第42話 誰?
不安が蒼乃の胸を苛む。ちひろが死んでしまったらどうしよう。そんな考えが蒼乃の頭を支配する。
「ちひろ・・」
心配で胸が張り裂けそうだった。
「・・・」
怖くて怖くて、蒼乃は全身が震えてきた。
「ちひろ・・」
ちひろがいなくなってしまった世界。それを想像するだけで、蒼乃は怖くて怖くて居ても立ってもいられなかった。それでも蒼乃は一人部屋でちひろの帰りを待つしかなかった――。
ちひろが出て行ってしまってから、ものすごく長い時間が経ったような気がした。時刻は深夜0時を回っている。
「はあ・・」
蒼乃はダイニングテーブルで頬杖を突き、ため息をつく。ちひろのことを思うと気が気ではなかった。
その時、玄関の方で何か物音がした。蒼乃は、その瞬間に椅子から飛び上がるように立ち上がっていた。
蒼乃が玄関まで走って行くと、そこにいたのはちひろだった。
「ちひろ」
蒼乃の胸に熱いものがこみ上げる。
「よかった」
蒼乃は全身から力が抜ける。その場に倒れそうになる自分を蒼乃は必死でこらえた。
「大丈夫だった?」
蒼乃は、安堵と不安の入りまじった表情で、すぐにちひろの下にかけ寄るとちひろに声をかけた。目の前にちひろが無事でいるのにまだ蒼乃の心臓は激しく鼓動していた。
「うん」
蒼乃の心配をよそに、ちひろはなんてことないみたいに答える。それでも、蒼乃は心の底からほっとした。
「よかった・・」
蒼乃はもう一度言った。
「!」
その時、蒼乃は、ちひろのそのすぐ後ろに誰かいるのに気づいた。
「誰?」
蒼乃が驚く。それは、蒼乃やちひろと同い年くらいの女の子だった。
「うん・・」
しかし、ちひろはそれには答えず、靴を脱ぐとさっさとダイニングの方に行ってしまった。
「・・・」
玄関先に蒼乃と見知らぬ少女が残される。そして、蒼乃と、その謎の少女の彫りの深い大きな目が合う。
「ど、どうぞ・・」
仕方なく蒼乃は、その子を誰かも分からないまま、家に招き入れた。
ちひろはダイニングテーブルの上に、あのバックを置いた。
「お腹空いた」
そして、それだけを言った。
「う、うん・・」
とりあえずうまく目的のバックは手に入れたらしいことは、ちひろの持ってきたバックを見て蒼乃は分かった。しかし、訊きたいことはたくさんあった。しかし、どこか訊ける雰囲気ではない。ちひろは仕事終わりでどこかピリピリしていた。
「・・・」
蒼乃は、戸惑いながらも、仕方なく食事の用意のために台所に入った。ちひろが心配で蒼乃も夕食を何も食べていなかった。
「・・・」
ちひろ、蒼乃、謎の少女の三人がダイニングテーブルを囲み座っている。そして、三人は蒼乃の作った料理を黙々と食べていた。ちひろは相当お腹が空いていたのか、いつになくがつがつと、以前、ドラマに出てきて蒼乃にリクエストしていたテーブルの真ん中に置かれた鶏の丸焼きにがっつく。
蒼乃はちらりと、少女を見た。年は同い年くらいだろうか。だが、同い年とは思えない何か不思議な色気というか大人っぽさがあった。
「あの・・」
蒼乃が鶏の丸焼きに夢中のちひろを見る。
「何?」
口の周りを油まみれにしたちひろが口をもごもごと動かしたまま蒼乃を見る。
「ていうか、誰?」
蒼乃は堪らず訊いた。
「あたしも知らない」
ちひろはさらっと答える。そして、再び、切り取ったチキンの固まりに食らいつく。
「・・・」
ダイニングに再び沈黙が流れる。三人は再び、黙々と手と口を動かし始める。なぜこの人と一緒にご飯を食べているのだろうと不思議に思いながら、蒼乃は、しかし、そのままご飯を食べ続けた。
