけ立ち上がると、僕を見下ろして言った。


「それこそ雨の日の男女の邂逅なんて手垢がつきまくったシチュエーションだもの」


「運命にするのは、恥ずかしいか」


何度目かの、笑顔の交流。笑いたいと思うことも、色も、僕と彼女はよく似ていた。


「でも、あなたと名づけた青の色は、忘れずにいるわ」


僕の隣で最後にそう囁いて、彼女は去っていった。


「僕も、それじゃ」


それきり視線を外せるほどには薄情になれずに、下車した彼女の姿をぼんやりと追う。そこもまだ駅舎すらない無人駅で、申し訳程度といった短い屋根を出るとすぐに傘が開かれる。

紺の生地に散りばめられた桃色の花。


今日の僕の心が見た、唯一の赤だった。

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