第17話 買い物

「・・・」

 朝からちひろはミーコ―をお腹に乗せ、テレビを見ている。やはり子供向けのアニメ番組だ。

「案外暇なんだな。殺し屋って・・」

 あまりに怠惰でのんびりしているちひろの姿に、蒼乃は少し拍子抜けしてしまった。

「朝ごはんどうするの」

 蒼乃はちひろに訊いた。といってもすでに十時を回っている。

「朝ごはん?」

 ちひろは蒼乃の方に首を向け、首を傾げている。

「朝ごはんちゃんと食べないとダメなんだよ」

 自分が最近はあまり食べていないことはつゆ忘れ、そんなことを言う蒼乃だった。

「サラダでいい?」

「うん」

 昨日の残りの食材で、蒼乃はサラダを作り始めた。

「ふふふっ」

 料理をしていると、なんだか蒼乃は、ちひろの母親になったような気がして、少し笑ってしまった。

「また、買い物行かなきゃ」

 昨日、近くの商店街で買ってきた食材も、もう殆ど残っていなかった。

「それに・・」

 蒼乃は何もないキッチンを見渡した。基本的な生活に必要な道具が全くない。

「でも、お金・・」

 蒼乃の持ち金は、昨日の買い物で殆ど使ってしまっていた。

「お金ならあるよ」

「わっ」

 いつの間にか、蒼乃の背後に来ていたちひろが、蒼乃の肩越しに首を伸ばす。

「・・・」

 蒼乃は近づいてくるちひろの気配すら感じなかった。蒼乃は振り向き、ちひろの顔をまじまじと見つめた。ちひろのそのまん丸い顔から、子供みたいに好奇心に満ちたブルーの瞳が驚く蒼乃を見つめている。

「・・・」

 やっぱり殺し屋なんだなと、この時蒼乃は思った。

「お金ならあるよ」

 ちひろはもう一度言った。

「えっ」

「そこ」

 指差された方を蒼乃が見ると、竹で出来た籠が天井から吊るされている。その中をよく見ると、無造作に一万円札が溢れていた。

「!」

 蒼乃は近くに行ってそれを覗き込む。蒼乃はひどく驚いた。そこには今まで目の前で見たこともないたくさんの一万円札が、乱雑に突っ込まれていた。

「足りない?」

「ううん、足りる・・、というか足りるどころじゃない・・」

 一体いくらあるのだろうか。多分二百万くらいはあるだろう。蒼乃は改めて溢れるお札を見た。

 二人分のサラダを作ると、蒼乃はちひろとリビングのピンクのソファに二人並んで座り、それを食べた。蒼乃はサラダをつつきながら不思議と食欲がある自分に驚いていた。いつもは特に午前中は全く食欲はなかった。食べなければという義務感で、かじる程度が精いっぱいだった。

「・・・」

 蒼乃は、フォークの先に刺さったトマトを見つめた。

「!」

 ふと隣りを見ると、あっという間にサラダを完食したちひろが、空になったお皿を蒼乃に突き出している。

「あ、もう材料ないんだ。また買ってくるから、もうすぐお昼だし、それまで待って」

「お昼?」

 ちひろはまた首を傾げる。どうやら朝ごはんとか昼ごはんとかという概念がないらしい。ちひろは食べたい時に食べて、飲みたい時に飲むといった生活を繰り返していたらしい。

「買い物行くけど、何か買って来る物ある?」

 サラダを食べ終わった蒼乃が立ち上がった。

「コーラ」

「えっ、もう、飲んじゃったの」

「うん」

 蒼乃は驚いてキッチンまで行くと、冷蔵庫を開ける。

「・・・」

 中は空っぽだった。昨日は冷蔵庫には、埋め尽くされる程、コーラのビンが並んでいたのに・・、蒼乃は呆れた。

 蒼乃は竹製の籠の中から、一枚だけ一万円札を抜くと、買い物に出かけた。

 ちひろのマンションを出ると、すぐ近くに商店街があった。昨日サラダ用の野菜や調味料を買ったのもこの商店街だった。昔ながらの古い商店街で、商品を所狭しと狭い店内に並べた小さな店が数多く立ち並び、その店先で、だみ声の響く一癖も二癖もあるような店主たちが眼光鋭く蠢いていた。

「・・・」

 蒼乃は緊張した。ここはやはり昼間でも女の子が一人で歩くのは危険と言われている地域。昨日買い物に出た時は夢中で、あまり恐怖は感じていなかったが、改めて歩くとやはり蒼乃は怖いなと感じた。

 蒼乃は商店街を緊張した面持ちで歩き、昨日野菜を買った八百屋に向かった。商店街の中ほどにある八百屋に辿り着き店内を覗くと、昨日はやさしそうなおばさんだったのが、今日はなんだか強面のおじさんがぬらりと立っている。

「あの・・」

 声をかけると、その強面のおじさんがその重厚な一重の瞼の下の鋭い目で、眼光鋭くギラリと蒼乃を睨んだ。

「うっ」

 それだけで蒼乃は怯んだ。しかし、野菜を買わないわけにはいかない。

「あのすみません・・、レタスと・・」

 蒼乃が欲しい野菜を言っていくと、それを返事もせずおじさんはビニールの袋に入れていく。まったく愛想もクソもない。しかし、とりあえず、袋には入れてくれる。

「千三百八十円ね」

 蒼乃が全ての野菜を言い終えると、やはり、愛想もくそもなく投げやるようにおじさんは言った。

「あ、はい」

 蒼乃は慌てて一万円札を出す。おじさんは一万円札に、一瞬ものすごい嫌そうな顔をしたが、それでも、エプロンのポケットからくしゃくしゃの千円札を取り出し、八枚数えるとそれを蒼乃に渡し、そして、天井から吊り下げられた竹かごから小銭を取って渡した。

 蒼乃はおつりを受け取ると、頭を下げ、急いで店に背を向けた。

「お嬢ちゃん」

 するとその背中に鋭い声が響いた。蒼乃は恐怖でビクッとなった。

「はい」

 蒼乃は何事かとおっかなびっくり振り返る。

「お嬢ちゃんこれおまけ」

 おじさんはミニトマトを、蒼乃が下げている野菜の入った買い物袋に入れてくれた。おじさんはミニトマトをおまけしてくれた。

「あ、ありがとうございます」

 おじさんは顔は怖いが案外いい人だった。

 蒼乃はそれですっかり緊張が和らぎ、次々とお店に寄り、必要なものを買って行った。

「・・・」 

 帰り道、蒼乃は怖いと言われていたこの町の印象が変わっていくのを感じていた。

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