第7話 7時間目

次の場面は先ほどよりも薄暗い時間のようだった。外を見れば夕方らしく、茜色の空が見えた。

電気のついていない資料室の棚に以前見た光景のように背を向けて、ヒジリが立っていた。その前に、同じように女性が立っていた。今回は、その女性がカエデであった。

カエデは俯いたまま口を閉じている。ヒジリはまたもや好きでもない相手からの告白に嫌気がさしたように、腕を組んでいた。

カエデの心臓の音がこちらにまで聞こえてきて、アオイも緊張して思わず息を止める。もはや結末は決まっていると分かっていても、カエデを応援せずにはいられなかった。

「ヒジリ先生。私、この学校に来てまだ日が浅いんですけど、優しいあなたのことが好きになってしまって……。私のことが嫌になったら別れて貰っても構いません。だから、付き合ってもらえないでしょうか?」

随分と消極的な態度でカエデが告白をした。カエデなりに一生懸命に絞り出したのだろう言葉。その言葉をヒジリは軽く一蹴した。

「すみません。あなたと付き合うことは出来ません」

ヒジリにとってはいつも言っている言葉だ。しかしそれは、あまりにも冷たく素っ気なく、友人に裏切られたカエデの心を突き刺すには十分すぎるものだった。

「……」

カエデは一瞬放心したようにヒジリを見た後、その場にへたりこんだ。そして泣き始めた。

ヒジリは彼女を見てため息をつき、踵を返そうとする。そのとき、カエデがしゃくりあげながら口を開いた。

「ヒジリ先生は、ナツメのことが好きなんですか?」

その言葉にヒジリが驚いたように振り返る。もう日も落ち、相手の顔も鮮明に見えなくなってしまっている薄暗がりの中でカエデは責めるように言葉を紡いだ。

「ナツメのことが好きなんでしょう?彼女は優しくて素敵な人だから。だから彼女の言うことを聞いているんでしょう?」

思いがけないことを言われたようにヒジリが狼狽して口を開く。

「何故そんなことを……。私はナツメ先生のことを特になんとも思っていません」

そう否定する言葉も今のカエデには届いていないようだった。

「酷い、皆して私のことを馬鹿にして……。あなただってナツメに言われてわざと私に優しくした後、こうして冷たく振ったんでしょう?」

「ナツメ先生に言われて……?私は特に何も言われていませんが……」

そう混乱するヒジリを立ち上がったカエデがにらみつけた。

「ヒジリ先生は私が一人ぼっちになったときに唯一親切にしてくれて、すごく嬉しかったのに。この人は私のことを助けてくれるって、私のことを受け入れてくれるって信じていたのに……」

そう涙を流しながらカエデがうわごとのように言った。アオイは先ほどからカエデの言葉に胸が強く締め付けられて、息が出来ずに苦しかった。

「……やっぱり、信じるんじゃなかった」

そう消えそうな声で呟いてからカエデはヒジリの横を通り過ぎ、資料室から飛び出すように走って行ってしまった。

「カエデ先生!」

ヒジリが叫び、彼女を引き留めようとする。しかしすぐにその手を引っ込め、眉をひそめて何かを振り払うように首を振った。

そんなヒジリを見ながらアオイは目から流れた涙を拭い、考えた。

(カエデ先生は、自分がナツメ先生にいじめられていると思って落ち込んでいたときに、声をかけてくれたヒジリ先生に恋をしてしまった。けれど、唯一心を許せるかもしれなかったヒジリ先生にも振られて、絶望して自殺してしまった……)

アオイがそう考えている間にもまた視界が白くなってくる。それは今までより長い場面転換だった。


気づいたときには、真っ暗な資料室にいた。手には回想を見始めたときに持っていたものと同じ、あの手紙が握られていた。

顔を上げれば三人が神妙な顔をして立っていた。

「あそこで私が彼女を引き留めていれば……」

そう言ってヒジリがうつむき、ぎゅっと握り拳を作った。

ナツメが静かに泣いていた。どうやらアオイだけでなく、三人にもあの回想が見えていたようであった。

「……じゃあ、なんでお前はカエデ先生を追いかけなかったんだ?」

ツカサがそう呟くように言った。彼は今、ヒジリを責めるように見つめていた。

「カエデ先生を追いかけたら、彼女にその気があるように思わせてしまい、さらに彼女を苦しませることになってしまうと思ったからです」

そう俯いて言うヒジリの気持ちが痛いほど分かって、アオイは悲しい気持ちになった。

ただ親切心でとった行動が、相手に気があると思われてしまう。それは、非常に苦しいことに違いない。

「でも、それでカエデ先生が死んだんじゃ本末転倒だよな」

そうアオイの手に握られた紙を見ながらツカサが言った。

「カエデ先生は、お前らが殺したんだよ」

そう冷たい空気を切り裂くように言ったツカサの言葉にナツメもヒジリも俯いた。

アオイは黙って三人を見つめていた。

カエデが他の教師とも仲良くなれるように少し距離をおいたことで、自分がいじめているということの証拠のようなものになってしまい、カエデを裏切った形になってしまったナツメ。

カエデがいじめられていたときに彼女の体調を心配し、彼女に唯一親切にしたことで想いをよせられ、それを断ったことで彼女を絶望させてしまったヒジリ。

全ては二人がカエデを気遣ったことから始まってしまった悲しい事件。二人に故意はないとはいえども、確かにカエデの自殺の要因になったとは言えるのかもしれない。

(だけど……)

まだアオイは納得できずにいた。結局本当にカエデをいじめていた犯人が分かっていないし、そもそもいじめの事実を教師達が誰も知らなかったというのが気になる。

(カエデ先生はナツメ先生を追及したとき、『教師皆でいじめていた』と言っていたし……)

全てはカエデの虚言だったのだろうか?それとも、教師達が皆で口裏合わせて嘘をついている?

……考えても答えは出そうになかった。アオイはため息をついた。

不意に、手元の手紙から何かがこぼれ落ちた。それが床に当たり、ちゃりんと音をたてる。

不思議に思って拾い上げると、それは昇降口の鍵だった。

「なんだ、鍵が見つかったんだ」

ツカサが近寄り、アオイからその鍵を受け取る。そしてそれをひらひら振ってナツメとヒジリの二人に見せた。

「良かったな。これで外に出られそうだ」

そう言って笑う。二人はようやく外に出られるというのに浮かない表情をしていた。

ナツメとヒジリを見て、アオイの気分も沈む。

(これで犯人は見つかったということになるの?ナツメ先生とヒジリ先生の二人が、カエデ先生を自殺に追い込んだ犯人なの?)

にらむように床を眺めるが何も浮かんでこなかった。ツカサ達はもう扉の方に向って歩き出していた。アオイもすっきりしない面持ちをしながら後をついていった。

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