第32話 地下駐車場

「どうしたの?」

 蒼乃が駅の方に行こうとすると、ちひろがマンションの入り口で立ち止まっている。

「歩くのやだ」

「えっ、でも、他に行く方法ないよ」

「車で行く」

「車?」

「うん」

 そう言って、車のキーをミニスカートのポケットから取り出し、指先でくるくると回した。

「えっ、車持ってるの」

 蒼乃は驚いてちひろの顔を見る。

「うん」

 ちひろは、うなずいた。

 ちひろは一階ホールの脇にある非常扉のような重厚な扉を開けた。

「こんなとこに扉があったんだ」

 蒼乃はその扉をしげしげと見上げながら言った。蒼乃はこの扉の前を何度も通っていたのだが、まったくその存在に気付かず、この時初めて知った。

 扉を抜けると、ちひろはその扉の向こうに続く薄暗い階段を降り、マンションの地下に降りていく。

「地下なんてあったんだ」

 蒼乃はさらに驚く。蒼乃は暗く冷たい石造りの階段の壁を見まわす。そこはおとぎ話に出てくる何か古い中世のお城に出てきそうな地下階段だった。

 地下階段は不気味に薄暗くひんやりとしていた。ちひろは淡々とその階段を下りていく。それに蒼乃も後ろから付いてゆく。一回、二回、三回、四回と階段の踊り場を折り返すと、突然広い空間が開けた。

「わぁ」

 蒼乃が声を出す。薄暗い広い地下空間の中に、車がきれいに並んで止まっていた。

 その中をちひろはさらにたんたんと歩いていく。そして、駐車場の中ほどに止まっていた一台の巨大なオープンカーの前で足を止めた。

「これ?」

 蒼乃が驚いて訊いた。

「うん」

 ちひろの目の前に止まっていたのは、巨大な重厚感漂う古いアメ車のインパラだった。

「これ?」

 蒼乃はあまりのデカさに、もう一度訊いてしまった。

「うん」

 ちひろはうなずく。

「これどうしたの」

「買った」

「・・・」

 蒼乃には訳が分からなかった。明らかにこの目の前に止まっている車は、日本の一般道路の規格からは、大きくはみ出たデカさだった。

「どうして、こんな巨大な・・」

 色々訊きたいことはあったのだが、蒼乃はとにかくこのデカさに度肝を抜かれてしまっていた。

「お店に行って、サンダーバード二号が欲しいって言ったらこれ出された」

「さ、サンダーバード?」

「うん」

「・・・」

 蒼乃には、まったく話の意味が分からなかった。

「それでこれ買ったの?」

「うん」

 答えながら、ちひろはもう左側の運転席の、ドアを開けている。蒼乃も訳の分からないまま、それに倣い反対側に回ると、助手席のドアを開けた。扉は鉛の鉄板のような厚みと重厚感があった。蒼乃が乗り込むと、そこは前も後ろもベンチシートになっていて、小さい二人は足を延ばしてそのまま寝れそうな広さだった。

「・・・」

 蒼乃は隣りのちひろを見る。ただでさえバカでかい車に対し、小さなちひろは、まるで子供が運転席に座っているみたいだった。

 ブヲォ~ン

 ちひろがエンジンをかけると、大地が割れんばかりの地鳴りのようなエンジン音が、地下いっぱいに響き渡った。

 そして、ちひろはインパラをアクセル全開で急発進させた。

「わっ」

 蒼乃は驚き、声を上げる。

 ちひろは狭い駐車場の通路を、そのままアクセル全開のものすごいスピードで突っ走る。ちひろの運転する巨大なインパラは、ぶっ飛ばしながら狭い通路と角を器用にすり抜けていく。

「きゃぁー」

 しかし、あまりにギリギリなので、怖くて蒼乃は思わず叫んでしまう。しかし、運転席のちひろは、左腕をドアに乗せながらすましたように運転している。

 そして、そのまま猛スピードで何回か狭い角を曲がると、直線の先に、道路に出る出口が見えて来た。

「えっ?ちょ、ちょっとちひろ?」

 蒼乃はちひろを見ながら、声を出す。出口の横幅はどう見ても車体の幅ギリギリしかなかった。だが、そこにそのままスピードを落とさず、アクセル全開でちひろは突っ込んで行く。

「きゃー」 

 蒼乃は絶叫して目をつぶった。出口の幅は本当にインパラとほぼ同じくらいしかなかった。

「えっ?」

 しかし、巨大なインパラは、それを左右ミリ単位の隙間だけを空け、まったく擦ることもなくきれいにスピードを落とさず突っ切った。

「・・・」

 蒼乃は目を開けて、右横のボディを確認した。確かに車体はまったく擦ることも、触れることもなく通過していた。

「・・・」

 蒼乃は驚愕する。やはり、ちひろは何か特殊な才能があるのだろう。全く傷一つ付けず、あの狭い空間を、このバカでかい車で、しかもアクセル全開でスピードを落とさず突っ切ってしまった。

「・・・」

 蒼乃は、恐怖と驚愕とで、助手席で、ただ言葉もなく茫然とした。

「ふ、ふふ~ん、ふ~ん」

 だが、その横ではちひろが、風船ガムを膨らませながら、暴れん坊将軍のテーマを鼻歌で歌っていた。

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