仮面ヒーローが守る街

朝倉亜空

第1話

「くらえっ、ハイパーキーック!」

 正義の仮面ヒーロー、ハイパー仮面がそう叫びながら、黒覆面の男に向かって、飛び蹴りを放った。食らった男は道路を隔てて建っているテナントビルまで吹っ飛んでいった。背中を強打し、ろくに息も吸えなくなったそいつは切れ切れの小声で捨て台詞を吐いた。「よ、よくも、お、覚えて、いろよ、ハイパー仮面め」

 それだけ言うと、仲間が運転する黒塗りの車に乗って、夜のしじまに紛れて行った。

ハイパー仮面は愛用のバイク、「稲妻サンダー号」に跨り、連中を追いかけて行った。しかし、この日は奴らを逃がしてしまった。

「まあいいか」

 ハイパー仮面はそのままアジトへ帰っていった。アジトといっても、彼の自宅の地下の物置きなのだが……。

「昨晩もボンバック団が現れたらしいわよ。でも、ハイパー仮面が連中をやっつけてくれたんですって」

「ボンバック団って破壊活動グループだろ。目立つビルディングや、公共の施設なんかを爆弾で壊し回って、一体、何が楽しいのやら」

「でも、奴ら、物は壊すけど、人の物は盗らないんだってさ」

「へえー、そうなんだ」

 朝、新庄アキオが出社すると、昨日のハイパー仮面と悪人の大立ち回りのことが、早速みんなの話題になっていた。

「おはよう、アキオ君」

 同僚の女の子がアキオに声を掛けた。

「あ、おはよう。ユミちゃん」

 アキオもその女の子、ユミちゃんに挨拶を返した。

「アキオ君も、もう知ってるでしょ。昨日の夜の事件。ハイパー仮面が悪党から街を守ってくれたんだって。謎のヒーローってやっぱりかっこいいよね」

「うん、そうだね」

「ねえねえ、ハイパー仮面ってどんな人だと思う。なんか興味あるなあ」

「う、うん……」ああ、ハイパー仮面はね、このぼくなんだ。でも、言っちゃ駄目なんだ。

 アキオは自分の好きなユミちゃんの前で心を悶々とさせていた。本当のことを言えば、どれほど気分が楽になることか。本当のことを言えば、きっとユミちゃんはぼくのことを好きになってくれる。

 でもね、でもねユミちゃん、それは絶対にしちゃいけないことなんだ……。仮面ヒーローが誰であるか、それは誰にも教えちゃいけないんだよ。人はみんな、表向きはごく平凡な一般市民を演じているけど、もう一面、アナザーフェイスを持っているものなのさ。例えば、厳格な校長先生が超のつくアイドルオタクで、部屋中アイドルグッズで一杯だったり、虫も殺さぬような清楚な女子大生が、夜はセクシーパブで踊り子のアルバイトをしていたり。それがぼくの場合、ハイパー仮面だっていうだけさ。あー、真実を他人に言えないって辛いわー。でもぼくは嫌々ハイパー仮面になる訳じゃないんだ。恋人と海に行ったり、一緒に食事をしたりする普通の青春とはちょっと違うけど、ヒーローとして人知れず街を守ることがぼくなりの青春の証なんだ。

「ちょっとアキオ君、どうかした? ボーッとしちゃって」ユミちゃんが暫し黙りこくってしまったアキオに対し、怪訝そうに言った。

「え? い、いや。ごめん。なんでもないよ」アキオは作り笑顔でごまかした。「そ、そうそう。それにしても、ハイパー仮面って大変だよね。だって、この街には、二つの凶悪グループがあるんだから、休む暇もないよね。ホント、お疲れさんだよ」アキオは何とか会話をつなぐことに成功した。

「そういえばそうね。昨日出たのはボンバック団だけど、もう一つ、窃盗専門のカスーメ団がいるのよね」

「ちょうどボンバック団とは正反対で、壊さず殺さず、欲しい分だけチョイといただく、がカスーメ団の掟らしいよ」

「何でもかんでも壊しまくって物騒な、ボンバック団よりましな感じね」

 と言ったユミちゃんの言葉に、そんなことあるかいなー、と大阪弁できよしが割って入ってきた。「人のもん盗むのもアカンでえ。小さい小銭をコツコツと溜めていったもんをゴッソリ持っていくて、重罪やでえ」

