十五年前
※流血注意。首が飛びます。
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「陛下! どうかお考えください!」
「うるさいぞ、貴様ら! 何のために我らは二国に分かれたというのだ。この五百年の間に流れた我らが同胞の死を無駄にするのか!」
十五年前のバルミア公国。
その王城の廊下では毎日のように言い争う声が響き渡っていた。
それはこのバルミアを収める公王と臣下たちが繰り広げていたもの。
戦争続行を望む王と、戦争終結を望む臣下たちのやり取りだった。
「これ以上戦をしてどうなるというのです! それよりも王国と併合し、平和的に戦を終わらせるべきかと。元は一つの大国であったのです。今こそ元の形に戻るべきなのです!」
「そうです! 今はちょうど王国にはロアード殿下がいます。同い年のエルゼリーナ王女様と婚姻を結ばせ、これを長年の争いに終止符を打せる象徴とすることで――」
「そのようなことをまだ言っておったか! 聖地デンダインと宝剣を不法に所有する悪しき賊の一族に娘を嫁がせるなど到底できないと言っておるだろうが!」
終戦を望む一派の言葉を聞き入れず、王は廊下を進んでいく。
「……陛下。そのような考えを持つのは貴方だけです。我々はもう戦いたくないのです」
実際に戦に出て戦うのは王ではなく、国民の兵士たちだ。
五百年と続く戦争は人々の心や体を疲弊させていった。
先祖の意志を受け継いで戦えるほどの余裕はもうないのだ。
あるのはただ、平和を望む声だけだ。
その意志を受け継いでいるのは公王、ただ一人のみ。
「……今更、あの国の者たちと一緒になるだと? そんなことできるわけもないだろう。今まで我々はいがみ合って争ってきたのだ。それを忘れたとは言うまい! 例え併合したとしても、長年争いあった歴史が消えるわけではない。そのうち崩壊し、今よりもひどい泥沼の戦が待っているだけだぞ。……我々はどちらか片方が消えぬ限り、互いに憎しみ合うことしかできないのだ」
併合などと聞こえのいいことを言うが、結局消えるのはバルミア公国のほうだろう。
グラングレス王国は名前も、聖地も、そして宝剣も。継承国を名乗るに相応しい全てを持っている。
継承争いの末に誕生したのがこのバルミア公国である。
ここで併合する道を選んでしまえば、バルミアの王族の一族は、五百年前の継承争いの負けを認めたことになるのだ。
それだけは公王として認めるわけにはいかなかった。
「――そうだろうな。お前たちのどちらかが消えぬ限り、この戦は終わることはない」
「誰だ!」
怒鳴り合いながら王の間に入った公王たち。
その公王の言葉に同意を示したのは、周囲にいた臣下たちの声ではない。
「陛下、あちらです!」
玉座に不敬にも座る青年がいた。
……いやあれは本当に人だろうか?
そう思えるほどに美しい色彩を持つ水色の長髪に、月の光を持つ瞳を持つ青年は、人智を超えた存在のように見えた。
「ひっ……!」
「なっ、兵士が死んでる……!?」
そして異様なことに、玉座の前は血溜まりであった。
よく見ればここを警備していた兵士たちが亡骸となって倒れていた。
玉座に座る青年に返り血もない。
ただ、綺麗な顔に笑みを乗せて、やってきた公王たちを見下ろしていた。
「お前の言う通りにしてやったぞ、バルミアの王よ」
「なんの……ことだ?」
「お前は三日前、私に願っただろう? 『この声が聞こえたならば、私の願いを聞き届けてくれ。どうかその竜の力を持って、我が国に勝利をもたらしてくれ』と……だから私はお前の願い通りに、グラングレスを滅ぼしてやったというのに」
「は……」
確かに王は密かに願いを口に出していた。
公王は得体の知れない青年を見つめる。
もしもそれが本当ならば、目の前にいるのはただの青年ではないが……。
「……もしや、バルムート様?」
その名を聞いて玉座に居座る青年は何がおかしいのか、腹を抱えて笑い始めた。
「ははは! バルムート? ああ、そうだったか!」
「な、何がおかしいので……」
「お前、先の願いはバルムートに当てたものだったか?」
「ええ、そうですが……」
「そうか。竜の力を欲していたゆえ、てっきり私に向けられたものかと思ったが……違ったようだな」
この青年は一体何者か。
竜たるバルムートに向けて願われた王の言葉を、なぜこの青年が知っているのか。
そして先程、グラングレスを滅ぼしたという言葉も引っかかる。
彼はバルムートではない。
