第9話〈補習〉1時間目

*ここからTRUE END編です。話の展開としては7時間目の続きからになります。






ふと、足下で何かが光った気がしてアオイは足を止めた。

「?」

不思議に思いそれを拾い上げる。それは銀色に鈍く光る鍵で、タグには『図書室』と書かれていた。

(そういえば、図書室の鍵も鍵置き場になかったんだ……)

既に三人は昇降口の方に歩いて行ってしまっているようで、資料室にはアオイしか残っていなかった。

(もしかしたら、図書室に何かあるのかもしれない)

図書室の鍵をポケットにいれ、決心したように立ち上がる。アオイは藁にもすがるような思いで、昇降口ではなく図書室を目指した。

早足で歩いているからか、静かな廊下に異様なほど大きく自分の足音が響く。同じ階にあるはずの図書室だが、今日はかなり遠く感じた。

図書室の扉の前に立つと、ばくばくと速くなる心臓を抑えつつ鍵を差し込んだ。妙に焦っているからか、すんなりと鍵は回らなかった。

解錠し中に入ると紙の本特有の匂いが鼻孔をかすめた。電気もつけずに、懐中電灯を片手に手がかりを見落とさないようゆっくりと歩みを進める。

ふと、貸し出しカウンターのすぐ目の前の床に、一冊の本が落ちているのが目に入った。アオイは吸い寄せられるようにその本に近づくと、それを拾い上げた。

「!」

その瞬間にまたもや目の前が真っ白になった。


「……大丈夫ですか?」

誰かに声をかけられ、アオイははっと目を開ける。顔を上げれば目の前にカエデの心配そうな顔があった。

どうやらアオイは今、何かにつまずいたのかころんで手をついてしまっているようだった。それを、カエデがしゃがみこんでアオイに視線を合わせる形で心配してくれているらしい。

今までとは違って主観視点の回想にアオイは面食らっていた。そんなアオイを気にせず、カエデが自分の足下に落ちていた本を拾い上げる。それは、先ほど夜の図書室でアオイが見つけたのと同じ本だった。

「ふふ、早く読みたいからって、転んでいたら駄目ですよ」

そう言ってカエデが笑い、本をこちらに差し出す。お礼を言おうと口を開いたが、声は出なかった。何度叫んでも音が何かに吸い込まれていってしまっているかのように、何も聞こえない。しかし、カエデはアオイが何か言ったのを察したように恥ずかしそうに目を伏せた。

「私、すごく人見知りで、初めて会った人には緊張してうまく話せなくなっちゃうんです。本当は人と仲良くなりたいんですけど、自分を出すのがどうも怖くって」

少し間があって、今度はカエデが目を丸くした。そして、微笑んだ。

「……なんだか、あなたは私に似ているような気がしましたから。だから、声をかけたんです」

そう言って彼女は微笑んだ。それは、同性のアオイが見とれてしまうほど、柔らかく美しい笑みだった。

その笑みが白の中に溶けていって、見えなくなった。今度気づいた時には、目の前に金魚がいた。

(これって……!)

アオイははっとする。目の前の水槽を悠々と泳いでいるのは、まぎれもなくツカサが生物室で飼っている金魚だった。

(これは、ツカサ先生の回想?)

思いがけないことに戸惑っていると、不意にがらっと扉が開いて誰かが入ってくる足音がした。振り返ればカエデが扉の前に立っていた。

彼女はアオイの視線を受けると、どこか照れくさそうに微笑みながらツカサの前までやってきた。

「これがツカサ先生が飼っている金魚ですか?可愛いですね」

そう言って金魚に自分の目線を合わせる。

(カエデ先生は生き物が好きなのかな?)

そう思うとその声が聞こえたのか、カエデが口を開いた。

「私、生き物全般好きなんですよ。人の前だと緊張しちゃうのに、動物の前だと素直な自分でいられるんです。……ふふ、ツカサ先生と一緒ですね」

そう言って笑うカエデをアオイは何かまぶしいものを見るかのように見つめた。

そこにいるカエデは今までナツメやヒジリの回想で人から聞いた彼女のイメージとは大きくかけ離れていて、非常に優しそうでまっすぐな感じの可愛らしい女性であった。彼女が中々本当の自分が出せない引っ込み思案な女性であるために、彼女の性格が他の教師に正しく伝わっていなかったのだ。

アオイはすっかりカエデのことが好きになっていた。今もなおカエデがこの学校にいたら、彼女とは仲良くなれたに違いない。

(どうしてカエデ先生は自殺するところまで追い込まれてしまったんだろう……)