「ま、まあ、それもそうね。だけど……」

「だけどやないで。悪徳政治家が、利権絡みで建てただけの余計な箱モノを、マイトでドカーンとしよる、ボクはこっちのほうがまだマシやな」

 いつものように元気一杯の大声で話すきよしとユミちゃんが、つまらない小さな対立を起こしそうになっていたので、アキオが二人の間に入って言った。

「な、なるほど。どちらも一理あるよね。どうも女性的な感性と男性的な感性の違いで物事の捉え方が変わってくる気がするなあ。うん。ぼくはそんな気がする」

 ちょうどその時、仕事始めの社内チャイムが鳴ったので、三人はそれぞれ自分のワーキングテーブルに着いた……。

 深夜、ハイパー仮面は市街地の警らのため、「稲妻サンダー号」を時速十五キロほどで軽~く走らせていた。スピードを上げ、爆音を立てて走ることは、周囲の市民の安眠を妨げることになる。正義の味方はそこまで気を遣って、日夜戦っているのであった。

 誰もいない夜の街中を、ボ、ボ、ボと、まるで小太鼓を叩いているような音を立て、倒れない程度の低速でバイクに跨ったヒーローマスクマンの姿は、何か可愛らしくもあった。

「や」

 その時、ハイパー仮面は何かを発見した。

「あれは、カスーメ団。それもボスだ」

 黒いフェイスフルヘルメットに黒のいかめしい鎧姿、そのうえに、黄色でKの文字をでっかく描いた黒マントを羽織っている。そいつが高級高層マンションの壁にへばりつき、最上階へと向かって移動していた。壁に吸着する特別な装置を、手袋とブーツに仕込んでいるのであろう。カスーメ団のボスはどうやら今夜は一人で隠密行動をとっているようだ。

 ハイパー仮面はその高層マンションに走って近づき、そして、高くジャンプした。

「ハイパージャーンプ」

市民の安眠を損なわないため、抑えに抑えた、ほとんど聞こえない小声だ。しかし、声の小ささに関係なく、ホッピング装置を組み込んであるハイパーブーツは軽く十二、三メートルは飛んだ。

「ハイパーバキュームハーンド」

 ささやくように言いながら、手袋の甲の部分にある青いボタンを押した。手袋の掌の部分にある多数の小さな孔から、シュウウーと空気を吸い込む音がし始めた。ハイパー仮面はその掌をマンションの壁に引っ付けた。ハイパー仮面の六十五キロの体重もなんのその、そのまんまずり落ちない。その両手を巧みに交互に操り、ハイパー仮面はズイズイとカスーメ団のボスに近づいていく。ボスは追いかけるハイパー仮面に気付き、慌てて登っていこうとするものの、少しずつ距離を縮められ、遂に足首を捕まえられてしまった。

「やっと捉えたぞ。はあ、はあ、はあ」ニヤリとハイパー仮面は笑って言った。小声で。「このまま下まで引っ張り落としてやろうか」

 ハイパー仮面は掴んだボスの足首を、軽くクイ、と引っ張ってみた。

「やめろ! 死ぬぞ!」ボスは絶叫した。

「シーーッ、静かにしろ。今、何時だと思ってるんだ。今度大声を出したら、本当に引きずり落とすぞ」

「わ、わかった。それだけはやめてくれ。おとなしくするから」観念したボスは声を落として言った。

 その時、ボスの被っていたヘルメットがスポーンと抜け落ちていった。

「あ」ハイパー仮面は驚きの声を上げた。「あ、あなたは……」

「ヤバイ‼ 顔を見られたか」

 カスーメ団のボス、その正体はなんと、この町の警察署長だったのだ。仮面ヒーローとは懇意の間柄、見間違える筈はなかった。

「まさか、署長さんが……」

「フッ、人間、誰でも善良な小市民を装い、何食わぬ顔をして生きてはいるものの、その裏では、人には言えない姿を持っているってことさ。ハイパー仮面、おまえもそうじゃないのか」

 カスーメ団のボス、否、署長は開き直ったように話し出した。 

「やれノルマ達成だの、やれ住民からの苦情が来てるだの、真面目な奴ほどストレスを抱え、息苦しくなる。何かでガス抜きをしないと、心も身体も壊れちまうってもんだ。盗人稼業はおれたちにとって、ちょっとしたガス抜きなんだ。おまえだってそうだろ、ハイパーさんよ。善人ヅラして悪党退治と言えば聞こえはいいものの、実はおまえ自身のガス抜きなんだろうがこの偽善者めが!」

 不覚にも、ハイパー仮面はうっ、と、言葉に詰まってしまった。

「さあ、てめえのガス抜きとしてとっ捕まえたこのおれをどうする。どうしたい。煮て食うなり、焼いて食うなり好きにしろってんだ!」署長はキレ気味にわめいた。

「シーーッ。静かに」

 ハイパー仮面は暫く考え込んだ後、署長に言った。

「正義の仮面ヒーローと言ったって、別にワルモノを殺したい訳じゃない。ぼくはただ、自分が生まれ育ったこの街が大好きなんだ。だから署長さん、いや、カスーメ団のボスよ、子分全員引き連れて、今晩中にこの街を出ていってくれないか。そして、二度と戻ってくるな。そうするなら、今日のところは見逃してやる」

