待ち惚け

@ken_kuma_gen

第1話


僕は高鳴る胸を抑えて、

まるで考え事をしている人かの様に、

人込みに目を向けていた。


街には色々な人がいる。


何人か連れ立って楽しそうに歩いている女の子達。

喜怒哀楽を全く感じさせない表情で携帯電話を操作している若い男。

幸せそうな、疲れたような、色んな要素を感じさせる家族連れ。


そんな多種多様な目的を持つ人々に紛れ、僕は人を待っていた。

既に約束した時間をいくらか過ぎている。

控えめに言って30分。

正確に言って39分。


初めから結果の見えている勝負だった。

そもそも勝負にもなっていなかったのかもしれない。


でも僕にはそれを認めて諦められる柔軟さも、

それを勝負なんだと言い切れる強さも持っていなかった。


ただ少ない可能性、例えば日本がW杯で優勝するのを信じるくらいの、

夢を抱くのにも似た心構えでこの場所に来た。

それに僕には、ここに来ること以外の選択肢が思い浮かばなかった。


一時間が経過した頃、

来る予定のあの人を見つけ出さなくてはならない僕の両目は、

その使命を放棄し、刻々と移り変わる人込みを眺めていた。


相変わらず色々な人がいる。


缶コーヒーを片手に一休みしているサラリーマン風の男。

誰かからの連絡を待っているのか、何回も携帯電話を開く女の子。

そして約束をすっぽかされたにも関わらず、その場所を動けずにいる男も。



既に一時間半が過ぎただろうか。

周りの人の顔ぶれは僕がここに来た時から一新されたように見える。

そのことに気付くと、さすがに今の自分自身を滑稽に感じたのか、

僕は声を出さずに笑っていた。


「おれは一体何をしているんだろう?」


そう思うと胸の左側からむず痒さが込み上げてきて、

顔のゆるみを正すことができなくなってしまっていた。


そのゆるんだ顔を噛み殺すように俯くと、

どこからか鋭い視線を向けられた気がした。


顔を上げると一人の女の子がこっちを睨んでいた。

目が合うとその子は、不機嫌さを全力で伝えようとするかのように僕を一瞥し、

「もうあなたに興味なんてないのよ」と言うような素振りで

すぐに視線を携帯電話に落とした。


まさに、あっけに取られた。

辞書で「間抜け」と引いたら、その時の僕の顔が出てくるに違いない。

それくらいその時の僕は間の抜けた表情をしていたと思う。


「なんで僕が怒られなくてはならないんだ?」

「なんで見ず知らずの人に不満をぶつけられなくてはならないんだ?」


そんな思いを押し殺し、無理矢理我に返って自分の落ち度を探してみる。

煙草はその時吸ってなかった。飲み物も持っていない。

もちろん音楽を大音量で聴いているわけでもなく、

家を出る前にシャワーを浴びているので体臭も問題ないはずだ。

2メートル先の他人に迷惑をかける要素は何も思いつかなかった。


それならなぜ僕は睨まれなくてはならなかったのだろう?


そう考え始めると、段々腹が立ってきた。

約束をすっぽかされ、もう一時間半以上も同じ場所に座っている僕は、

同情されこそすれ怒られる筋合いはない。

どちらかというと僕の方が怒っても許される立場なんじゃないだろうか。


そこで気がついた。

僕は今日約束をすっぽかされたことを結構気にしている。


そう思うとまた自分のことが笑えてきた。

誰に対して気にしていないフリを、傷付いていないフリをしているんだと。


するとまた、さっきの女の子が僕に視線をぶつけてきた。

今度は威嚇するように数秒間も、だ。


基本的に女の子には優しいとされている僕でも、

これには小さくない困惑を覚えた。。

理由もなく敵意を向けてくる女の子に

僕はどんな優しい言葉をかけてやればいいのだろう。


「そんなに目を吊り上げるとかわいい顔が台無しですよ。」

「そんなに見つめられると恥ずかしいんですけど。」


事態を悪化させそうな言葉しか浮かばない。


それでもその子が視線を外さないので、僕はしょうがなく声をかけた。


「何?」


僕の意図したところではないが、ちょっとトゲがあっただろうか。

その子は何も言わない。

まったくわけがわからない。聞こえてないのか?


