第9話

 実家が不安定なので不安定な状況には慣れっこです。殿下は、ひょっとしたら私が大きなショックを受けて食事が喉を通らないのではないかと心配されていたようですが、私は大丈夫です。

 ここであれこれ憶測を立ててひとりでに不安な気持ちを募らせるより、好きなことをして食事も睡眠もしっかり摂った方がいいに決まっていますから。


 伯爵家の殺伐とした雰囲気に包まれた食卓とは違い、静かながらも落ち着きます。私と殿下の二人しかいないので静かなのはある意味当然なことではありますが。


「そういえば、殿下は結婚などされていないのですね」

 使用人の他には殿下と私の二人きりなので、気になって訊ねることにしました。


「王の弟という立場が難儀でね……貴族の娘と結婚すれば、その親戚が増長することになる。縁談がやかましいし結婚するべきなのだろうが」

 殿下は遠い目をして結婚について話します。王族の方は大変そうです……忘れていましたが私も一応は王族でした。

 何と返答しようか迷っている間に、殿下はやや躊躇いがちに言葉を続けました。


「実は……気になっている女性がいる」

「まあ、素敵ですね。どんな方なのですか?」

 私は俄然興味が出てきて、思わず身を乗り出します。恋愛には縁遠い私ですが、恋愛事情を知るのはどちらかというと好きな方です。


「恥ずかしながら、まだそれほど言葉を交わしたことがない。だが気丈で、好きなことに一生懸命な人だということは知っている。しかも……まあこれはほんのついでのようなものなのだが、権威のある家柄の出でもあるから誰に婚姻を邪魔されることもない」

 絵に描いたような甘酸っぱい恋愛話です。その方と殿下の関係がもっと進展すれば更に話を伺えるかもしれません。


「よろしければ、その方のことをもっとお聞かせくださいな。私は殿下を応援致します」

「そう、だな……彼女は」

 噛み締めるように語る殿下は、ふいに喋るのをやめます。


「一つ頼みがある」

 殿下は真っ直ぐこちらを見据えました。実家は財政難なのでお金の工面は出来かねますが……。そんなことを考えていましたが、頼みというのは私一人でもできることでした。

 

「どうか殿下ではなく、フリードリヒと呼んでほしい」

「そういうわけには」

「なら、私も貴女のことを殿下と呼ばせてもらおう。構いませんね、殿下?」

 殿下、私も確かにそう呼ばれていた時期もありました。伯爵に嫁いでからは久しく呼ばれていないのですが。


「……わかりました。フリードリヒ様とお呼びいたしますね」

「ありがとう。なんだか気恥ずかしいな」

 殿下──フリードリヒ様は僅かに頬を染めて俯きます。私ではなく、懸想されている相手の方に見せた方が良いのにと思いました。

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