第6話 6時間目
二階へと続く階段を上っていると、職員室の方から明かりが漏れてきているのに気づいた。
「誰かいるみたい。ヒジリ先生?それともツカサ先生かな?」
そうナツメが呟く。ゆっくりと扉の前まで行き、中を覗き込むとヒジリとツカサが鍵置き場の前で何かを思案しているのが見えた。
「あ、ヒジリ先生、ツカサ先生……」
そうアオイが声をかけると二人がこちらに振り返った。ヒジリがアオイの隣にいるナツメを見る。
「ナツメ先生、もう歩いても平気ですか?」
そうヒジリに声をかけられ「はい、おかげさまで!」とナツメが笑う。
ヒジリはそれを見て安心したように頷いた。ツカサが白衣のポケットに手を入れた格好でアオイを見た。
「何か手がかりになるものはあった?」
アオイは頷くと手紙を見せ、先ほどまでのことを話し出した。
話の間、ヒジリは表情を暗くして話を聞いていた。ツカサは白衣のポケットに手をいれた姿勢のまま、そっぽを向いていた。ヒジリと同じく暗い顔つきで聞いているナツメを見て、再び嫌なことを思い出させて申し訳ないとアオイは心苦しく思いながら言葉を紡いでいた。
「……なるほど。そんなことがあったのですね」
アオイが話し終えて少し経ってから、ヒジリがぽつりと言った。その声は非常に暗く沈んだものだった。
「確かにあのとき、今まで仲の良かったカエデ先生とナツメ先生が急に余所余所しくなったのを覚えています。当人達の問題だと私は口を出さずにいたのですが……。まさかそんなことが起こっていたなんて」
何も出来なかった自分に嫌気がさしたようにヒジリが力なく俯く。
「ヒジリ先生は、カエデ先生をいじめていた犯人を知りませんか?」
そうアオイに尋ねられ、ヒジリが残念そうに首を振った。
「いえ……」
そう言ってまた俯いた。彼はカエデの自殺のことを掘り起こされてかなり参っているようだった。そんなヒジリをちらりとツカサが見る。
「ツカサ先生は?」
そうアオイが尋ねるとツカサが首をすくめた。
「さあ。そんないじめがあったなんて初めて聞いたよ。そもそも、カエデ先生とは話したこともなかったしね」
そう言われアオイは考え込んだ。どうやら、教師達の情報から犯人を特定するのは難しそうだ。
「カエデが自殺した理由の一つは私にあるんです。だから、私も犯人捜しに協力しようと思いまして……」
そう言うナツメにヒジリは力なく首を振った。
「確かにあなたがらみのことで彼女が追い込まれていたのは本当のことかもしれません。でも、彼女が自殺するきっかけになったのはあなたではないでしょう。きっと……」
そこまで言ってヒジリは言葉を切った。悲痛な表情を浮かべるヒジリをアオイは見つめた。
「そうだよなあ、カエデ先生のことはよく知らないが、それだけで自殺するとは思えないもんな。……もっと他の理由があるんだろうな?」
そうツカサがヒジリを横目で見る。その視線を受けてヒジリが苦い顔をしてツカサをにらんだ。
重苦しく、嫌な空気を取り払おうとアオイはヒジリに尋ねた。
「お二人は、ここで何を?」
ヒジリが顔を上げ、アオイを見る。
「昇降口の鍵がどこかにないかツカサ先生と共に探していたのです。けれど、どこを探しても見つからなくて……」
ヒジリが鍵がかかっているボードを見る。ボードには多くの鍵がかかっていたが、昇降口と図書室の鍵だけがなかった。
「鍵が見つからない限りこの校舎から出るのは難しそうですね」
そう言ってヒジリがため息をついた。
「きっと、カエデ先生が俺達をここから出さないようにしているんだよ。まったく、関係のないアオイ先生までをも巻き込んで、早くカエデ先生を自殺に追い込んだ犯人が見つかって欲しいものだな」
そう誰かへの当てつけのようにツカサが言う。ツカサがやけに饒舌で挑戦的なのに違和感があり、アオイは内心首をひねった。
すっかり意気消沈したヒジリを気の毒に思いながら職員室を見渡す。元々何か手がかりが見つかるのではないかと思ってここに来たのだ。カエデ関係のものがどこかにあるかもしれない。
「あの、ナツメ先生。カエデ先生が使っていらした机って、今どこにあるんですか?」
アオイに聞かれ、弾かれたようにナツメが顔をあげた。
「あ、えっと……。もうここにはなくて、そっちの資料室にあるの」
そう言って職員室の隣にある資料室を指さす。アオイはそれを聞くとまっすぐそちらに向かって歩き出した。
その後を三人がついてくる。扉を開けて中を覗き込むと、資料室は真っ暗だった。スイッチを押しても残念ながら電気がつかなかった。
「うう、暗い……」とナツメが体を震わせる。
アオイは懐中電灯であちこちを照らし、カエデの机を探した。ふと一番奥を見れば、教材やら段ボールやらがつみあがっているその下に机があるのが見えた。
それがほのかに光っているような気がして、アオイは小走りにそれに近づいた。