しかし、同等の力を持つ得体の知れない何か。
そこまで考えた王は行き着いた答えに、どんどんと顔を青ざめていく。
「た、大変です! グラングレスの首都デンダインで大規模な雨雲が発生。その雨に打たれた人間はすぐに死に絶えるほどのものであり、昨晩の間にデンダインは壊滅した可能性があると報告が……!?」
血の匂いと静けさに包まれていた王の間に、飛んできた伝令の声が響く。
それは否定したかった答えが真実のものであると裏付けるに相応しい報告だった。
王は改めて、玉座に座る青年を見据えた。
「貴様……邪竜レヴァリスだな?」
「気付くのが遅いな、バルミアの王よ」
笑いを堪えるように答えながら、青年の形をした邪竜レヴァリスが肘掛けに頬杖をついた。
「グラングレスを……デンダインを壊滅させたのか……?」
「人の子くらいならば貫通して殺せる威力の雨を降らせておいた。少し威力を強めすぎて土地そのものも崩壊させてしまったがな。いやぁ、私に向けられた願いだと思って私なりに頑張ったのだが……そうか、バルムートに向けられた願いだったか」
公王は下を向いて、体をわなわなと震えさせた。
最悪の勘違いをしてくれたものだ。
バルムートに向けられた願いを、レヴァリスが勘違いで叶えたのだ。
それも、公王が望まない形で。
「貴様……この責任をどう取るつもりだ……!」
「責任? なぜ私がそれを取らなければならない。むしろバルムートに代わってお前の願いを叶えてやったのだ、礼をするのがお前の義務だと思うが?」
何の悪びれもなく玉座に深々と座りながら、レヴァリスは公王を見下す。
「ふざけるな。デンダインを壊滅させた? あそこは我が国にとっても聖地だ! あの場所を取り戻すべく我々は争っていたというのに……!!」
「バルムートの奴が気に入って少し居ただけの場所だろう? あそこはそんなに重要な場所か?」
「我々にとっては重要だ!!」
先程臣下と言い争っていた時のそれよりも大きな声を出して、公王は大股で玉座に向けて歩いていく。
「そもそも勝手に勘違いして叶えたのは貴様だろう! よくも勝手なことをしてくれたな!」
「まぁ、そうだな。だが、たかが首都一つと百万人が亡くなっただけではないか。そもそも、お前たちがこの五百年で出した戦死者の数よりは少ない」
「……何?」
「まさか、知らなかったのか?」
ゆらりと玉座から立ち上がり、レヴァリスからも公王の元へ近づく。
壇上の階段を一つ降りるごとに、コツコツとした靴の音がなる。
「お前たちのくだらない争いのせいで、今まで犠牲になった者がそれだけいることをお前は知らないと言うか」
そしてぴしゃりと音がなった。
レヴァリスの足が壇上の下に広がっていた血溜まりを跳ね飛ばしたのだ。
「お前たちの足元にはこの血溜まり以上の血が流れているというのに」
「建国当初からの理念に従ったまでのことだ! その犠牲を無駄にしないためにも私たちは戦い、この戦争に意味ある決着を付けるつもりだったのだ……! それを貴様は――」
――びしゃり。
口を捲し立てていた公王から血が吹き出し、近くに居たレヴァリスの顔にかかった。
「な……ガハッ……!」
「おやおや」
何が起こったのか分からないという表情で、公王が崩れ落ちていく。
公王の胸には剣が突き刺さっていた。
後ろから刺さっていた剣はすぐに抜かれていく。
「――親だからと情けなど掛けずに、さっさと貴方を殺しておくべきでしたね」
「エル、ゼ……なぜ……」
「お父様が愚かだからよ」
血だらけの剣を手にした、十歳頃の黒髪の少女――エルゼリーナが倒れた父に向かって無慈悲にその言葉を落とした。
「お前にとっては邪魔な父であったか?」
「ええ。平和を乱してくれた、厄介な愚王だった。今回のことも……願いを言う前に口を塞ぐべきだったわね。今更願ったところで、バルムート様が叶えてくださることはなかったのに。……その代わりに貴方様が出てきたり、グラングレスも滅ぶこともなかったでしょうに」
エルゼリーナはベッタリとついた血を払うように剣を振る。
「貴方達は逃げなさい。もっとも竜を前に逃げられるかもわからないけれど」
エルゼリーナの声に、今まで混乱し事態を飲み込めずに震え上がっていた臣下たちが逃げ出していく。
その内の何人かは姫を置いてはいけないとして残っていた。
「水を司りし元始の竜よ。我が父のご無礼をお許しください。もしも望むものがありましたら、貴方様のお好きなように。勘違いとは言え、貴方様は我が父の願いを叶えてくださったのですから、その御礼を致します。我々はどのような要求でも受け入れましょう。ですが、多少は慈悲を頂けるとありがたく存じます」