「そ、そうか……。分かった。今晩中にそうすればいいんだな」

「きっとだぞ」

署長の足から手を放したハイパー仮面は、署長と共にゆっくりとマンションの壁を降りていった。

数分後、ボ、ボ、ボと再び小太鼓を叩くような音を立て、ハイパー仮面と「稲妻サンダー号」は深夜の街を低速走行で見回りをしていた。

「やや」

またしても、ハイパー仮面は何かを見つけた。

なんと、今度はボンバック団。メンバー四、五人で市立図書館を爆破しようと、時限爆弾を図書館の壁面に設置しているところに出くわしたのだ。どうやら、今夜の見回りは大当たりだったようだ。

ボンバック団に気付かれないようにそっと図書館に近づいたハイパー仮面は、連中が張り付けた爆弾を一個一個丁寧に外していった。ハイパー仮面が最後の一個を外し終えた時、ボンバック団は最後の一個を設置し終えたと思い、タバコを吸って一息入れていた。ハイパー仮面は壁際からそっと顔を覗かせ、その様子を窺ってみた。

完全に安心しきっているのか、油断しているのか、全員、黒覆面を脱ぎ、素顔を晒している。他の者はただの黒い上下のジャージ姿だが、一人だけ黒いカッターシャツに黒いネクタイ、その上に、黒いスーツを着こなしている男がいる。そいつがきっとボンバック団のボスだろう。薄暗い街灯の光に照らされて、うっすらと顔が見えた。あちゃ~、こっちもかよ。街灯の光が見せたのは、この街の市長の顔だった。

ああ、どうせこの人も、表向きは善良なる一市民として、真面目に市長職を務める中で抱え込むストレスがどうたらこうたら、ウラの顔でガス抜きがなんちゃらかんちゃらと、署長とおんなじことを言うんだろうなあ……。

何かやるせない気持ちになったハイパー仮面は、更に、ボンバック団のメンバーの中に知った顔を見つけてしまった。

き、きよし!

体操座りの姿勢のまま、呑気な笑みを浮かべながら、タバコの煙を旨そうにくゆらせている。

ハイパー仮面は、というより新庄アキオは悲しい気持ちになってしまった。

きよしがボンバック団の一味だなんて。どうりでユミちゃんに言い逆らって、ボンバック団を擁護したわけだ。なんと情けない……。署長も市長も、そして、きよしも一体どうなってるんだ。ハイパー仮面はいろいろと考えることが面倒臭くなり、一気にボンバック団たちの前へ飛び出した。

「観念しろ! ボンバック団」

 怒りと哀しみの目で、特にきよしを睨み付けた。きよしは両目を飛び出さんばかりに見開いて、驚いていた。「ななななんですねや。夜中に友人同士が集まって、タバコを吸うたら犯罪でっか」

「黙れ! そこを一歩も動くな。動いた奴からブッ倒す!」

 ハイパー仮面の本気の怒りに、ボンバック団全員は石のように固まり、動けなかった。ハイパー仮面はボンバック団のボスであるこの街の市長に言った。

「市長さんよ、あんたが何でボンバック団のボスとしてこんな人迷惑なことをしているのかは、敢えて聞かない。ただ、これだけ言わせてくれ。そして、その通りにしろ。そうすれば、今日はこのまま帰ってやる。いいかよく聞け。今夜中におまえらボンバック団のメンバー全員、この街を立ち去れ。そして、二度と再び帰ってくるな。分かったか!」

 ハイパー仮面の剣幕に押され、市長はただ一言、「分かった」と言うだけだった……。

 ボ、ボ、ボと「稲妻サンダー号」に跨り、帰路に就きながら、きよしともこれでお別れかと、ハイパー仮面こと新庄アキオは思った。しかし、これでもう、この街には完全な平和が訪れたのだ。明日からは悪党どもは一人もいない、善良な市民が安心して暮らしていける街になるのだ。ユミちゃんだって大喜びさ。

 この晩アキオは未だかつてない程の安堵感と充実感の中、ぐっすりと眠れた……。

 翌朝、やや睡眠不足ながらも、心地良くすっきり目覚めたアキオは、街へ出て大いにびっくりした。

 街は恐ろしいほど静まり返っていた。道端には人っ子ひとりいず、車道を走るクルマ一台もない。店という店はすべてシャッターが閉じられたたままだ。

 この日から、この街に住んでいるのはアキオひとりになっていた。

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