「あのさ、おれ、何か気に触るようなことした?」

今度はボリュームをあげて言った。相変わらず何の反応も示さない。


ひょっとしておれは見えてはいけないものが見えてるのだろうか。

自縛霊?妖精?

そう言えば彼女は、小さくて、色が白くて、羽さえあれば妖精に見えるかもしれない。

そんなくだらないことを考えていると、ボソッと、彼女の声が聞こえた。


「なんでもありませんから。」


その声は見た目とは異なり少し低く、彼女に良いギャップを与えていた。

しかし僕の感想とは裏腹に、その言い方には二人の間に太い線を引くような、

これ以上踏み込んでくるなという響きがあった。

どうやら僕の何かが彼女の気分を害したのに間違いはなさそうだ。


普段は滅多なことがない限り、主体的に他人に話しかけない僕ではあるが、

この時は一言目を既にクリアしているからか、それとも誰かと話したかったのか、

気付くと次の言葉が出ていた。突き放されたにも関わらず。


「やっぱおれ、なんかしたっぽいね?」

「…。」


(ふー。)


「失礼なことしてたら謝りたいんだけどさ?」

「…。」


取り付く島もない。

しょうがなく僕は煙草に火をつけて、人ごみではなく空に目をやった。

また誰かに睨まれるのは御免だ。

そんな僕を冷たく突き放すわけでもなく、暖かく包み込んでくれるわけでもなく、

空はただ、ただそこにあった。


その空に向かって煙を吐き出してみる。少し気分が晴れた。


「どっちにしろなんか気分悪くさせたみたいだね。ごめんね。」


最後にそう言って、僕は自縛霊になる前にその場を離れようとした。

するとまたボソッと、あの少し低い声が聞こえた。


「ここで何してたんですか?」


「…。」

「…。」

「おれ?」


「…。」

「…。」

「はい。」

どうやら僕に向けた言葉のようだ。


「何してたって…、んー、結局は人間観察かなぁ。」

「結局『は』?」

「うん、そう、結局『は』ね。」

「一時間も?」

「いやもっとかな。…、ん?」

「はい?あ…。」


彼女は牛乳をこぼしてしまった幼稚園児のような表情を浮かべ、途端に目を泳がせた。



「ひょっとしたら」と、僕は一つの推測を立てた。


「何時くらいからここにいるの?」


彼女の答えは、予想通り僕がここに来た時間とほとんど変わりなかった。


「ひょっとして待ち合わせ?」

「…。」


その沈黙という回答が、僕の立てた短絡的な推測を見事に肯定してくれた。


きっと彼女も僕と同じように約束をすっぽかされたのだ。


その相手が彼氏なのか友達なのかはわからないが、

そのどこにぶつけていいのかわからない苛立ちや、

ある種諦めのような雰囲気をまとっている彼女を見ると、

誰かさんと同じように大切な人を待っているような気がする。



僕はこの偶然の一致がおかしくてつい笑ってしまった、今度は軽く声に出して。

そしてチラリと彼女を見てみると、やっぱり彼女は僕を睨みつけていた。

それでもさっきよりトゲがないように感じる。

僕はニヤついたまま立ち上がって煙草の火を消し、横断歩道の先にあるcafeを見た。


「すぐお茶でも買ってくるからさ、もうちょっとここで待ってみない?」


彼女はの心は、しばらく猜疑心と好奇心の間を行ったり来たりしているようだった。

そして最終的に好奇心の方にとどまったらしく、

あの少し低めの声で、「いいですけど…。」と、小さく言った。



その小さく、そして少しだけ低い声が、僕の中に素敵な予感を運んできた。



「ん、それじゃあゆっくり誤解を解かしてもらうわ。

あ、君が自縛霊になる前にはちゃんと戻るから安心していいよ。」


彼女は辞書にある間抜けを見るように僕を見ている。

僕はそれを尻目に「後で全部わかるから。」と、笑いながら歩き出した。

横断歩道に差し掛かり、今日一番のさりげなさで歩いてきた方向を振り返ると、

彼女はさっきよりさらにトゲのなくなった視線で僕を見送ってくれていた。


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