エルゼリーナは畏まって頭を垂れた。
ドレスの裾が花のように広がり、端から血に濡れていく。
まだ幼い少女の姫だ。
そんな彼女が水竜に叶うわけがない。
どんな抵抗をしても無駄だというように、エルゼリーナは返事を静かに待っていた。
「ふむ……改めて言われると悩むものだな。お前は何でも良いと言うが、本当になんでも差し出すつもりか?」
頭を垂れたままのエルゼリーナを見ながら、悩むように腕を組んだ。
「次なるバルミアの王はお前がなるか。ならば私を討伐するよう命令しておけ」
それだけ言うとレヴァリスは去るように歩き始めた。
「お、お待ち下さい!」
「どうした?」
「失礼ながら、なぜそのようなことを望むのです……?」
エルゼリーナには理解が追いついていなかった。
何せあの邪竜だ、もっと別のことを、例えば生贄を要求されるだとか、理不尽なお礼を言い渡されるものだと思っていたからだ。
「簡単な話だ、私の暇潰しになる」
レヴァリスは物言わぬ死体となった王の元にしゃがみ込んだ。
「人間というのは弱い。ちょっとしたことですぐに死ぬ。退屈をする間もなく、生きるだけで精一杯だ」
目を見開いて死んでいた王のまぶたを閉じてやる。
そうしただけで安らいで眠っているように見えた。
「対して竜というのは死なない。厳密に言えば死ぬこともあるが、基本的には死なないのだよ。何もしなくても死なない。では、何か成そうと思うほど生きる目標があるかと言われると、私にはない。生きるというのは死があるからこそ、目標が出来て必死になるものだ。お前だって今、私に殺されぬように必死に生きているだろう?」
レヴァリスは震えを隠しながらも、こちらを見る幼き姫を見つめ返した。
レヴァリスに対して抵抗は諦めている。しかし、生きることは諦めていない者の強い光が彼女の瞳の奥に見えていた。
「故に、私は退屈なのだ。自身の生死に危険が生じれるほどのものがあれば、退屈ではなくなるだろう?」
「だから、討伐令を出せと?」
「うむ。たまにいるのだよ。人の中には驚くほどの力を持った存在が生まれることがある。そういった存在が私に挑んでくれたなら、私はこの上なく嬉しい」
言わば遊び相手、簡単に壊れない程度のおもちゃが欲しいのだ。
人が退屈を感じると、本を読んだり、ゲームをしたり、遊んだりして退屈を紛らわすのと同じこと。
ただ悠久の時を生きる水竜では、普通の暇潰しではすぐに飽きてしまう。
それほどにやり尽くしたのだ。
目新しさのない暇潰しほど退屈なものなどないだろう。
魅力的で刺激的な、退屈を吹き飛ばすようなものが欲しかった。
「……しかし、貴方様を倒すほどの者が現れるでしょうか。今まで近い存在が現れても、貴方様は全て倒してきたのでしょう?」
「あぁ、残念ながらそうだ。結局人は竜には勝てないだろう。それが世界の掟だ。竜を倒せるのは同じ竜くらいだろうか」
ぴしゃり、ぴしゃりとレヴァリスが歩く度に血溜まりが跳ねる音がする。
公国が戦争に払ってきた犠牲者も数多くいたが、レヴァリスが今までに出してきた犠牲者のほうが多いだろう。この国が血の海に沈むほどに。
その中には彼に挑んで殺された者たちもいるだろう。
「……あぁ、そういうことですね」
震える声でエルゼリーナが呟いた。
討伐令と言っているが、結局それは生贄と寄越せと言っていることと同じなのだ。
国一つが声を上げて邪竜を目の敵にすれば、それに釣られて多くの者達が動く。
その結果、今までより多くの勇敢な者たちが彼を討伐せんと挑むことになるのだ。
勇敢な彼らこそ、レヴァリスの暇潰しとなるおもちゃだ。
今回のことも彼にとっての暇潰しの一環だった。
レヴァリスが人の願いを叶えるのはただの退屈を紛らわすための行動に過ぎない。
「そういうことだ。お前としても別に困りはしないだろう? 私の被害者だという顔をして命令を出せばいい。ついでに父も私に殺されたことにでもしておけば面倒もなくなるだろうな」
「……貴方様はそれで良いのですか」
「邪竜とさんざんと呼ばれておるからな、一つ罪状が増えたところで問題ない。そもそも私というのはそうやって産まれたものであるからな」
「そうやって産まれた……?」
「お前は気に入った。だから一つ、教えてやろう」
怪訝な表情を見せるエルゼリーナに、レヴァリスは近づくと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