そう考えて目の前にいる幸せそうなカエデを見て悲しくなった。それと共に、カエデとは接点がないようなことを言っていたツカサが彼女と一緒にいることに疑問を抱いていた。

「あ、もうこんな時間!早く行かないと」

カエデが腕時計を見てはっとした顔をした。何か予定があるのだろうかと彼女を見ると、照れたように笑った。

「実は、ナツメ先生に一緒にご飯に行こうって誘われていたんです」

ナツメという言葉にアオイはどきりとする。

「私、こんな性格だから中々友達が作れなくて。この学校に来た時も、うまくやっていけるか不安だったんです。でも、ナツメ先生はこんな私にも話しかけてくれて、仲良くしてくれました。ナツメ先生は優しくて明るくて、私、彼女のことがすごく好きなんです!私にはもったいないくらい素敵な人なんです」

カエデはそうナツメを褒めちぎった。彼女が本当にナツメのことを心から好いていることがよく分かった。

(これは、まだいじめが始まる前の話なのね)

アオイはまだ笑顔でナツメのことを話し続けているカエデを見つめる。

「じゃあ、ツカサ先生。さようなら。可愛い金魚を見せてくれてありがとうございました!」

そう言ってカエデがツカサに手を振り、軽い足取りで廊下の方に走っていった。そこで、また視界が真っ白になった。


はっと気づいた時には、アオイは乱雑に積み重なったプリントの前にいた。それに手を伸ばし、一番上からプリントを取っていく。その行動は自分の意志ではなく、体が勝手に動いていた。

(ということは、これはツカサ先生が……。一体何をしているのかしら?)

ぼんやりと目の前で起きていることを眺める。どうやらツカサは、捨てられたプリントの類いをあさっているようだった。

そこから一枚のプリントを探り当てる。それはどうやら英語の参考書を紹介する文章の下書きのようだった。特徴的な丸文字で、ある参考書を薦める旨がたくさん書いてある。その紙の一番下にナツメという名前を見つけてアオイは息をのんだ。

ツカサはそれを折りたたむと白衣のポケットにしまった。そして、一言もしゃべらず職員室を出て行った。

次に気づいた時には、アオイは誰かの家の中にいた。目の前には薄汚れた机が置いてあり、そこに生物の教科書やプリントにまみれて横書きの便せんが置いてあった。

それに書かれた文章を読んでアオイは目を見開いた。それは、カエデの教師机に大量に入れられていたというナツメの字で書かれた、あの手紙そのものだったからだ。

(どうしてこれをツカサ先生が持っているの……?)

動揺しながらもう一度机の上を見渡せば、先ほどツカサが見つけたナツメが書いた紹介文がまるで清書のように悪口の書かれた手紙の隣に置いてあるのに気づいた。

(まさか、ツカサ先生、この字を真似してナツメ先生が書いたかのように見せかけていたの……?)

そこまで考えてそんなはずがないとアオイは考えを振り払うように首を振る。大体、何故そんなことをツカサがする必要があるのか、全く分からなかった。

混乱しているアオイの視界に、今度はモニターが映った。それには、どこかの夜道が映し出されていた。

(これは……?)

一体何の映像だろうと首をひねる。見ているとその映像がどこかの家の前で止まった。そして門を抜け、そのまま玄関に入っていく。

先ほどまで小刻みに上下に揺れていた映像が止まったかと思うと目の前に現れた女性を見て、アオイは絶句した。

(カエデ先生……!)

カエデが何かをしているのか、この映像を撮っているカメラのほうに体を向けてごそごそと手を動かしている。そして、鼻歌を歌いながら廊下の突き当たりにある扉の向こうに消えて行った。今までの動作を見た限り、彼女がこのカメラに気づいているようには見えなかった。

(まさか、盗撮?)

そう思ってアオイはぞっとした。にわかにツカサのことが怖くなり、自分の肩を腕で抱く。

映像の下に住所らしきものが表示されていた。どうやら発信器もついていたようで、これでツカサはカエデの家が分かったことになる。

(そんな、ツカサ先生……)

アオイはショックで倒れそうだった。しかし、必死に意識を保つよう自分に言い聞かせ、苦い味のする唾を飲み込んだ。

またもや視界が白くなったかと思うと、回想の舞台は再び生物室に戻っていた。ツカサの隣にカエデが座っている。しかし、今度は以前のように明るい表情ではなく、沈んだ、思い詰めたような顔をしていた。

不安に思いながらも何も出来ずにアオイがカエデを見つめていると、彼女が重い口を開いた。

「最近、ナツメが私のことを避けているんです」

カエデが落ち込んだ声で言った。

「どうして避けているのか、聞いてみたいけれど話しかけようとするとナツメが少し嫌そうな顔をするので中々聞けないんです」

そう言ってカエデがため息をついた。その手にはあのイルカのキーホルダーが握られていた。

「それに、最近いたずら電話がしょっちゅうかかってくるし、家の前に誰かが捨てたのか生ゴミが置いてあることもあるし……。なんだか嫌なことばかりなんです」

カエデが疲れたように笑った。その顔が痛ましくて、アオイは彼女を抱きしめたくなり思わず手を伸ばした。それと同時に、ツカサがカエデの背中を励ますように優しく撫でた。カエデは少し驚いたような顔をしたあと、ツカサの顔を見て微笑んだ。

「ありがとうございます、ツカサ先生」

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