「私は愛美(あいみ)」
すると、突然沈黙を破り、少女がおずおずと口を開いた。
「愛美?」
蒼乃が愛美を見る。愛美はうなずく。
「ヤクザの事務所にいたんだ」
今度はちひろが言った。
「えっ」
蒼乃は驚いて愛美を見る。
「捕まっちゃって・・」
照れるように愛美は言う。
「捕まっちゃってって・・」
蒼乃は目をぱちくりさせて愛美を見る。この子は一体・・。ヤクザに捕まるっていったい何をやったのか、というかどういう人間なのか、蒼乃は困惑した。
「お前いくつ?」
ちひろが愛美を見た。
「十六・・」
愛美がおずおずと答える。
「みんな同い年なんだ」
蒼乃が言った。
「あっ、二人共同い年なんだ」
すると、愛美の表情が急に明るくなった。
「二人だけなの?」
愛美が蒼乃を見る。
「うん・・」
「へぇ~」
愛美が二人を探るように見る。そこから愛美は、緊張が解けたのか気さくに話し始めた。
「事務所でちひろに会って、それで、行くとこないから私がなんか勝手についてきちゃったの。邪魔だった?」
そして、愛美が蒼乃の顔を覗き込むように見た。
「えっ、う、ううん」
蒼乃は慌てて首を横に振った。
「そう、よかった。なんだかよく分からないけど、よろしくね」
愛美が手を差し出した。
「う、うん、こちらこそよろしく」
なんだかよく分からない蒼乃も手を差し出した。愛美は悪い子ではなさそうだった。しかし、ヤクザに捕まっていたというところが蒼乃はどうも気になった。
ちひろは、そんな二人の横で我関せずといった感じで一人だけ黙々とチキンを食べ続けている。
「三日ぶりの食事だわ」
愛美が言った。
「三日・・?」
蒼乃は驚く。
「うん、しかもこんなちゃんとした手作りのあったかい食事なんて何年ぶりだろう」
「そうなんだ・・」
どんな生活をしてきた子なんだろう。蒼乃は思った。
「これあなたが作ったの」
愛美がテーブルの上の料理を見てから蒼乃の顔を見た。
「うん」
「すごいね」
「えっ、う、うん、ありがとう」
あまり人から褒められたことのない蒼乃は照れながらも、うれしかった。ちひろもおいしいおいしいと食べてはくれるが、表立って褒めてくれたことはない。
「すごいよ。プロみたい」
「そうかな」
蒼乃は照れる。
その横でちひろは、やはり黙々とチキンをずっと食べ続けている。
「ご飯も食べなきゃだめだよ。ちひろ」
それに蒼乃が気づき、子どもを諭すように言った。ちひろはどうも放っておくと好きなものしか食べず、偏食していく傾向にある。
「うん」
だが、ちひろは気のない返事をするだけで、相変わらずチキンを食べ続ける。
「あっ、ワインとかある?」
その時、愛美が言った。愛美は完全にくつろいでいた。最初の印象とは違い、明るく豪胆な性格らしい。
「ぶどうジュースならあるけど」
蒼乃が答える。
「じゃあ、ぶどうジュースでいいわ」
「うん」
蒼乃は冷蔵庫にぶどうジュースを取りに行った。
戻って来た蒼乃が愛美のグラスにぶどうジュースを注ぐ。
「おいしい」
愛美はその真紫の果汁百パーセントのぶどうジュースを飲むとうれしそうに微笑んだ。
「ありがとう」
そして、その大きな瞳で蒼乃を見る。愛美のその潤んだ瞳の輝きの中には、同い年とは思えないどこか艶めかしい色っぽさがあった。
「う、ううん・・」
蒼乃は、その瞳に見つめられ、同じ女性なのになぜかどぎまぎしてしまった。愛美は妙な色香があり、そして、魅惑的だった・・。
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