「あ、アオイ先生!それだよ、カエデの机!」
ナツメも走り寄ってくる。アオイは机の引き出しを開けてみようと取っ手を強く引っ張った。しかし、たてつけが悪くなっており、ガタガタと音がするが簡単には開きそうにはなかった。
「彼女が亡くなったときに机の中は整理しましたから、もう何も入っていないと思いますよ」
ヒジリが腕を組み、アオイを遠巻きに見ながら言う。彼はあまり捜査に協力的ではないようだった。
「確かにそうかもしれません。でも、何かが入っている可能性だってまだあります」
音楽室でイルカのキーホルダーを見つけた時のことを思い出す。既にこの学校では怪奇現象のような妙なことがいくつも起きている。あのときのように、今はないはずのものが突然出てきたっておかしくはないのだ。
「私も手伝う!」
そう言ってナツメがアオイの隣に並び、一緒に取っ手を引っ張った。しかし、二人の力でも引き出しはびくともしなかった。四苦八苦している二人を見て、見かねたようにヒジリが息をついた。
「……私がやります。お二人は、上のものが倒れてこないよう抑えていてください」
ヒジリがアオイとナツメの間に入ってくる。アオイとナツメは顔を見合わせると頷き、銘々に教材や段ボールを支えた。
ヒジリが力任せに引き出しを引っ張る。何回か強く引っ張ると、のりでもとれたかのようになめらかに引き出しが開いた。
ヒジリが一仕事終えたように息をつき、額の汗を拭う。
「すごいです、ヒジリ先生!」
ナツメが嬉しそうに言う。ヒジリはどちらかというと細身だが、案外力は強いらしい。
「ふうん、ヒジリ先生は頭がいいだけじゃなくて力も強いのか。しかもさらっと人助けが出来る。そりゃあ、さぞかしモテるだろうなあ」
そう皮肉たっぷりに言われ、ヒジリがツカサをにらんだ。ナツメもツカサを見て嫌そうな顔をしている。アオイは彼の言葉の中にヒジリに対しての対抗心と嫉妬を感じ取った。
(どうしてツカサ先生は、ヒジリ先生と張り合っているんだろう……)
とにかく開けて貰ったお礼を言おうと、アオイはヒジリの方に向き直ると頭を下げた。
「ヒジリ先生、ありがとうございます。助かりました」
「いえ」とヒジリが首を振る。
引き出しを引っ張り出し、懐中電灯で奥を探る。すると一番奥に一枚の手紙が入っているのが見えた。
(何かある……)
手を伸ばし、その手紙を引き寄せる。アオイが取り出したそれをナツメが不思議そうに覗き込んだ。
「アオイ先生、それ……?」
封筒の裏にはなにも書かれていなかった。ひっくり返して表を見れば鉛筆で『ヒジリ先生へ』とだけ書かれていた。
「『ヒジリ先生』……」
そう呟いてアオイとナツメがヒジリを見る。その視線を受けてヒジリが居心地悪そうに顔をしかめた。
その瞬間、フラッシュがたかれた時のように視界が真っ白になった。
(! また……)
まぶしさに目を閉じ、再び開けたときには、また昼間の学校の映像が目の前に映し出されていた。
この資料室の棚を背にしてヒジリが立っている。その前には一人の女性教員が彼と向かい合うように立っていた。
その女性はもじもじしたように下を向いている。ヒジリはそんな女性を腕組みをして見ながらため息をついた。
「私、前からヒジリ先生のことが好きで……。良かったら、付き合ってください!」
そう勇気を出したように女性が言う。ヒジリは眉一つ動かさず「すみません」と謝った。
「あなたと付き合うことは出来ません」
そうぴしゃりと言われ、女性は泣きそうな顔をした。唇を震わせ、俯くと嗚咽を漏らし始めた。
ヒジリは未練がないようにさっさとその場から立ち去ると、扉から職員室に出た。そして額を抑え、再びため息をついた。
(好きでもない人から告白されても困るだろうな……)
アオイはヒジリの心を思いやる。ヒジリがそう頭を悩ませている間も数人の女性教員がヒジリのことを熱っぽく見ているのが分かった。
(ヒジリ先生、本当にモテるんだな……)
ナツメに聞いてはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。こんなに多くの女性の心をつかむなど、芸能人でもない限り不可能なことだろう。
ヒジリは気持ちを切り替えるように首を振ると彼の机に向かった。
アオイがその後に続く。こんなにも近くで彼の机を見たことがなくて、ついじっと眺めてしまった。
数学の教科書やら参考書やらが所狭しと棚に並んでいる。誰かの写真やら趣味のものやらは一切なく、彼がかなりストイックなことがうかがえた。きっと色恋事を感じさせないところも女性からの人気が高くなる理由の一つなのだろうとアオイは考えていた。
ふと、誰かの視線を感じてアオイは顔をあげた。すると、ヒジリの机とは反対側の奥の方から一人の女性がこちらをじっと見ているのに気づいた。それがカエデであることはたやすく分かった。
(カエデ先生……?)