そして大人が子供に物事を教えるように、エルゼリーナだけに聞こえるように話し始めた。
「知っているか? かつてこの世には魔法などなかったのだ。恐ろしい魔物も、そしてドラゴンも。いたのは普通の動物と人の子らだけだったことを」
そんな話、聞いたこともない。
魔法もなければ魔物もいないなら、それはまるで別の世界の話だ。
そう思えるほどにエルゼリーナにとっては荒唐無稽な話に聞こえた。
しかしレヴァリスが嘘を言っているようには見えない。
確かに人を欺くために嘘を付くこともあるが、今のレヴァリスからはそんな気配もなく見えた。
「だが人の子というのは創造力が豊かな生き物だった。世界の仕組みを解き明かそうとして、逆に作り上げてしまったのだ。風が吹くのは風の元素があるから。水が湧き出るのはそこに水の元素が溜まっているから。そんな人の子らの空想を……この世界は受け入れた」
最初は数人が信じ、やがて大勢がその世界の仕組みを信じ込んだ。
世界そのものに意思はないだろう。
しかし、この世界で暮らす生き物たちの全てが同じことを思ったなら、世界の総意であると言える。
集団的無意識が統一されたなら、それは世界の事実となる。
「魔法以外の存在もそうやって生み出されたのだよ。例えば、大地震や火山噴火、そして台風に、豪雨や津波。自然の脅威を人の子は恐れた。……やがて彼らはその自然の脅威に名を付けた」
世界を巡る元素の存在。
万物の根源にして、世界のあらゆる物質にはその元素があるとされた。
その元素は大まかに四つに分類される。
火・土・風・水――それら四大元素を司るものがこの世には存在していた。
いや、存在しているものだと人々は考えた。
偉大なる存在にして、恐ろしき自然そのものを。
「それは元素の循環を担い、世界の均衡を保つ存在。その神の如き存在を人の子は元始の竜と名付けたのだ」
無象の自然だったそれらに名前が付いた。
人々は口々にその名を呼んだ。
数多の人に名を呼ばれたことで、その存在は力を得た。
彼らが恐れた通りの力を。
彼らが作り上げた世界の在り方の通りに。
「そんな……それではまるで……」
それではまるで、全て人が作り出したということになってしまう。
魔法や元素。魔物や精霊。世界のありとあらゆる仕組み。
そして――この目の前の恐ろしい存在すらも。
「人の子よ、お前は私を恐れているだろう?」
ただの雨だった。
ただの川だった。
ただの波だった。
ただの水だった。
平時であれば何の脅威もない存在だが、時にそれらは人々を恐怖の底に落とし数多の命を奪っていった。
「――その恐れが私を産んだのだよ」
それらを司る存在の名を誰かが付け、人々の中に共有され定着し、多くの人々に名を呼ばれた。
名があるからこそ、世界に存在を認められる。
「
少女の体がすくみあがって、凍ったように固まる。
名を呼ばれただけで、自分の魂そのものを鷲掴みにされたかのように感じた。
「このことは秘密だ。ここで私と交わした話は全て、口外するな。さもなければ分かっているな?」
視界の端で残っていた臣下たちの首が飛んだ。
吹き出た血がさらに地面の血溜まりを広げて、エルゼリーナの足元まで届いてくる。
「お前はこれから父を私に殺された女王として、私に復讐を誓いながら生きるといい」
エルゼリーナという名に刷り込まれるように、その言葉が響く。
名が体を表す。
ならば、名前そのものに意味を含ませてしまえば、名前を持つ本人に影響を与える。
レヴァリスは“エルゼリーナ”という名を持つ存在の、これからの在り方を決めて、呪いのようにかけていく。
「……はい」
――私もまた彼のおもちゃだ。
エルゼリーナは血溜まりの中で理解した。
幼き姫がこれからどうやってこの国を治めていくのかを、観客のように楽しむつもりなのだ。
だから命を賭けてまで残った臣下たちを殺したのだろう。味方を減らされた。
そして彼女はこれから彼を満足させるための
その事実を知るのはエルゼリーナだけで、口外することは禁じられた。
なんの苦労もない平凡な話は当人は幸せだろうが、観客は面白くない。
苦しみながら生きる者の非日常な話は当人は地獄だろうが、観客は面白がる。
「せいぜい楽しませてくれ。私がこの役目に飽きて死を望む、それまでは」
レヴァリスという名のそれが、微笑んだ。
優しくて、残酷な笑みだった。
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