カエデは楽譜を見るふりをしてヒジリのことを見つめていた。その視線から彼女がヒジリに恋をしていることが明らかであった。
(カエデ先生は、ヒジリ先生のことが好きだったのね)
そう思ってカエデのことを見つめているとまた視界が白く曇った。再び霧が晴れたときにはヒジリが一室で誰かと話しているのが見えた。
「色男は大変だねえ、ヒジリくん」
そうからかうように言う男性にヒジリが顔をしかめ、コーヒーを口に含む。誰だろうと思って男性を見ると、ヒジリと同じく数学教師であることに気づいた。
「からかわないでください。……断るの大変なんですから」
そう真剣に困っているヒジリに「あーあ、俺もそんな悩み持ってみたいよ」とその男性が伸びをした。
「神様ってほんと、不公平だよなあ。お前みたいに万年モテ期な奴もいれば、俺みたいにモテ期が一回もないやつもいるし」
そう言って男性がわざとらしく大きなため息をついて見せた。
「まあでも、どっかの誰かさんよりはマシか。俺だって一応、女性教員にしゃべってもらえてるしな」
そう言ってちらりと自分の肩越しに後ろを見た。誰のことだろうと考えて、ここが数学室であることに気づいた。そして、その隣が生物室であることも。
「ツカサ先生って、マジで何考えてるか分からないよなあ。飲みに誘っても全然来ないし、いつも生物室に籠もってるし」
そこまで言って男性が何かを思いついたように椅子の背もたれから体を起こした。
「そうだ、ヒジリ。お前もあの先生見習って変人になってみたらどうだ?そうしたら少しはモテなくなると思うぜ?」
「遠慮しておきます」とヒジリが一蹴した。彼は今、すっかり男性の話に興味をなくしたようで、数学の赤本を眺めていた。
それを聞いて男性が笑う。
「ま、そりゃそうだよな。……そういや、今年新しくやって来たあの先生、名前なんて言ったっけ?」
男性の話にヒジリが聞き耳を立てる。
「誰の話です?」
「ほら、今年新任の音楽教師としてやってきた先生」
ヒジリは少し考えた後「カエデ先生ですか?」と聞いた。
「あ、そうそう。よく名前覚えてるなー。何?意外と好みのタイプだった?」
そう興味ありげに尋ねる男性をうっとうしそうにヒジリが見る。
「違います。人の名前を覚えるなど人として当然のことでしょう」
そう叱るように言うヒジリに男性が恥ずかしそうに笑う。
「いやー、あの先生影が薄いからつい忘れちゃって。そうそう、あの先生、ヒジリのことが好きだって女性教員たちが噂してたぜ」
そう言われても特に反応することなくヒジリはまだ赤本を眺めていた。しかし、そのページは先ほどからずっと変わっていなかった。
「ほら、お前、以前体調が悪そうにしてたカエデ先生に声をかけて、保健室に行くよう勧めてただろ?そこで惚れられちまったらしいぜ」
ヒジリは何も言わない。
「それからお前を見つめるカエデ先生の視線が熱いんだってよ。しかもずっとお前のこと目で追ってるみたいだし。ヒューヒュー、モテるねえ!でも、彼女ちょっとストーカー気質らしいし、メンヘラっぽいって言われてるから気をつけろよ」
そう言われてヒジリがいらついたように乱暴に椅子から立ち上がった。そして赤本を持って扉の方に歩いて行く。
「おい、どこに行くんだよ?」
足を止め、そう声をかける男性の方に目だけを向ける。
「……あなたと話していても時間の無駄ですので」
そうヒジリが冷たく言い放ち、ぴしゃりと扉を閉めたところでまた視界が真っ白になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます